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日本にも階級社会はある。映画「あのこは貴族」

公  開:2021年
監  督: 岨手 由貴子
時  間:124分
ジャンル:ドラマ
見どころ:家の中の小道具

お金があっても、なんだかぱっとしませんわメ~

日本は、イギリス等と違って階級社会というのは存在しません。

しかし、「あのこは貴族」では、日本においても存在する見えざる階級社会について言及した作品であり、それぞれの階層における人間の悩みを描く、圧倒的な面白さと完成度を誇る作品となっています。

東京で何気なく電車にのっていても、乗り降りする駅によって人々の様相というのは違うものであり、良くも悪くも住み分けがされているというのは、肌感覚で感じる方もいると思います。

残酷ではあるものの、改めて見てみると、日本において何が階層として意味しているのかが如実にわかる作品ですので、感想&解説を書いていきたいと思います。

地獄の婚活巡り

門脇麦演じる榛原華子(はいばら はなこ)は、いわゆる良家のお嬢さんです。

物語の冒頭で、華子はタクシーに乗って、親族恒例の元旦のお食事会へと赴きます。

その途中に流れる景色をみるだけで、本作品が何を描きたいかがわかるところに、監督の手腕を感じるところです。

きらびやかな東京の景色と、一方で夜中でも明かりをつけて行われている工事風景

東京という町が何によってつくられているか、どういう人たちによってつくられているかがわかります。

ただし、当人である華子は、スマートフォンを見ていて、顔を上げていても景色は目に入っていません。また、タクシーの運転手さんに声をかけられても、気づきもしません。

少なくとも、華子という人間は、庶民側ではないことが映し出されているのです。

そんな華子が、元旦に婚約者と別れ、気乗りしない気持ちでホテルのディナーに向かうのです。

案の定、親族からは、新しい恋人を探すべくお見合いを持ち掛けられ、華子の地獄めぐりのような婚活が始まります。

日本の階級社会

割れ鍋に綴じ蓋なんて言葉がありますように、世の中大なり小なり、気の合う人と恋人になるものです。

しかし、今の世の中ですと、なかなかそうもいきません。

華子は、家柄的には釣り合っているけれど、まともに人の目も見れないような男とお見合いをしてみたり、姉の紹介で、ハイスペックだけど人格が破綻している人と会ったりして、幻滅したりします。

(結果として、つり合いだけ考えると、お見合いで合った人が一番つり合いがとれているところは、皮肉だったりします)。

ちなみに、華子の姉がサバサバしているようで、あまり内面的には品のいい人ではなかったりして、そのあたりが友人関係にも表れています。

実は、家族の中であっても内面的には階層があることが示されているところが面白いです。

「普通が難しいって言ったのは、姉さんでしょ」

その人にとっての普通とはどういうものなのか

階層ごとの普通が示されているのを注目するだけでも、本作品の見え方は大きくかわってきます。

下もある。

華子の地獄めぐりで面白いのは、ネイリストさんに紹介された人と場所です。

マッチングアプリでの恋人紹介をすすめられたりして、華子の恋愛観はどんどん崩れていきます。

このあたりは、だれしも起こるであろうことですし、漫画でも映画でもなんでもいいですが、倫理観が崩されることで、捨て鉢な感じになっていく様がうまく描かれています。

ネイリストさんの紹介で出会った人とは、おしゃれなレストランや、バーではなく、ザ・居酒屋といったところになってまして、華子のようなお嬢さんからすると、気が狂いそうになるような場所となっています。

トイレに一時避難しようとした華子は、あまりの汚さに、逃げ出してしまいます。

華子からすれば下の階層にある人と会ったところで、セカイが違い過ぎて、そもそも、対話にまでたどり着かないということがわかります。

探そうとすると、自分に合った人というのは簡単に見つからないということがわかり、絶望しているところに出会うのが、青木幸一郎という、さらに上流階級の人物だから、華子がぞっこんになってしまうのもわかるというものです。

上もある。

我々のような庶民からすると、華子という人物も十分すぎるほどにお金もちであり、上流階級の人間に見えるのですが、華子からしてもさらにランクが上の人物が青木幸一郎になります。

