収入 158 円、支出 160 円/掃除という呪いに悩む81日目 。
もやしが過ぎたため社会から落下してしまいました。ひとり暮らしでひきこもる限界生物やっています。もやしの生きれる場所をネット上に模索して右往左往しているところです。もやしの日常を切り取りつつ収入・支出も公開しています。もやしはみんなに生かしてもらえるのかをテーマに毎日更新がんばります。よろしくお願いします。
もやしの生活費
収入
note : 80日目 0 円 (total 5929円)
ALIS : 113日目 +54 ALIS
トレードの練習 : +50 円(証拠金 10185円)
支出
160 円
本日の日記。
掃除という行為の不毛さは何とかならないのだろうか。
何が不毛か、もちろん、すぐに汚くなるところである。
一度掃除したら二度と汚くならないのであれば僕だって掃除をする気になるはずだ、しかし、どうせすぐに汚くなる、これでは汚くするために掃除をしているようなものではないか。これを不毛と言わず何と言えば良いのか。
しかもだ、お風呂だってトイレだって部屋だって、掃除をしないと使えない訳ではない、別に汚くたって使えるではないか、そのうえ、機能に何の違いもない。例えば、汚いお風呂に入ると体の汚れが落ちにくかったり、汚いトイレは残尿感が残りやすいというのであれば掃除をしたいと思うかもしれない、しかし、そんな違いは全く無いではないか。
そうなってくると掃除をする意義は、綺麗なトイレを使いたいかどうかという一点にのみ集約されることになるのだが、上で述べたように、それはどうでも良い、綺麗であることに一体何の価値を見出して良いかわからない。
部屋を掃除し綺麗にすることは、殊更良いことのように言われることが多い気がする、綺麗にすることの利点に対し、綺麗にするという行為自体の評価が過剰であると言わざるを得ない。
何故だろうか、おそらく行為自体が美徳だという風にでも思わないとやっていられないからだ、実際には掃除に大した利点が無いことには気が付いているのだ、だが美徳であると強調することによって気が付かない振りを皆で続けているのである。
さて、ここで更に1周回って考えると、何故そこまでして皆で掃除の意義を守らねばならないのだろうか、そこまでして掃除を続ける意味とは何なのであろうか。一体掃除の何が皆をそうさせているのだろうか。
わからない、僕にはわからない。わからないのだが、何故こんなことを言っているのかと言えば、いい加減に掃除をしないとマズいなと思っているからに他ならない、だが何故マズいと感じるのかがわからない、別に何の不便も感じていないし不具合もない、掃除をしなければと思うただ1つの理由は汚いからだが、だが何故汚いことが悪いのかは説明が出来ない。
はぁ、
とはいえ、
掃除しないと、
これは僕を含め人類に掛けられた呪いの一種なのかもしれない。
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