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【配給会社ムヴィオラの映画1本語り】『春江水暖〜しゅんこうすいだん』⑪「河(川)の映画」というものがある気がする

ちょっと入稿続きで、間が空いてしまいました。

とある新聞社の映画記者Iさんとメールのやりとりをしていたら、「「河(川)の映画」のことを思い出した。Iさんは昔、パオロ・ソレンティーノの『グレート・ビューティー/追憶のローマ』の映画評を書いていたのだが、そのテベレ川の描写が見事で、文章を読んで「このテベレ川を観なくては!」と映画館に駆けつけた。後日、お会いした時に「川の映画がお好きですよね」と言ったら、「そうなんです!」と破顔した。そうですよねーと私は調子に乗ったが、お酒の席ではいつもご機嫌なIさんだから、それは美味しいワインに向けた笑顔だったのかも知れないと、今になって気づいた。

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それはともかく、私が『春江水暖〜しゅんこうすいだん』に強く惹かれたのは、この映画が「河の映画」でもあるからだった。映画好きはきっと「アクション」とか「コメディ」とかのジャンルと別に、勝手に「河の映画」とか「車の映画」とかそんな記憶のポケットを作って個人的な「推しジャンル」を持っていると思う。私の場合は「河の映画」「電車(列車)の映画」「車の映画」「水の映画」かな。

例えば「電車(列車)の映画」ならばジョン・フォードのサイレント『アイアン・ホース』から何度もnoteで触れている『恋恋風塵』、ワン・ビンの『鉄西区』はもちろん。知人が配給したアルゼンチン映画今夜、列車は走る』鈴木卓爾監督の『嵐電もとてもいい。別に「鉄女」ではないのですが。でも、ガタゴトと走る音を聞くだけで胸が高鳴る。列車が出てくる映画と聞くと観たくなる。もっとも全く興奮のない列車が出てくる映画もあって、そういう時はすごくガッカリする。きっとそんなふうに、「脚の映画」とか「夜の映画」とかが堪らない、という人もいるに違いない(いて欲しい!「推しジャンル」話がしたい!)

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さて本題の「河」である。河の映画は海の映画と全く異なる様相をもっていると思う。海よりも穏やかで、どこか人生の諦念とも重なりながら、時間が流れている、そんな印象がある。河(川)が登場する映画は古今東西数えきれないが、今、ふと頭に浮かんだのは、ジャン・ルノワールピクニック』。これはもう木漏れ日も風も雨も素晴らしいのだが、歳を重ねるにつれて「川」が印象に深くなってきた。ルノワールにはそのものずばり『河』という映画もあるが、『ピクニック』デジタルリマスター版を観た時、その川が、時の無情も悲しみも感じさせてとても胸に響いてしまった。

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『春江水暖〜しゅんこうすいだん』に流れる河は、舞台である江南地方の富陽を流れる大河・富春江だ。映画の冒頭の祝宴の場面に河は出てこないのだが、「富春江でとれたスズキだよ」というセリフでスズキの蒸し物が出された時に、これは河の映画かなと、アンテナがピピッと反応した。そして冒頭のシークエンスが終わると画面は真っ暗になり、スクリーンに詩のような文章の漢字が浮かび上がり、「富陽は富春江に面した都市だ」「河は杭州を通って東シナ海に注ぐ」と字幕に出る。やがて水の音が聞こえ、朝ぼらけの河をゆく漁の小舟が映る。そして「春江水暖』というタイトル。ここらへんがドウ・ウェイの曲とも相まって、とても素晴らしい。

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さらにその次の場面は陽が上りきった富春江で、映画の中心人物である長男が歩いてくるのだが、朝になりきらぬ先ほどのシーンで川面に映る小舟の灯と呼応するように、太陽の光が筋になって富春江にあたっている。それがとても綺麗で、いいなぁと思わず心の中で呟いた。

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この映画では重要なことの大体に河がある。映画評などで皆さんが触れてくれる10分53秒の「君は歩いて僕は泳ぐ」ロングテイクも、お見合いも、結婚式も、そしてお婆さんの行方を案じて戻ってきてと祈るのも。そしてエンドクレジットの河が、これがもう見事で見事で。もう配給せずにはいられない!と、配給会社の買い付けを任ずる身としては、だいぶ冷静さに欠ける危険な状況に。本当にやられました。

グー・シャオガン監督は「山水画の美学」を映画にするのだと心に決めて映画を撮ったというが、まさに後景に存在し続ける「河」の前景に市井の人の物語があって、そこには遥かな昔もやがてくる未来につながる時間も、しっかりとスクリーンに映っているようでつくづくと感心したのでした。

2021年1月26日 ムヴィオラ 武井みゆき

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