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ぽぽら春日部モヤモヤカフェ(2021年4月)

4月24日(土)に、豊春地区にある居酒屋『美月』でモヤ“タマ”カフェを開催しました!

 2021年は年明けから緊急事態宣言が発出され、なかなかモヤモヤカフェを開催することができませんでしたが、中断期間を経て4月にようやく開催することができました。さらに、今回は「タマムシの会」さんとのコラボレーションによる初の出張開催です!「タマムシカフェ」と「モヤモヤカフェ」がくっついて『モヤタマカフェ』になりました(笑)。ノスタルジックな雰囲気が漂う素敵な空間で、4人の女性に自分のストーリーを赤裸々に話していただきました。特別開催の「モヤタマカフェ」をお楽しみください!

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『地域とつながり、満腹の幸せをおすそ分け』

1.繋ぐ居酒屋モヤモヤ
  【モヤとも】権丈(けんじょう)洋子さん(居酒屋 美月)

権丈さん2

 平成30年、前職の退職を機に『居酒屋 美月』を開業しました。居酒屋をやることは私の夢でした。まったく知らない土地でしかも未経験でやっていけるのかという不安もありましたが、夫の後押しもあり、いまに至っています。オープン後も地域の皆様の支援もあり親戚のようなお付き合いをさせていただいています。3年目を迎え、たくさんの方と出会い、「美月」も私も一緒に育てられているように感じます。
 私は二十歳のときに母を亡くしました。母は46歳でした。私の意見を尊重してくれる、今考えれば少し変わった母だったかもしれません。毎日のように誰かが訪ねてくる、そんな母の後姿を見て育ってきたせいか、困った人がいると放っておけないと思うようになりました。
 連日報道されるコロナ禍における生活困窮者や、災害による最大の犠牲者が子どもやお年寄りとなってしまう現状を見ると、貧富の差は貧しい国ばかりではなく日本でも起こっていると感じます。今自分にできることはなにかと考え、おなか一杯食べて眠ることができる幸せのおすそ分けをすることだと思い至りました。いま、時短営業していますが、お客様に趣旨を説明し寄付のご協力をいただいています。その寄付金をもとに近隣にチラシを配布し、必要な方に無償でお弁当を配る活動をしています。現在、週1回10食のご依頼があります。
 将来の目標は「困ったときの美月のおばちゃん」です。電球の交換がしたい、お醤油切れちゃった、友達と仲直りしたい、といった困りごとを解決する、昭和の時代によくあった日常が目標です。私が今まで助けていただいた人々への恩返しでもあります。
 「人と人とのつながりプロジェクト」は、まだまだはじまったばかりですが、一歩ずつ進んでいけるよう頑張っていきます。
 うちのお店には20代から70代まで幅広いお客様がいらっしゃいます。その交流が面白く、高齢男性が若い女性と話すときの目の輝きに元気をもらっています(笑)。うちは常連さんが多く、お店に来た時に「おかえり」とお迎えしているので、それが心地いいと言っていただいています。70代のお客様が私を娘のようにかわいがってくれたり、お客様に相談して困りごとを解決してしまったりという不思議なお店で、始めた1年目は17席が2回転するくらい繁盛していましたが、コロナ禍のもとで席数を減らし、お客様が遠ざかってしまっているのが現状です。まだまだがんばってとお声掛けいただいたり、寄付をいただいたりとお客様に店を作っていただいているような感じで感謝しかありません。
 お弁当の無償配布は食品ロスを防ぐためもありましたが、決して手抜きすることなく素材を活かして作っています。女性のお客様からメニューの提案や知恵をいただきながら、チラシも手作りでお金をかけず、定休日を利用して行っています。できるだけ続けて、地域の方ともつながっていけたらと思っています。

権丈さん3


『モヤモヤして成長する、人に寄り添うネイルサロン』

2.働き方モヤモヤ
  【モヤとも】小暮 名美子さん(ネイルアドバイザー)

