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ハリウッドらしくない。RV車で旅をしたいですか? 感想解説映画「ノマドランド」


め~め~。

世の中には、経済的に大成功してみたり、家族に囲まれて過ごしてみたり、輝かしい未来が予感で来たりすることがいいことだとされているわけですが、果たして、本当にそれが現代における正解なのかは誰もわからないところです。

映画「ノマドランド」は、現代におけるノマド(遊牧民)を描いたものとされておりますが、実際は、2008年のリーマンショックに端を発した不況による影響で路頭に迷った人たちの人生を描いたものとなっております。

アカデミー賞作品賞をとったということでも話題の本作品ですが、いわゆる、ハリウッド的な大団円がある作品ではありません。

ただ、「ノマドランド」のような作品が、作品賞をとったという事実を含めて、本作品が描きたかったものを、ムービーメーメー的に解釈しつつ、みなさんに紹介してみたいと思います。

RV車に乗って旅に出たいと思うか、思わないか、あなたはどちらでしょうか。

RV車に乗って旅にでる。

日本でも、キャンピングカーに乗って旅にでてみたり、特定の住居を持たないで走り回る人というのはいるにはいますが、アメリカとなるとその規模は桁外れです。

主人公であるファーンは、住んでいた町そのものが無くなってしまった人物です。

映画の冒頭には、リーマンショックの影響なのか、企業があったからこそできたいた町が閉鎖されてしまいます。日本でいうところの、トヨタがつぶれて豊田市が無くなる、みたいな感じでしょうか。

ファーンは、荷物の大半をトランクルームに預けて、車の中で暮らしながらアメリカを旅します。

とはいえ、我々が思い描くような楽しくて自由な旅というわけではなく、駐車場の料金はかかりますし、車のトラブルも当然発生します。
決して楽しいばかりとはいえない中ではありますが、主人公はたくましく生きていきます。

本作品では、最後のほうになるまで明かされない謎があります。

謎そのものは大したことありませんが、ファーンがなぜRV車にのって旅を続けているのか。どうして、いわゆるハリウッド的な成功とか安定にいけそうなルートを断ってまで、旅を続けるのか。その点は、なかなか明かされることがありません。


出会う人々

実は、本作品においてプロの俳優はごくわずかだそうです。

本作品の監督であるクロエ・ジャオ監督は、前作「ザ・ライダー」においても、ロケ地に住んでいた人たちをキャスティングしており、その手法が「ノマドランド」におけるリアリティや迫力につながっているといってもいいかと思います。

車での生活になれていないファーンは、 「砂漠の集い」と呼ばれるノマド生活者のイベントに参加します。

はじめは乗り気ではなかった彼女ですが、いざ生活に不安を感じて行ってみると、車上生活における必要な知識などを教えてもらうことができる場所となっていたのでした。

スペアのタイヤすら用意していなかった車上生活初心者のファーンは、病気で余命が長くない老人にいろいろなことを教えてもらったり、仕事のある場所を教えてもらったりしながら、キャンプ地などを転々として生活し、また、自分の住んでいた町の近くに戻ってくるのです。

円環構造

メーメー的に見ていて、これはいわゆるハリウッド的ではないな、と思った点がいくつもあります。

冒頭でも書きましたが、いわゆるハリウッド的な映画は、冒険や成長、金銀財宝や巨大な謎なんかが明かされることが目的だったりします。または、不幸な人が恋人や家族に恵まれて、幸福な未来がやってきたり、決してうまくいかない現実があっても、それに対しての希望をもちながら生きる、という話になっていたりします。

いわゆるアメリカン・ニューシネマ的な、巨大なものへの敗北を描いたものであるとか、「ロッキー」における個人の活躍や可能性を描いたものといったものもありますが、それには、未来に向かっていく姿というのが常に描かれているところだと思います。

さて、前置きはいいとして、「ノマドランド」は、現代社会にも関わらず、前近代的な、中世的といってもいいでしょうか、そんな考えが組み込まれているように思うのです。


どういうことかと言いますと、フランシス・マクドーマン演じるファーンの一年間は、おそらく毎年ほぼ同じです。

年明けをアマゾンの配送センターで契約している駐車場で過ごし、仕事が無くなればキャンプ場や、砂漠の集いのようなイベント、石を売ってみたり、バイトをしながら移動して、また、同じ場所に戻ってくる。

ノマド(遊牧民)とはよくいったもので、彼女、いや、彼女たちのような生き方をしながら、特定の場所の住居を持たないで生きる人たちもいる、ということを、この映画は教えてくれているのです。

そこには、工夫はあっても、経済的な発展というのはありません。
もちろん、その時のテクノロジーの変化とかはあるでしょうが、ファーンは、皿一枚とってみても、新しいものにはしようとしませんし、必要以上を手に入れようとはしていません。

