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モドレナイ話


喉の奥に力を込めて、
込み上げてくる熱を目頭で感じ、

震える声で、

私は「もう、戻れないかもしれない」そう言った。


「戻らない」ではなく
「戻れない」と自分に甘え、理由を作り、

ああ、また、強くなりそこなってしまった、そう思った。



「こんな家捨ててしまいたい」

何度もそう思った。

「早く棺桶に入った自分を見せたい」

そんなことだって願った。



親に壊されたこの心の治し方を私はまだ知らない。他人を救いたいと思うことすらも、自分の傷を癒すためなのかもしれないと感じてままならない。


目の前の10月16日生まれの男性を見ながら、「自由」について考えた。

4歳の娘さんとそっくりな真っ直ぐな瞳を見つめながら、戻れなかった時のことを考えた。


いっそのこと、戻れなかったほうが良いのだ。そんなことは頭でわかっている。何が自分を邪魔しているのか。


それは、あの閉鎖的な「場所」だった。

何度も逃げて、
でも、自分はやはり戻らないといけない運命だと言い聞かせ、戻ることを習慣化した。


そして、また

「愛されないこと」も、
「認められないこと」も、
「自分らしくいれないこと」も、



全ての「もう一度」をズタズタになった心臓が求めていた。傷つけられることでしか、繋がっていられないなんて、なんて惨めなのだろうか。

この鎖を断ち切ろうと思えば、チャンスはいつだってあったはずだ。



しかし、毎回私はあの「場所」へと戻っていった。

希望を持っていた時期などもう忘れてしまった。



文字では、痛みを綴った。

「自分は家庭を持つことを選ばない」と言い続け、共有することを恐れた。


その結果、これだ。


痛みにも慣れ、

むしろ、快感であるかのように、同じことを繰り返した。



少し目を潤ませて、何か昔のことを思い出しているような顔つきで男性は言った。

「戻れない時は戻れないんだよ」



戻ろうとしたことよりも
戻れなかった時のことよりも

「戻りたくない」今の気持ちを大切にしたい、瞬時にそう思った。


簡単に、また、戻ろうとしていた。


実際、「家を出ようか悩んでいる」と口では言ってみても、本心はもうとっくに決まっていたのだ。

こんな話をするだけで、戻った時のことを考え、声が出なくなるのだ。


身体はいつだって、サインをだしていた。





気づかせてもらったからには、今度はサインに従順になろう。






p.s

最近珈琲の大量摂取を我慢してます。

文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.