小暮さん2

 私は中卒で、結婚してからも正社員として就職することはなく、子育てをしながらパートとして働いてきました。それまで勉強が嫌いで学ぶことから逃げてきたのですが、40歳でネイルスクールに通いはじめ、検定を受け、自宅でネイルサロンを始めることになりました。その後10年くらいやってきましたが、働き方について3回くらいモヤモヤを感じることがありました。
 ネイルサロンを始めたころは派手なネイルを作ってお客様に提供していましたが、ある時、自分の気持ちと違うなあという、1回目のモヤモヤを感じました。自分がやりたいネイルデザインとお客様が求めるデザインはなんか違うことに気が付いて、母校の先生やお友達に相談して考えた結果、自分が好きなのはシンプルだけどちゃんとかわいい、日常になじむネイルだと気づいて、大人っぽいネイルデザインを考えていくようになり、第一期モヤモヤ期が解消されました。
 ネイルスクールの恩師から声をかけられたのがきっかけで、ネイルボランティアという活動もやっています。(高齢者)施設の利用者さんがネイルをしてもらってすごく喜んでいる顔を見て、自分の技術がとても価値のある、社会に貢献できる素晴らしいものであることに気づかされました。自宅サロンを続けながらこの活動もしていきたいと思うようになりました。自宅サロンのブログにボランティアのことを書いたところ、依頼がくるようになりました。最初は私ひとりでやっていましたが、仲間がどんどん増えてきました。ネイリストだけでなく、ハンドセラピーをやっている方も加わりました。依頼先も増え、だんだん手が足りなくなってきたので、ブログで仲間を募集しました。仲間は増えましたが、中には当日になって来ないような方もちらほら出てきました。
 ここで私の第2回目のモヤモヤが生まれました。いろいろな方と相談して、これはボランティアを募集するのではなく、自分が育てればいいんだと気づき、ネイルスクールを始めることにしました。私は日本ネイリスト協会に所属している先生ではありませんが、私の教えられることを伝える先生として活動していくことに決めました。順調に生徒さんも増え、依頼先も増えたのですが、コロナがはじまって依頼先が減り、生徒さんも受け入れられなくなり、自分の働き方について考えるようになりました。これが第3回目のモヤモヤです。
 いままでは技術を伝え、社会に貢献できるネイリストを育てようという想いがありました。コロナ下で、ボランティアの依頼がストップし、今後の見通しも立たない。生徒さんも来なくなり、お客様も来なくなり、どうしようかと考えた挙句ひとつのことに気が付きました。
 ネイルボランティアをやりたいとか、こういうネイルをやりたいというのは自分の想いを押し付けているだけで、相手の気持ちを考えていなかったことに気づいたのです。ある生徒さんから、中学しか出てないけどネイリストとして将来やっていけるのかと相談を受けたときに、技術だけでなく、生徒さんのキャリアとか人生というものを考えるようになりました。いろいろ相談を受けながら、カウンセリングというか自分の話を聞くレベルが低いと感じるようになりました。ネイルの技術だけでなく、生徒さんの人生であったりキャリアまで考えてあげられる先生を目指していこうと考えるようになりました。
 私は自宅でサロンをやりながら常に未来のことを考えるようになりました。考えながら仕事をしていると必ずモヤモヤする時期がやってくるのですが、モヤモヤする時は自分が一歩成長できるときなんだと感じるようになりました。モヤモヤするときは自分の気持ちと行動がかみ合わないときで、そこをなんとかしようとする行動が自分のステップアップにつながっていくと気づきました。これからは、ネイルスクールではこれまで通りたくさんの生徒さんにネイルのことを教えていく、ネイルボランティアとしての想いも伝えていく、それにプラスして、生徒の未来やキャリアのことも一緒に考えていきたい。「教える」のではなく「育てて」いけるような人でありたいと思っています。そして5年後か10年後かわかりませんが、悩んでいる子たちが「学びたいこと」をいつでも学べる場所を作っていけたらいいなと思っています。

小暮さん4


『自分も家族も困らないエンディングノートのススメ』

3.終活モヤモヤ
  【モヤとも】山川 澄子さん(心託コンシェルジュ)

