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ヘルペスによって感情を表現していた思春期の話

ヘルペスという、物体に侵され始めたのは15歳の頃。

Herpes(疱疹)とは、小水疱(小さいみずぶくれ)が集った急性炎症性皮膚疾患のこと。

同級生がニキビに悩むなか、私の肌は特に同じモノが現れることはなかった。
だから、最初口周りにデキモノができた時、特に気にもとめていなかった。

始めの方は、ニキビと同じように1週間程で、治っていた。赤く腫れて、少し痒い時期を乗り越えれば、朝起きれば消えていた。


しかし、口周りから広がり、鼻の下にまで感染したことがあった。

マスクなしでは人前に出られない程酷くなった。当時、バレーボーレ部に所属していたので、マスクを取らざるを得なかったが。


高校生活では、部活の人間関係と同じくらい、このヘルペスに悩まされた。

何故ヘルペスができてしまうのか、と考えるようにもなったが、元々人に相談できる性格でもなかった為、一人で市販の薬を買い解決していた。



しかし、ある時、ヘルペスができる時の法則に気がついたのだ。

その時にはもう、10回以上この病気に悩まされた後ではあった。



強烈なストレスを感じた時に、ヘルペスが発症する


ということに気がついたのだ。


それは、高校2年生の
バレーボーレ地区予選大会に出場した日のことだった。

私達の部活は、この地区予選大会では常に先輩が1位を守り続けてきた。

しかし、私達の代は、よく顧問から、
「歴代で一番技術のない代」と言われていた。

今思えば、その煽りのおかげで強くなれた部分はあるとも思うが。


そして、もう一つ
この地区予選大会というのは、かなり重要であった。私達は、それなりに強かったが、私立の強豪と良い勝負をしても負けてしまう可能性があった。


しかし、この地区予選大会で優勝すれば次のトーナメント戦で1戦目を戦わずして、勝てるシード権を手に入れることができるのだ。


かなり、重要な試合であるということは私達は散々顧問に言われていた為、自覚していた。





試合当日、私はプレッシャーに弱いタイプであり、吐き気と震えを必死で堪えていた。

そうはいっても、平然を装いながら、
セッターの役割を果たしていた、と思う。



スパイク練習をしていた時、突如キャプテンがボールを踏んでしまい、足を捻挫してしまった。

これが結構酷く、キャプテンは試合へは出ないことこが確定した。そして代わりに当時1年生であった後輩スパイカーが出ることとなった。


今でも、あの時の試合風景を鮮明に覚えている。

結果として、フルセットで私達は負けてしまった。


そして、試合会場の門の前で顧問にこう言われたのだ。


「お前のせいで負けた」と。


そう、私のせいで負けた。

3セット目、相手との差は2点差であった。相手から来たボールは、チャンスボールであり、差を縮めることのできる場面がやってきた。その時、私は、後輩スパイカーにトスを上げた。あのトスは「ツグ」として生きた3年間で一番不完全なものであった。


私達2年が主体となったチームで初めての公式試合、ここぞという時に後輩スパイカーに託してしまった。そして、顧問には「ツグのあのトスがなければ勝てていた」と言われた。


顧問から様々な言葉を浴びせられている瞬間、私は確かにいつもヘルペスができる場所がジンジンと痛むのを感じていた。


そして翌日、朝起きると唇の上が腫れあがっていたのだ。この時、私は確信した。

不定期に現れるヘルペスは私の内側のストレスから来るものだと。

高校生の時から他人と比べ我慢するタイプであった。だから、それをどうにかして吐き出したいという気持ちもなかったし、自分がストレスを抱えているという自覚もなかった。


そして、身体も強い方で滅多に風邪をひかない子だった。というのもあり、涙を流すこともせず、学校を休むこともしなかったが為に、ヘルペスの発症の際に全てのしわ寄せがいったのだと納得した。




後々判明したが、私は、小さい頃におたふくかぜしかなっておらず、水ぼうそうにはかかっていない。これもヘルペスを引き起こしやすい原因でもあったらしい。

当時、市販の薬を買っていたが、実際ヘルペスは内服薬を使用しないと治らないということも後に知った。


そして、このヘルペスとの闘い、健在です。



きっと私がどこかのタイミングで水ぼうそうにならない限り、これは一生付き合っていかなければならない問題なのかもしれない。


9月末に「父親」についての記事を書いたが、その父親のような人が自分の所属していた組織からいなくなって以来、かなりのストレスを日常で感じるようになってしまったのだ。

まあ、自身が送る生活で、私は今ストレスを感じていると自覚が出来ているというのは、大成長ではあるが・・・


やはりヘルペス様の威力には勝てず、5年ぶりくらいに最近発症してしまった。鏡に映る自分を見ながら、冷静に「うん、ストレス感じてるよね、知ってる。」と、内心思っていた。


しかし、5年もの間この物体を目にすることがなかったのは、自己表現という技を見に付けたからであろうと思う。根本的な性格は変わってないにしろ、「ストレスが溜まってて…」と、友人に打ち明けられるようにもなったし、なんかモヤモヤする時は自分の好きな洋服を着たらハッピーになったり、


ストレスを体が感じているということを自覚できるようになり、そしてその解消の仕方、若しくは、それを感じない幸福を手に入れる方法を自分なりに探していた。



人間が成長していく上で、自然なことなのかもしれないが、改めて意識してみると、もっと健康になるのでは、と思った。


一概にストレスを溜めるのは良くないと言ってみても、学校なり、職場なり、ネット上でさえも悩みは付き物です。

そんな時、限界を迎える前に、いつもとは違うことをしてみたり、好きなことに触れる時間を大目にとってみたり、些細なことで、身体への負担は減っていくのだろう、と思います。






p.s



私には、マアヤ、モヤミ、ツグ、という三種類の名前があります。






文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.