名前の命名からして、政治家になったときに覚えられやすいように、一郎とか、太郎とかそういう名前をつけられている、というエピソードがでてきます。

この話を聞いてから、政治家の名前が気になるようになったのは内緒です。

しかし、これはこれで漫画とかにでてくるような超有力家系の悩みがありまして、求められることは多く、お金や人脈はあっても、決して幸せそうにはみえません

圧倒的な高スペックである幸一郎に見初められた華子ですが、決して嬉しくない現実が見えてくるのです。

一般人から見た貴族

どこまでもきらびやかな世界と、その中でも婚活しなきゃならない苦しい現実を見せられた後で、水原希子演じる時岡美紀をみると、多くの観客のみなさんは、このあたりが庶民だよ、といういい感じの映像を見せられます。

ただ、今まで華子の世界をみていただけに、タクシーではなく、弟が運転するやんちゃな車で田舎町を走る姿に、悶絶することでしょう。

荷物であふれた居間で、一升瓶片手に酒を飲むオヤジ。

中学か高校時代のジャージを寝間着代わりにつかっている水原希子の演技があまりにうまいので、映画を見ている最中、感情の上下幅がすごいことになります。

水原希子演じる美紀は、いわゆる成り上がりタイプであり、田舎から東京にでて実力でのし上がろうとした結果、うまくいかなかった人物です。

とはいえ、水商売をやりながら、自分なりに上をめざそうとする野心家であり、現代社会において正解はないにしても、どういう風にしてこの階級社会の中で生きるのか、という視点を、力強く打ち出した存在として描かれます。

同じ人間なのか。

さて、大学時代の美紀は、5000円近くするアフタヌーンティーを飲む学友たちに驚きながら、階級の異なる人物たちをして、山下リオ演じる同郷の子と「あの子は、貴族」と確認しあいます。

同じように景色をみたり、お茶を飲んだりしていても、全然感覚が違う、ということがわかるエピソードが満載となっており、それが様々な小道具によってよりクリアに演出されているのがポイントです。

話は変わりますが、自分自身の努力や意識によって階級が異なっているのをみせている有名作品といえば、「プラダを着た悪魔」です。

本作品も、オープニングにおいて、3人の異なる階級・意識の女性が現れて、アン・ハサウェイ演じる主人公のアンディがいかにダメな女性かが示されているところがポイントとなっています。

「あのこは貴族」においては、様々な角度から、日本の階級意識が浮き彫りにされている出色の出来栄えの作品となっています。

特に、田舎からでてきた美紀と、その友人の里英の会話が、東京という場所の厳しさを教えてくれます。

「私も就活してたころ、奥さんいる人と付き合ったことあるから。そのぐらいのころって、年上の男に騙されちゃうじゃん。田舎からでてきて、搾取されまくって。もう、私たちって東京の養分だよね」

巨大な養分の上になりたつ東京の、さらにその上に立つ貴族たちの物語。

救いはあるのか。

物語の細かい結末については書きませんが、「あのこは貴族」において、一応、階級社会という窮屈な世界で生きる存在が、少しだけ救われたような内容を示した物語は終わります。

しかし、水原希子演じる美紀とその友人は二人で頑張ろうとしますが、幸せなのかというと、そうは見えません。

ただ、不安はあるでしょうが、自分なりに進もうとしている。

青木幸一郎という人物も、家を継ぐという巨大すぎる使命を背負い、重圧の中で決して幸福そうではありません。

華子も友人と一緒になんとかもがいていますが、友人にとって華子が本当に必要なのか、ということも含めて決して明るいだけの未来が示されているわけではありません。

しかし、たどたどしいながらも、華子が箱入りのお嬢さんだった状態からは抜け出そうとしており、誰かに決められたふわふわした道を歩ているわけではないということがわかるラストとなっています。

田舎だろうが都会だろうが、階級社会というのは色々なところでみてとれます。

それは、買い物をするスーパーでも違います。

格安スーパーにはその価格帯の、高級食材を取り扱った店にはその店の、客層というのがあって、着ている服装や家族構成も異なっています。

「あのこは貴族」は、その階級を一方的に悪いとか良いとかではなく、それぞれの立場の人たちにスポットを照らしている良作となっていますので、是非、見ていない方はみてみてもらい、改めて見返してみてもらいたいと思います。

以上、日本にも階級はある。映画「あのこは貴族」でした!


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