山川さん2


 私は4年前に悪性リンパ腫に罹患しました。先生から「血液のがんです」と言われたときは、「まさか自分が」と頭を金槌で殴られたような衝撃を受けたことを覚えています。抗がん剤治療が終わった後に、胃にもがんがいることが分かり、胃を切ってこれでようやく終わりかと思っていたら、私のがんは変異質の悪性リンパ腫だったようで、先生の指導のもと、今でも3ヶ月に1回の血液検査、半年に1回のCT検査と胃カメラを続けています。
 私は自分ががんになったことがきっかけで「終活」に興味を持つようになりました。私は母を大腸がんで亡くしていたのですが、自分ががんに罹患したときに、(亡くなったら)自分も困るけど、家族が困惑してしまうことがいっぱいあるということを思い出したんです。以前、一人で暮らしていた叔母が施設に入るときも、私は叔母が「施設に入れた」ということに安心し、(叔母が)住んでいた団地を引き払わなければならないことや、電気やガス、水道等の解約が必要な公共料金の手続きがあることも分かりませんでした。叔母も元気なときに「もし私に何かあっても迷惑はかけない」と言っていましたが、それは「自分が亡くなった後も心配しなくていい」という意味であり、「亡くなる」=「葬式(代)」のことしか頭になかったんだと思います。
 人は亡くなるときは皆独りですが、生きているうちから独りになってしまう人もいます。自分がどこに住み、誰と付き合いがあって、どんな生活をしているのかを家族も誰も知らなったらどうなるのだろう?自分が亡くなったときに(家族が困らないために)どうしたらいいのか?ということから終活に関心を持ち、(一般社団法人)終活協議会というところの終活ガイド検定で学び始めました。
 私は皆さんにも(家族が困らないためにも)自分が元気なうちに、自分の思いを「エンディングノート」に書いてほしいと思っています。病気をするとベッドの上では何もやる気がおきません。伝えられる思いもありますが、保険のことや預貯金のこと等、意外と話していない重要なことをちょっとしたノートに書いておく。最初はエンディングノートに書かれてある項目をチェックするだけでもよいと思います。
 エンディングノートには5つの注意点があります。まず(1)法的な効力は全然ありません。実は遺言書にもならないのです。それから、(2)定期的に見直すこと。見直し、書き直したときは(3)新しい日付を入れておくこと。(4)エンディングノートを書いたことを家族やお友達、ケアマネージャーさん等に伝えておくことも大切です。そして、もし何かあったときに、(5)保管場所が分かるように知らせておくこと。こうしておくことによって、いつ何があっても大丈夫と安心できるんです。エンディングノートにはいろいろなものがあり、手帳サイズのものもあるので持ち歩くこともできます。
 たくさんの人に自分事として自分の思いをエンディングノートにまとめてほしいですし、こういう活動をしている私のような人間もいるのでぜひ相談してほしいと思っています。お互いに話をするだけでも気分がスッとすることがあると思うし、身内だと逆に考え込んでしまって難しいことがあります。「モヤモヤカフェ」や「タマムシの会」さんのように、ちょっと顔を出して「やぁ、実はね…」とお話しができる場所があるというのは、私は本当にいいなと思います。私も縁あってそういう場所を開きたいなと思っていたのですが、コロナでできなくなってしまいました。ただ、「終活?えーまだまだ早いよ」と思うのではなくて、誰かが声をあげて、笑いながら「(終活には)こういうこともありますよ」と言ってあげられるような活動を少しずつできたらいいなと思っています。

山川さん3


『子どもも親も肯定してもらえる場所をつくりたい』

4.子ども食堂モヤモヤ
  【モヤとも】佐藤 恵さん(NPO法人かすかべ子ども食堂ひなた 副代表理事)

