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ポリーニのピアノ、魂のこもったピアノ

3月の初め、ロンドンのロイヤルフェスティバルホールで行われたポリーニのピアノコンサートに行ってきました。それは、1月5日の誕生日で80歳を迎えたポリーニのバースデーリサイタルでもあったのです。

会場はほぼ満席。最後の曲である『英雄ポロネーズ』が終わった後、観客は立ち上がり、拍手が鳴り止むことがありませんでした。私も夢中で手を叩き続けました。80歳とは思えないほどに力強く心を揺さぶる演奏、いえ、80歳のポリーニこそが奏でることのできる、味のある演奏だったのです。しばらくはショパンはポリーニ以外の演奏は聞きたくない、私はそんな気持ちになっていました。

私の席は、舞台の後ろ側だったのです。鍵盤が見えるのでこの席を取りました。

どの曲も素晴らしかったのですが、個人的には、ショパンの『葬送行進曲』がとても印象に残りました。『葬送行進曲』だなんて言うと、なんだか寂しい感じがしてしまいますが、はじめの厳かなメロディーが途中で空へ昇るように広がっていきます。鍵盤の上を舞うポリーニの指、力の込められたタッチ、心の中で感嘆のため息が出ました。


マウリツィオ・ポリーニはイタリア、ミラノ出身のピアニスト。1960年の第6回ショパンピアノコンクールで、18歳という若さで優勝したことで一躍有名になりました。ポリーニの演奏は圧倒的に評価され、審査員全員一致で優勝が決まったと言われています。さらに、審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインは、「今、ここにいる審査委員の中で、彼よりうまく弾ける人がいるであろうか」という言葉を残したのです。

第5回1955年までのショパンコンクールでは、ソ連とポーランド出身のコンテスタントが入賞を占めていました。そして、第6回のコンクールで初めて、イタリア出身であるポリーニが首位を勝ち取り、それ以降西側諸国出身の入賞者が輩出されるようになったのです。しかもその時18歳、歴代最年少の優勝者。ポリーニの優勝は、新しい時代を切り拓いた、歴史に残る優勝でもあったのです。

そんなポリーニは、世界に名だたる「ショパンを弾くピアニスト」の一人として活躍しています。今回のコンサートでは、第1部ではシューマンの曲、第2部ではショパンの曲が演奏されました。

ここで少しポリーニの経歴を見てみましょう。

写真はWikipediaよりお借りしました

ポリーニの父親は建築家、母親は声楽兼ピアニストという芸術家系に生まれました。16歳でジュネーブ国際ピアノコンクールに出場し、見事に2位を受賞します。しかし、その結果はポリーニにとって満足のいく結果ではなかったのでしょう。翌年もまた同じコンクールに出場します。そして、また同様に2位という結果を残します。その時の1位該当者はいませんでした。

その後、ポッツォーリ国際ピアノコンクールで優勝を果たし、その翌年、18歳でショパン国際ピアノコンクールでの優勝へとつながります。

20代後半から30代頃のポリーニは、素晴らしい演奏技術の持ち主として世界を震撼させました。研ぎ澄まされた音色を響かせる、完璧なピアノ演奏を世界中に届けたのです。しかし、その後、歳を経ると共に技術的な衰えを指摘する人も出てきました。ポリーニの演奏は変わってしまった、との痛烈な言葉も囁かれました。

しかしその変化は、完璧で隙のない演奏をするポリーニから、自分の思いをこめて弾くポリーニになったという評価もあるのです。

ポリーニの経歴の中に、気になる時期がありました。それは空白の8年と呼ばれる期間です。ショパンコンクールでの優勝という栄華を手に入れたのち、入賞者に提供される演奏旅行やレコーディングなどのオファーを断り、ポリーニは世界の舞台へとつながる道を自ら閉ざしたのです。8年もの長い間。


ポリーニの演奏をライブで聞きながら、私は思っていました。自分が今感じているこの胸いっぱいの思いを、文章にして伝えたいと。

けれど、私はそれから記事を書くことができなかったのです。自分の中であらゆる思いが交錯してしまい、なんだかどうしても、記事が書けないのです。それから、noteを少しおやすみしてみることにしました。書くことも、読むことも。その間、ほかのことに時間を使いました。集中して読書をしたり、映画を見たり。

そんな時、たまたま『魔女の宅急便』を見ました。以前この映画を見た時は、たしか高校生でした。内容はほとんど覚えていませんでした。13歳で親元を離れて、自分一人で住む場所を決め、仕事をすると言う修行を課せられている魔女。張り切って旅立った幼いキキは、海辺の素敵な街を見つけます。失敗や試行錯誤を繰り返すキキを、街の親切な人たちが応援してくれます。私も画面のこちら側でキキを応援していました。しかしある時、キキの魔法の力が弱まってしまい、ネコのジジと会話ができなくなり、箒にまたがって飛ぶこともできなくなってしまうのです。そんなキキを見て、友人が気分転換に誘ってくれます。そして、別の大切な友人の危機を救いたいという強い思いによって、キキは再び飛べるようになるのです。

私もまるで修行中の13歳のキキと同じでした。モヤモヤした思いを抱え、はっきりした気持ちが見えなくなっていたのだと思います。そして、気分や環境を変えることで、また書きたいと思えたのです。


ポリーニが8年間世評から離れていた理由は、健康上の問題なのかという説もありました。けれど私は、まだ若いポリーニは、自分のピアノ演奏の技巧を高めるためにもっと勉強が必要と感じていたのではないかという説を信じます。世界的なコンクールでの優勝という頂点だけを目指し、無我夢中で努力をしてきたポリーニ。圧倒的な評価を得てトップの座を手に入れた後、なにかモヤモヤした思いがあったのではないでしょうか。私にはそんな風に思えるのです。私のような凡人の気持ちと、このように世界的に活躍するポリーニが同じであるとはもちろん思いませんが、少しだけ、重ね合わせてみても許されるでしょうか。同じ人間であることには変わりないのですから。

ポリーニは、8年経って再び世界を舞台に立ち上がりました。それから完璧なピアノを世界中で弾き続けました。けれど、いつの日か、これまで通りの完璧な演奏ができなくなってしまったのかもしれません。そして、その時、弾き方を変えることを選んだのではないか思うのです。自分の感情を込めた自分らしい弾き方を。

ロンドンで行われたこの80歳のバースデーコンサートについて、英国の新聞ザ・タイムズの見出しにはこう書かれていました。

「80歳を迎えた伝説のピアニストが、魂のこもった演奏を披露」

そう、まさにポリーニの演奏には魂が込められているように感じたのです。私でもわかるようなミスタッチもありました。けれど、それもまた80歳のポリーニの演奏の味であり、その魂のこもった音色が聴衆を魅了したのです。

80歳になっても、なにか魂を込めて誇り高く打ち込めるものがある生き方をしたい、そんな風に思います。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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