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ギャンビット好きへのオススメ映画「ボビー・フィッシャーを探して」感想解説

メ~メ~、ということでこんばんは。

Netflex配信のチェスドラマ「クイーンズ・ギャンビット」は、女性が生活するにはまだ難しい時代の中にありながら、圧倒的な実力を武器にチェス業界をのし上がっていく主人公を描いた、痛快チェスドラマとなっています。

チェスというゲームそのものは知っていても、チェスのルールは知らない、という方も多いと思いますが、「クイーンズ・ギャンビット」をみてみると、顔芸でその勝敗がわかってしまうところに面白さの秘訣があるところです。

さて、そんなチェス作品でチェスの魅力を感じてしまった人は、もう少しチェス作品にふれてみたいと思うのではないでしょうか。

本記事では、チェス映画としては必見の「ボビー・フィッシャーを探して」について、語るヤギことメーメーによる感想と解説をたっぷりとしていきたいと思いますので、視聴したときの参考として、ぜひご覧いただきたいと思います。

ネタバレを気にする方は、映画をみてもらってからの答え合わせとして、まだ見ていない人は、途中まで見てからまた戻ってきてもらえるとちょうどいいかと思いますので、よろしくお願いします。



チェス映画の魅力

「クイーンズ・ギャンビット」をすでに見ている人は改めて説明するまでもないと思いますが、この手のテーブルゲームというのは、正直非常に地味です。

何が地味かといえば、肉弾戦が行われるわけでもなく、派手なファンファーレがなるわけでもない。

頭脳バトルと言ってさしつかえのないこのゲームを、実写で伝えるというのは、ある種の素養が必要と考えてしまいがちです。

「ボビーフィッシャーを探して」についても、チェスのことをまったく知らなくても楽しめるつくりになっており、それは、「クイーンズ・ギャンビット」も同様です。

登場人物たちの表情の変化をみていくだけでもその優劣がわかってしまうところですし、「ボビー・フィッシャーを探して」は、早指しをこれでもかと見せてくるところも、ゲームの白熱具合を見せるのに一役買っています。

「スピードチェスはやめろ。楽しくても、ためにならない」

と、コーチは言いますが、チェスの戦いにおいては、この早指しのテンポの良さが、ルールを知らない人間でも楽しめるポイントになっています。


実は子育て映画

「ボビー・フィッシャーを探して」の面白さは、チェス映画を題材にしつつも、複数のテーマが隠されているところにあります。


主人公である天才チェス少年ジョシュをメインで物語を見た場合には、天才的なチェスの実力をもつ少年が、まわりの大人たちに遠慮しながらも、最終的には自分の生きたいように生きるようになっていく、という点を描いた作品として読み取ることができます。

ですが、主人公の親や、その関係者からみたときには、この映画は、子育て指南映画へと変わるのです。


主人公の父親であるフレッドは、自分の息子の才能に気づきます。

正確には、母親こそがその才能に気づいて、フレッドに伝えるところが憎い演出です。

そして、主人公であるジョシュは、これから起こるであろう自体を予想してか、あえて、実力を隠すようにしていたこともわかるところです。

初めに書いておきますが、ジョシュは自分の才能がわかれば、周りが変わってしまうかもしれないということをよくわかっていたのです。

実際、父親であるフレッドは、息子のチェスの才能をさらに開かせるために、最高のコーチを探し出して、息子と出会わせてしまいます。


少年の心は傷つきながらも無垢

チェスの有名なコーチであるブルースは、彼の才能に心奪われます。

そして、物語の前半では、彼をチェスの道にはまらせるために、彼と遊びます。

ジョシュは、圧倒的な才能をもっているため、おそらく、世の中に退屈しているきらいがあります。

だからこそ、彼は、自分の思い通りにならない野球であったり、そのほかのことも含めて楽しもうとするのです。

ブルースは、チェスの道にはまらせるために彼と一緒に遊びます。

ジョシュにとってすれば、ようやく自分と同等以上の遊び相手が見つかって楽しかったのでしょう。すぐに仲良くなりますが、父親が彼にお金を渡すところをみてしまいます。

「お父さんの、友人だ」

と言っていたにも関わらず、父親はブルースを金で雇っていたのです。

大人たちのそんなやりとりに、複雑な表情をみせる彼ですが、大人たちの目論見通り、彼はチェスにその力を注ぐようになっていきます。

親たちの代理戦争

物語の前半は、そんな感じで少年が自ら隠していた実力がまろびでていくところに面白さがありますが、子育て映画としてみたときに、才能をもった子供をもつ親たちが、いかに試されているかがわかります。