佐藤さん2

 春日部にまだ子ども食堂がない5年ほど前に、友人と一緒に『かすかべ子ども食堂ひなた』を立ち上げました。はじめは1ヶ月に4回、毎週水曜日に豊町で子ども食堂を開いていて、25〜30人ぐらいの親子に無料で食事を提供していました。野菜や缶詰等、いろいろな方から寄付していただいた材料を(食品ロスとならないように)無駄なく使えるように工夫しています。最初はほとんど知られていなくて、「子ども食堂って何?」とよく聞かれたのですが、24時間テレビでも放送され、徐々に知名度が上がってきたのかなと思っています。私たちの子ども食堂では、6人がけのテーブルに10人ぐらいが親子関係なくギュウギュウに座ってご飯を食べています。違う学校の子や違う年齢の子、ボランティアさんも交えて毎回食卓を囲っています。
 週に1回の子ども食堂の他に、夏休みは「夏休み宿題サポート大作戦」というイベントも開催しています。みんなで持ち寄って宿題をしたり、お昼はみんなでご飯を作ったり、午後に工作をしたりして、60人ぐらいの子どもたちが集まっています。その他にも節分のときは恵方巻きを作ったり、地域の方のご協力でお餅つきをしたりしていますが、クリスマスだけはご家族で過ごしてもらうようにしています。
 子ども食堂では、たまに同じ種類の食材をたくさんいただいたりするのですが、そういうときは皆さんに10円ぐらいで安く持って帰ってもらっています。そういったお金を少しでも運営資金にまわしているのですが、なかなか運営にまわせるような寄付金が少ないのが現状です。また、5年のうちに4回ぐらい引っ越していまして、なかなか場所が定着できないことにすごくモヤモヤしています。子どもたちはこの場所に来ればご飯が食べられると思っています。(引っ越してしまったことで)その場所に行っても誰もいなかったと淋しい思いをして帰っちゃう子が何人もいて、やはり子どもたちには、「この時間」に「ここ」に来ればいいんだと思ってほしい。なかなか場所が定着できないことは大きな悩みです。
 「なんで子ども食堂をやっているの?」とよく聞かれるのですが、自分がほしかった場所をつくりたかったことが(子ども食堂をはじめる)きっかけの一つとなっています。私は高校2年生の17歳のときに妊娠と出産を経験しました。勉強も好きで学校には楽しく通っていたんですが、出産する道を選んでからは、偏見も多く、軽蔑され、その瞬間に周りから友達がいなくなってしまいました。すごく孤独を感じていました。しばらくはなかなか自分のことを話せる相手もいなくて、人は本当に「助けてほしい」と思うときは「言えない」んだなと感じました。なんとか頑張らなくちゃと、働きながら高校に通って、帰ってまたご飯を作って、子どもを寝かしつけてからレポートをやるという日々の繰り返しでした。自分の人生が80年だとしたら、子育てができる期間はほんのわずかで、10〜20年ぐらいは子ども優先で生きようと...。
 そういう経験をしてきているので、生きているうちに自分が経験したことや感じたことは伝えていきたいと思っていて、自分が言われて傷ついたことや手を差し伸べてくれて嬉しかったこと等を伝えていきたいです。子育てするなかでモヤモヤすることも多くて、子供のことや自分のことを肯定してくれて、ただ話を聞いてくれるという人も必要だし、子ども食堂が今、そういう場所になっているかなと思っています。些細なことを話し合える場所がない孤独を抱えるお母さんも多いと思うんですけど、そういう子供の成長を共感してくれる相手って自分もいなかったので、それがすごく大事かなと思っています。
 自分も子育てをもっと楽しくしていきたいし、子どもももっと地域とかいろいろな大人と関わってほしいと思っています。大人もいろいろな子どもと接してほしい。ボランティアさんを募集しても、来てくれる方は同じような思いをした方が多く、そこでもまたコミュニティができていてすごく嬉しく思っています。もっと早く出会いたかったと思う人がたくさんいます。
 今はコロナで子ども食堂は開催できていないので、月に1回、最終日曜日に食料の無料配布会を行っています。そこで企業や地域の方が持ち寄ってくれたご寄付(食料)等を皆さんにお配りしていて、だいたい100人ぐらいの方が来ています。最近子ども食堂が引っ越しをしたのですが、新しい場所が配布会をできるような場所ではないこともあり、今は新しい場所も探しながら、配布会を続けていきたいと思っているところです。

佐藤さん3


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 モヤ友の皆さんのお話が終わったあとも会場ではいらした方との談笑がなかなか終わることなく続いていました。権丈さんやタマムシの会のお二人のお人柄がとても居心地の良い場の空気を作っていて、和やかなひと時を過ごすことがました。できるだけ密にならないように、換気などにも気をつけながら開催しましたが、改めて人と人とが交流できる場の大切さを感じました。豊春地区にある居酒屋美月さんと、そこで活動するタマムシの会さんの取り組みに今後も期待したいと思います!

【写真下】左から「タマムシの会」久保さん、「居酒屋美月」権丈さん、「タマムシの会」佐藤さん

外観

 

 モヤモヤカフェは、暮らしのなかで感じるちょっとした疑問や悩み、ワクワクするアイデアを、コーヒーなどの飲み物を片手におしゃべりをする場所です。これからも春日部で活動する個人個人の思いを紡いでいきたいと思います。

 次回2021年最初のモヤモヤカフェは5月22日(土)を予定しています。次回もモヤ友の皆さんからお友達を紹介してもらう予定です。次回のゲストは後日ご案内しますので、ぜひ楽しみにしていてください。ここまで読んでくださり、ありがとうございました!



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