車の修理費が必要で、姉妹に借金のお願いをしにいきますが、決して一緒に暮らそうとはしないのです。

1年で一周する世界を生きており、前近代的な農耕民族、いや、遊牧民的な生き方といって過言ではないところなのが、興味深い点です。

同じような場所で生活し、特定の職業について、いわゆる幸せや、安定といったものとは違う次元で生きる人たちの考えや生活がわかります。

それは、円環構造であり、未来に向かっている感じがしないという点で、いわゆるハリウッド的なものとは一線を画していますし、しかし、それが決して不幸ではないという描き方をしているのが、非常に画期的なところです。


彼女は右を向く

さて、ちょっとだけ映画の手法について簡単に語ってみたいと思います。

映画の手法において、画面の左側に向かっていったり、そちらをキャラクターが向く場合は、未来に向かって物事が動いていることを意味します。
または、物事が前向きなときは、左側に行くのが通常です。

そのため、主人公が何かいいことを言っていても、それが右側に向かっていくのであれば、物事はその物語にとってはいい方向には行っていないことを意味します。

さて、「ノマドランド」は、特にこの点を意識して作られているので、もしあまり登場人物とかカメラの向きを気にしなかった人は、二回目以降で意識してもらいたいのですが、ファーンは、だいたい右側に向かっていきます

ただし、砂漠の集いでいろいろな人たちの親切さに触れ、自然の圧倒的な美しさに触れているときの彼女は、左に左に向かっていきます。

彼女にとって、どういうことが左側にいくことになるのか、右側にいくことになるのか、というのは非常に面白いところです。

さよならは言わない。

物語のほうに話を戻しますが、ノマドの人たちの考え方で、さよならをいわないで、また会おうでいいというところが、エピソードとして面白かったです。

ライターを貸したお兄さんと、別の場所で出会って、別のところで親切にしてもらったりと、人との出会いというのは何度も発生します。

日本においては、一期一会なんて言葉もあって、もう二度と出会うことがない、という気持ちで接することの大切さがあったりしますが、こと、「ノマドランド」においては、またどこかで出会うかもしれないので、さようなら、という必要がないのです。

あれだけ広大なアメリカ大陸にあっても、彼らは、何度も出会っています。

その中で、ファーンに対して、恋心を抱いてくれる老人もいたりして、ファーンは少しだけ揺れ動きます。


なぜ彼女は誘いを断るのか。

ファーンは、車上生活をする人たちと出会う中で、彼らがそれぞれの理由で車上生活をしていることがわかります。

余命いくばくもないから、アラスカに行きたいという人もいれば、家に戻りたくないからひたすら放浪している人もいる。

死んだ息子と向き合うためという人もいますし、理由は人それぞれです。

砂漠の集いの中で出会った初老の男、デイヴィットは、父親になれない男でした。

息子はミュージシャンとして成功し、父親を迎えにきます。

乗り気ではなかったデイヴィットですが、結局、息子と一緒に暮らし、孫と一緒に楽しく暮らしています。

そこに誘われるのですが、ファーンは断ります

ここでデイヴィットと絆が深まるエピソードでも入れて、その家族たちと一緒に暮らせば、いわゆるハリウッド的な大団円はいくらでも迎えられたはずです。
夫との思い出にとらわれた彼女にとって、それは区切りをつけるためにも、経済的にも素晴らしい提案なはずです。

ですが、彼女は、その誘いを断り、再び自分がかつて住んでいた町へと戻っていきます。

アマゾンの描き方

アマゾンの配送工場の実態を描いたという点でも、一部で話題となっていた「ノマドランド」ですが、そうとう状況が変わっているだろうと思われます。

アマゾンはいわゆる産業ロボットの導入に積極的ですので、人が入り込む場所というのは、「ノマドランド」のときよりも、もっと少なくなっているでしょう。

本作品は、経済的な弱者を描いた形にはなっていますが、決して、貧困を描いているわけではありません

もちろん、今までの職歴などが一切やくにたたない不況の中で、車上生活せざるえない人々の実態を描いているという点もありますが、彼らは彼らなりに、日々を生きています。

ファーンは、最後に自分の住んでいた家に戻ります。もちろん、町はもう廃墟ですので、たんに見に行ったのです。

彼女は、家の窓から広がる広大な景色にあこがれを抱いていたし、夫のことも深く愛していたのでしょう。
そして、自分自身が忘れてしまうことで、親類のいない夫が、本当の意味でいなくなってしまうことへの恐怖もあったはずです。


物語の最後に、彼女は、画面の右にいったのか、左に行ったのか。それは、改めて確認していただきたいところですが、いわゆるハリウッド的な大団円がないにも関わらず、アカデミー賞作品賞を受賞したという快挙。

そして、いわゆる、左側を向くことを否定的に描いていないという、映画手法を逆手にとった演出は、非常に面白いところです。


決して派手な内容ではありませんが、見ごたえのある映画が「ノマドランド」となっておりますので、ぜひ、注目する点を変えながら見て行っていただきたいと思います。


以上、ハリウッドらしくない。RV車で旅をしたいですか? 感想解説映画「ノマドランド」でした!


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