自分の子供に絶大な才能があるとしたら、最高の環境にしてあげたい、と思うのは親の素直な気持ちでしょう。

ですが、子供の心とは別のところで、親の気持ちは増長していき、子供の幸せとは別のところへといってしまうところに、本作品の見事さがあります。

子供たちのチェス大会において、なぜか、親たちに向かって係の人が説明を始めます。

「皆さん方、大人として恥ずかしくない行動を。面倒は起こさないように。違反者は退場させます。ルールを守り、いい大会にしましょう」

子供たちには一切言っていません。

そして、はじめこそ静かだったゲーム会場も、大人たちがつかみあいのケンカをしたことで、大人たちが退場させられてしまいます。

戦っているのは子供たちなのに、大人が後ろで合図を送ってみたりして、威圧をかけているのです。

子供たちを通じて、自分の果たせなかったものを行わせようとしているのか、いずれにしても、子供たちにとっていいこととは思えない事柄です。

「たかが、ゲームだよ」

と言いながら、大人たちは熱狂し、いい父親であるはずのフレッドもまた、気づかない間に、子供に厳しい親になっていくのです。


才能のある子供の親の苦悩

フレッドは、ジョシュを大会に出場させます。

ジョシュは次々とトロフィーをもらいますが、フレッドの意識は、子供がチェスをして勝っていくという、応援する喜びや、子供への愛情が変質してしまいます。

いつの間にか、自分も子供を通して情熱をぶつけているほかの親たちと同様になっていたのです。

チェスについて、やんわりと注意されたフレッドは、激怒してみたり、子供のために、という言葉を言い訳にして、彼を転校させようとしたりします。

ジョシュは、そんな父親の変化に気づいてか、こう言います。

「決勝大会は、やめようよ」

ジョシュのために、自分の時間やお金をつぎ込んでいるというのに、何をいっているのかわからない、といったところでしょう。

のちに、母親は

「あなたの愛情を失うのが怖いのよ」

と言っています。

そして、ジョシュの寂しさや辛さのサインに気づくことなく、フレッドは大会にジョシュを参加させ、惨敗する結果となるのです。

「いったい、どうして7手で負けたんだ」

「僕が弱いから」

「そうじゃないだろ。なぜこんなことになった! よく考えろ。 あんな弱い相手に負けた理由を考えろ」

父親であるフレッドは、息子であるジョシュに言っているセリフなはずですが、これは、そのまま自分に返ってくるセリフです。

実力のあるジョシュだからこそ、最短の7手で負けるように仕向けたのです。わざと負けているにもかかわらず、父親は気づいていない。

そのことのほうが問題となっています。

ジョシュは7歳であり、とてもやさしい子供です。だからこそ、グレるわけでもなく、雨の中膝を抱えながら、フレッドに言うのです。

「なぜ、僕から離れているの?」

フレッドは何かをいいかけますが、自分の愚かさに気づいて、息子を抱きしめます。

才能ある子供、ないしは、自分の子供を何かにしようと努力させるというのは難しいものです。

ただし、子供との関係が決定的に破綻するまえにフレッドは、気づきましたが、コーチであるブルースはそれに気づけませんでした


コーチの教える帝王道

「公園のチェスも禁止。ヘボどもは間違ったことしか教えない」

「ヘボじゃないよ」

彼が、はじめて相手の言葉を否定しています。

英語では、partzersと言われており、俗に下手なチェスの差し手といった意味であり、いずれにしても、コーチが彼らを見下しているのがわかります。

コーチであるブルースは、彼に「他人を憎め」と教えます。いわば、帝王道といったものであり、チェスのコマを並べて言うセリフが印象的です。

「君はどれだ」

といって、キングのコマを見せるのです。ジョシュは、どこまでも優しい少年であり、誰かが誰かの上とか下とか思っていません

そんな子供のやさしさを踏みにじろうとしているのです。

最終的には、ジョシュのやさしさや家族の理解によって、彼は再びチェスに向き合い、他の子供たちのように、チェスのために何もかもを犠牲にするのではなく、自分の好きなことを行って、そのうえでなお、チェスも向き合おうとします。


