【追悼】アディバさんとの思い出
2022年6月18日。
ヤスミン・アフマド監督作『タレンタイム〜優しい歌』の“アディバ先生”、『細い目』の“ヤムさん”でおなじみのマレーシアの女優・歌手のアディバ・ヌールさんが51歳の若さで亡くなりました。クアラルンプール発のニュースによると、彼女は卵巣がんを患っていたとありました。記事の中には少し辛い記述もありますので、ここに全訳するのは控えますが、お時間ある方は下記からどうぞお読みください。
https://www.nst.com.my/lifestyle/groove/2022/06/806108/showbiz-adibah-noor-succumbs-cancer-nsttv
彼女を知る人の「マレーシアは、輝く星、宝石、そして何よりも思いやりのある親愛なる友人を失いました」という言葉に胸がつまります。
そしてこの記事では52歳となっていますが、アディバさんは1970年9月3日生まれ、まだ誕生日を迎える前でしたので、亡くなった時は51歳。不思議なことにヤスミン監督が亡くなったのも51歳だったのです。
2009年に亡くなったヤスミン監督の遺作『タレンタイム』を、ようやく2017年に全国配給した私にとって、アディバさんは、会うことのできなかったヤスミン監督の声を聴かせてくれる大切な人物の一人でした。
2017年、シアター・イメージフォーラムでの『タレンタイム』の初日のために、監督にゆかりのある方をマレーシアから迎えたい。そう考えた私は、当初はやはり音楽のピート・テオや高校生を演じた若い俳優、または『タレンタイム』には出ていなくてもスタッフとして参加していたヤスミン映画に欠かせない女優のシャリファ・アマニを思い浮かべました。
けれど、ピートもアマニもすでに何度か日本を訪れています。誰に会えたら、観客は一番喜んでくれるだろう。そう考え、ヤスミン映画を見るうちに、ふと「アディバ先生やヤムさんこそ、まさに古い因習を破っていくヤスミンらしいキャラクターだな」と思いました。映画に出る女性は“ほっそりモデル体型”が常識だった時代に大らかで威厳さえある『タレンタイム』のアディバ先生はアヌアール先生に思いを寄せられて迷惑そうなそぶりがとても魅力的で、『細い目』のヤムさんは、お手伝いさんなのに“雇い主”だからと家族にへりくだることなど一切なし、堂々と、そして懐の深い振る舞いが素敵でした。
多民族国家マレーシアでさまざまな因習を軽やかに超えていったヤスミン映画らしいキャラクター、それがアディバさんの役柄だったと言えるでしょう。
私はアディバ・ヌールさんをご招待することに決めました。アディバさんは日本に招ばれたのは初めて、まるで夢みたいと、とても喜んでくれました。
来日中の思い出も含め、今日から少しずつアディバさんのことを紹介したいと思いますが、一番初めに、2017年3月25日、『タレンタイム』上映後のトークで彼女がお話ししたことを紹介させてください。
アディバさんが語るヤスミン監督の最期:実は、ヤスミンが倒れたと聞いて、私たちはすぐに病院に行き、夜通しそこで過ごしました。彼女はやがて昏睡状態に陥ってしまいました。ヤスミンのご両親はその時ランカウイ島に行っていました。ヤスミンがご両親を「休日を楽しんできてね」と送り出したんです。彼女はその日、仕事のミーティングが入っていて、そのミーティング中に倒れました。これはヤスミンのご兄弟から聞いた話ですが、ご両親がクアラルンプールに戻ってきたとき、とくにお母様が動揺されていたそうです。お母様はあまりに衰弱し、ヤスミンと反対側の病棟、病院の北と南に分かれるように入院することになりました。そしてヤスミンの昏睡状態は続き、お医者様は「もう為す術がない。生命維持装置を外してもいいでしょうか」とご家族に聞かれました。「母に許可を得てきます」とご兄弟がお母様のところに行き、お母様が「いいですよ」と答えた、その瞬間。まさにそのタイミングで、ヤスミンは息を引き取ったんです。つまり、誰にも生命維持装置の電源を切らせることなく、自分自身で、まるで自分がその許可を得たことを知ったかのように旅立っていったのです。
アディバさんは話しながら泣いていました。通訳の松下由美さんも訳しながら泣いていました。私もその話を聞きながら泣きました。トークショーという舞台の上で、あれほど泣いたことはありませんでした。
あの時のことを思い出すと、またも鼻がぐすぐすとしてしまいますが、ヤスミンと並んだアディバさんが、「さ、笑いなさい。みんなで映画を楽しむのよ」と、あの包容力に溢れた笑みを浮かべているような気がします。
ムヴィオラ 武井みゆき 2022年7月6日
アディバさん追悼上映を全国で行えることになりました。ご賛同くださった映画館の皆様ありがとうございます。追悼上映の情報はこちらです。