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<短編小説>思い出のマスコット

 幻想的なオレンジの淡い光が海に近づいてくる。異世界への入り口のように神々しいサンセット。ニューカレドニアの海が見渡せるホテルラウンジのテラス席に座り、暫し現実を忘れる。ハッと我にかえり、カバンから黒ネコのマスコットを取り出す。白かったお腹も、年季が入ってすっかり薄汚れている。ホテルのロゴ入りコースターの上に置いたカクテルグラスに、ネコを寄り掛からせる。海辺のサンセットをバックにグラスとネコを入れて写真を撮る。

 さっそくSNSにつぶやきを投稿する。

「天国にいちばん近い島、ニューカレドニアのサンセット。悩みごとも全て吹き飛んでしまうような美しい海辺」

 すぐに何人かのSNS仲間からコメントが入る。

「うわー、きれい! 羨ましい!」
「ゆっくりニューカレドニアの旅行を楽しんでね~」

 SNSで繋がる仲間がこんなに温かいだなんて、始めるまでは思っていなかった。学校や職場を通してできた仲間とは違って、自分の顔すらも知られていないのに、身近な存在になっているのだから不思議だ。

 このネコのマスコットは、中学生の時、親友のかおるちゃんと一緒に買ったものだ。私がネコで、かおるちゃんがイヌ、お揃いで買っていつも学生鞄につけていた。

 中高一貫校の女子校に通っていた私たちは、高校受験をする必要もなく、お気楽な中学3年生だった。いや、実際本人たちは部活やクラスの仲間のことでそれなりに悩んでいたのだ。

「人生うまくいかないこと多いよね」

 中学3年生のくせに、そんなことを二人でよく話していた。それを聞いた母は言った。

「人生うまくいかない、なんて、この先もっともっと感じることよ」

 今でもあれこれ悩んでいるのに、この先さらにもっと悩みが増えていくなんて、どうなってしまうのだろうか。15歳の私たちには、その時の世界が全てであった。

 かおるちゃんの家に遊びに行った時、リビングの本棚に数年前の雑誌があった。何気なく手にとって開いてみると、青い海を背にして、白い砂浜の上にショートカットの原田知世が座っていた。『天国にいちばん近い島』の映画の記事だった。そう、それはニューカレドニアの海だったのだ。

「こんなきれいな海辺に座って過ごせたら、悩みなんかなくなっちゃうだろうね」
「ほんと。こんなところに住めたらいいな」

 中学生の私たちは言った。

 あれからもう四半世紀以上の年月が経っている。私は会社勤めをしながら、作家を目指して新人賞に応募していた。そして、2年前にめでたく新人賞を獲得することができた。晴れて作家デビューとなったわけだが、現実はそう簡単ではなかった。新人賞を取ったくらいで作家としての生計が立てられるわけではない。仕事は続けた方が良い、あらゆる人からアドバイスをもらい、そのまま仕事も続けた。しかし、それから作品を書いてはみたものの、鳴かず飛ばず。この先どうしたら良いのか気持ちが焦るばかりで、どん詰まりから抜け出せずにいる。中学生の頃よりはるかに、人生うまくいかないことが多い。母の言葉が身に染みてわかった。

 そこで、心機一転を目指し、一人旅に出ることにした。旅先でなにか新しいネタを仕入れ、人気作品が書けることを期待していた。

 行き先はどこが良いか。ヨーロッパの街を一人で歩くのも良い。ドイツのノイシュバンシュタイン城が表紙を飾る旅行雑誌を買い、ページをめくった。するとそこには海辺のリゾート地の広告があった。

「あ、ニューカレドニア」

 それから、2週間の休暇を取り、私は一人ニューカレドニアのヌメア空港へと降り立った。

 翌朝、ヌメアの街を歩き、市場や大聖堂を訪れた。午後はビーチでのんびり過ごした。早く面白い小説を書かなければいけない、という焦燥感から解放された気分だった。かつて、かおるちゃんと一緒に雑誌で見たニューカレドニア。結局映画は見ていない。そして、あれ以来ニューカレドニアという地名が頭に浮かぶこともなかった。それなのになぜか、ニューカレドニアという場所に、なにか特別な愛着を感じていた。

 かおるちゃんとは、高校を卒業した後、別々の進路を歩んだ。年に数回は会い、それから会うことがなくなっても年賀状だけは出し合っていた。しかし、それもいつの間にか途切れてしまい、今は全く連絡を取っていない。砂浜のデッキチェアに横になり、あの時みたいにかおるちゃんが隣にいたらどれだけ楽しいだろうか、と思いを巡らせる。なんだか少し寂しい気持ちになってきた。

 夕方早々にビーチから引き上げ、ホテルに戻り、このラウンジにやって来た。カシスオレンジに入っていた氷が溶け、グラスは水滴で覆われていた。いつの間にかオレンジ色の夕焼けは消え去り、眼前に広がる暗い空がどことなく郷愁を誘っている。

 中学生の頃は、毎日学校で会っているのに、家に帰ってからもかおるちゃんと電話で話をしていた。何をあんなに一生懸命語り合っていたのだろう。ほろ酔い気分になり、若いくせに人生は大変だなどと言っていた自分が微笑ましく思え、一人苦笑いをする。

 あの頃もしすでにSNSが流行っていれば、今でも気軽に連絡を取り合うことができたのではないか。いや、今からでも遅くないかもしれない。実家に手紙を書けば、まだ連絡がつくかもしれない。けれど、今さら何を手紙に書くことがあるだろう。10年以上も音信不通になってしまったというのに。顔を知らないSNS繋がりの友には気軽に連絡できるのに、同じ学校で仲良く過ごした仲間には連絡をためらうなんて、まったくおかしな話だ。

 再びスマホでSNSのアプリを開く。先ほど投稿したつぶやきに、また新しいコメントが入っていた。見たことのない名前だった。

「人生うまくいかないことも多いけれど、ニューカレドニアで悩みは吹き飛びましたか? 私も今からそちらに行きます!」

 アイコンをよく見ると、それは見覚えのある写真だった。長い年月を経ていると感じられる、茶色いイヌのマスコット。

 私はもう一度コメントの文面を見つめた。その時、一人の女性がテーブルに近づいてきた。

「まだそのネコのマスコット持っていたんだね」

 彼女は笑顔でイヌのマスコットを私の前にかざした。

「何年ぶりだろうね。私ね、きっといつかまたここで会えるって思っていたんだよ」

 かおるちゃんは、ニューカレドニアに住みたいと言った夢を叶えていた。



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