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再出発、輝かしく

10月から働き方が変わった。昨年の3月終わりから在宅勤務が続いていたが、スタッフでローテーションを組み、週1回出社することになった。

およそ1年半ぶりに出社するという前日、なにが必要だったか考える。そうだ、久しぶりにお弁当を作らなければいけない。それから、持っていかなければいけないものが次々出てくる。昨年オフィスの部屋を縮小するため、私が働いている部署は一度全員荷物の整理をした。その際、家に持ち帰っていたものもある。お茶を飲むためのマイマグカップ、緑茶のティーバック、それに歯ブラシなど。エコバッグに一式詰めると、結構な荷物になった。

朝少し緊張しながら支度をする。なんだか別の新しい会社に行くみたいな気分。ドライヤーで髪を整え、これまでだったら最後にしていたことが今は必要ない。それは、ピアスをつけること。

昨年のロックダウンで家に籠るようになると、ピアスをすることがなくなった。たまに買い物に行くときにはつけていたが、しばらくつけていないと、耳に開けた穴が小さくなっている。なんだか痛い。それを繰り返していたが、ついに思い立った。もうピアスやめよう。

高校生の時、新人の若い女の先生が教室に入ってきた。すると、クラスメートが言った。

「先生、ピアスしてるの?」
「ピアスを開けると人生変わるっていうけど、変わった?」

 女子校だったためか、新しい若い女の先生にみんな興味津々だったのだろう。敬語を使っていたような、いなかったような。ずいぶん前のことなので、記憶はかなり曖昧だ。でも、先生の答えは覚えている。

「ピアスを開けなかった時の人生がどうなっていたかわからないから、ピアスをはじめたから人生が変わったのかどうかなんてわからないよ」

サバサバした先生からは、いみじくも現実的な答えが返ってきた。夢見る女子高生の私たちはがっかり。

大学生になり、2年生になる前の春休みに、私は友達と一緒に耳鼻科へ行ってピアスを開けた。それから、出かけるときは毎日ピアスを選んでつけることが習慣になっていたのだった。

社内は密を避けるため、同じ部署の人たちは二人か三人が出社するだけ。同じ部署の人達とは、在宅勤務中もたびたびオンライン会議などで顔を合わせているので、それほど久しぶり感はない。けれど、他部署の人に会うのは、実に1年半ぶり。

「おはようございます。お久しぶりです!」

これまでお互い顔見知りではあったが、挨拶以外に立ち止まって会話を交わすような仲ではなかった。けれど、1年半ぶりにお互い知っている顔に会えた喜びから、自然と会話が始まる。そんな挨拶を数人と交わした。

さて、お昼のお弁当を食べ終わり、コーヒーが飲みたくなったので、会社の隣のカフェに買いに行った。すると、レジの前に長蛇の列ができていた。近隣のオフィスにも、戻ってきた人たちがたくさんいるということなのか。仕方なく諦めて部屋に戻り、他部署の女性に話す。

「下でコーヒーを買おうと思って行ったら、ものすごく長い列だったので、あきらめたんですよ」
「そう、朝もたくさん人が並んでましたよね。以前はこんなに混んでなかったのに。でも私さっき行った時はそれほど並んでいなかったんですよ。よかったら私あとで買って来ますよ。サブスクしてるので」

そういえば、カフェにサブスクリプションの張り紙があったけれど、よく見ていなかった。彼女によると、1日5杯までコーヒーが飲めるのだそうだ。それなら私もサブスク始めようか? いやいや、週1の出社ならサブスクの必要はない。彼女は朝と昼食後、すでに2回コーヒーを飲んだので、しばらくいらないし、5杯も飲まないから買ってくる、と言ってくれた。じっと座っているよりちょっと歩きたいし、と大変ありがたいオファーをいただいたので、お言葉に甘えてコーヒーをいただくことにした。来週は私がおやつを用意しよう!

久しぶりに会社に来ると、こうして同僚と言葉を交わし、予想外の嬉しい出来事もあるものなのだ。

別の同僚との会話。

「私は家で仕事をするとなんだか集中できないのですよね。家内から強制的に家事を手伝わされたりして」
「ああ、そうなんですか。でも、在宅勤務だと、仕事の合間に洗濯をしたり、植物に水をあげたりできるので快適なんですよね」
私は答えた。

月曜日から金曜日まで、終日出社、残業まですると洗濯をするタイミングを逃してしまう。これは以前からずっとストレスだった。仕事をしながら洗濯をまわして干せる、ということはかなり嬉しいことだ。その男性も、家のことができることは良いことなのだが、奥様に強制的に手伝わされることがいやなのだそうだ。なるほど、それもそうなのだろう。在宅勤務が良いか悪いかは、本当に人それぞれなのだなと思った。

仕事中、どうしても印刷したい書類がある時やスキャンしたい時などは、やはり会社が便利だ。自宅では、会社支給のラップトップに、オフィスのパソコンをVPNで繋いでいるため、VPN接続のまま印刷しようとしても、家のプリンターには繋がらない。一度自分のプライベートのアドレスに転送し、それからプリンターに繋いで印刷する。かなり面倒だ。会社にいれば、クリックするだけでさっと印刷ができる。早い、便利だ。

しかしその後、スキャンをして送ろうとすると、スキャナー機能を使う際の個人のパスワードが思い出せない。呆れたように上司がやってきて、上司のパスワードを使い、私のところへスキャンを送ってくれた。パスワードはちゃんとノートに控えているが、そのノートも今は家。こういうことは次々と出てくることだ。久しぶりに開く共有ファイル。その際のパスワードやログインコード、なんだっけ?

「やっぱりみんな週に1回でも出社して、以前のオフィスワークのやり方を思い出さなければダメだな」

上司は言う。まあ、確かにおっしゃる通りなのですが。

定時で上がって家に帰ると、もう7時頃。それから支度をして夕食を始められるのは8時。在宅勤務なら、夕方6時頃から食事の支度を始められ、夕食も早い。それから寝るまで、自分の時間がたっぷり取れる。その時間が、私にとってどれほど大切な時間であるか。

1年半前、会社の近くでは大々的にビル工事が行われていた。駅まで工事現場の横の細い道を通っていた。それが今は立派なビルが完成し、緑の憩いの空間が出来上がっていた。

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ピアスを開けたら人生が変わるのか、それはあの時先生が言ったように、実際人生が変わったのかどうかなんて誰にもわからない。けれど、ピアスの穴を閉じたことにより、また別の人生への道を歩んでいるのではないか、今私はそう思いたい。

この1年半、私には自分を見つめる時間がたくさんできて、本当にやりたいことも見えてきた。オフィス勤務の時間が戻ってきて、以前の生活が戻ってくるとしても、今はもう以前と同じ自分はいない。

巣ごもり生活からの再出発が始まったけれど、パンデミック前と同じように過ごすのではなく、輝かしい時間を過ごしていこう。工事現場で薄暗かったところに、堂々と立っている輝くビルを見て、そう誓った。


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