さて、そんなチェスについて、「ボビーフィッシャーを探して」ではどのような描かれ方をしているのかを改めて見てみます。


神の不在


さて、本作におけるチェスというのは、宗教で言えばキリスト教のようなものとして描かれているのが面白いです。

特に、ボビー・フィッシャーという実在のチェス棋士である男の生きざまを並行に語りながら進めている点や、チェス業界の人たちが、ボビー・フィッシャーという人物への強い憧れをもっていることからもわかります。

父親であるフレッドが、ブルースにコーチを依頼したとき、彼は、チェスにのめり込んだために廃人のようになってしまった人たちを見せます。

「チェスとは何だ。一生をかける者にとっては学問だ」

ブルースは、チェスの道にいくというがいかに困難で厳しく、そして、恐ろしいものなのかを伝え、その上でも、子供をその道にすすませたいのか、覚悟を問いかけるのです。

ボビーフィッシャーは、そんな作品の中においては、キリストのような人物です。

チェスの世界において圧倒的な力と魅力をもち、突然姿を消してしまった存在。

公園で、ジョシュとストリートチェスの師匠でもあるヴィニーが、人だかりをみてボビー・フィッシャーかもしれない、と思って興奮するさまは、彼らの中に、どれほどボビー・フィッシャーという存在が大きいのがわかるエピソードとなっていますし、誰しもが、彼の再来をなんらかの形で待っているように描かれています。


彼は、チェスをとった

一見、この映画は子育てものとして、親の力が大きいとかまわりの応援が大事、というのも当然あるのですが、実は、チェスを選んだのは、あくまで主人公であるジョシュです。

公園でチェスのコマを拾ったジョシュ。

彼は、ボールか、コマを選ばされ、そして、チェスのコマを握りしめた。

ボビーフィッシャーという男は、チェスに選ばれたのかもしれませんが、少なくとも、ジョシュは、チェス(神)に選ばれたのではなく、彼がチェスを選んだのです。


さて、本作品を含めてテーブルゲームの魅力にひかれた方にお勧めの作品を最後に紹介したいと思います。

映画ではありませんし、チェスでもありませんが、才能ある少年が才能を開花させていく物語として圧倒的な面白さをもつ作品としては「ヒカルの碁」は欠かせないでしょう。

平安時代の霊に取りつかれた主人公が、囲碁を行いながら実力をつけていく話となっています。

囲碁ブームに火をつけた作品でもあり、「ボビー・フィッシャーを探して」と対比させるのであれば、コーチなどが藤原佐為といったところでしょうか。
いずれにせよ、子供が頭脳バトルで大人に勝つという痛快さから、後半の苦悩も含めて必見の漫画となっています。


また、将棋漫画では「ハチワンダイバー」なんかもおすすめです。こっちは、早指しなんかもありますし、ストリートでの戦い方に染まっていく主人公が、強すぎる演出によってみせられる作品となっています。


もちろん、冒頭で紹介した「クイーン・ギャンビット」をまだご覧になっていない方がいれば、必見となっておりますので、本作品を起点として、様々な作品にアクセスしていただければと思います。


ムービーメーメーでは、映画の感想や解説を行いつつ、興味の幅を広げてもらえればと思う情報を発信していきますので、少しでも気になった方がいらっしゃいましたら、今後ともよろしくお願いいたします。


以上、ギャンビットで興味がでたら見るチェス映画「ボビー・フィッシャーを探して」でした!


次回も、め~め~。

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