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人が生きる理由。「ノマドランド」を見た後は。解説。映画「ザ・ライダー」

め~め~。


アカデミー賞作品賞を「ノマドランド」で受賞したクロエ・ジャオ監督の前作である「ザ・ライダー」。

ジャオ監督の特徴は、プロの俳優ではなく、ほぼ素人の人たちをそのまま使う、というところにこそ特徴があります。

ドキュメンタリー的でありながらも、フィクションで色付けされた作品は、言われなければ、多少の違和感はあるかもしれませんが、素人演技でみていられない、なんていうこともなく、むしろ、その本人そのままであるからこその迫力が伝わってきます。

映画「ザ・ライダー」は、映画やドラマの中でしかあまり見る機会の無くなってしまった、カウボーイたち、とくに、牛や馬に乗ることで報酬を得ているロデオボーイたちを描いた作品として、すさまじい内容になっています。

銃撃戦があるわけでもないですし、激しいやり取りがあるわけでもありませんが、人生や家族といったものを考えるきっかけにもなる作品となっていますので、ポイントを踏まえつつ、感想と解説を書いていきたいと思います。


ロデオボーイ


主人公であるブレイディ・ブラックバーンは、苗字こそ変えてありますが、ほとんど本人役として、ブレイディ・ジャンドロー自身が演じています。

調教師であり、ロデオを行っている彼は、実際に落馬事故によって頭部を損傷。

映画で何度も大写しになる彼のケガは、本物の彼の傷跡となっています。

本作品で序盤から投げかけられるポイントがあります。


それは、落馬事故で一命をとりとめた主人公であるブレイディが、ロデオをやめるかやめないか、というところでしょう。

当たり前ですが、家族は、ブレイディがロデオを続けることについて賛成していません

これまた実際に本人が演じている主人公の妹であるリリーは、自閉症です。

また、彼の家で経営している牧場も決して、儲かっているとはいえない状況です。

日々のやりくりに苦労をしていますし、油断すると、父親がドラックを買ってしまいます。

そんな中で、ブレイディが命を落としてしまえば、一家が路頭に迷うことは目に見えています。

にもかかわらず、ブレイディは、なぜロデオを続けるのか

頭を怪我してしまった彼は、時々、右手が思い通りに動かなくなります。

そんな彼の葛藤が、ドキュメンタリーとフィクションを一体化させたような本作品を通じて、ありありと表現されているのが「ザ・ライダー」となっています。


ロデオの生き方

本作品は、なんとなく何をやっているのかわかるような気がしても、実際に、現代でカウボーイたちが、何をやって生きているのか、どういう心境にいるのか、ということに迫った作品でもあります。

映画「ノマドランド」においては、経済的な問題含む様々な理由から現代の遊牧民となった老人たちを、これまたほぼ本人役の人たちを通じて描いてきましたが、「ザ・ライダー」の時点でその手法はすでに確立されています。

改めて説明するまでもありませんが、ロデオというのは、北アメリカあたりに端を発する伝統的な競技となっています。

暴れ馬や、猛牛の背中に乗って、8秒以上乗り切ると合格とされます。

競技によって、牛の頭にロープをかけてみたり、地面に倒すことを競ったりもしますが、いずれにしても、命の危険を伴うスポーツであることは間違いありません。

外野である我々からすれば、どうしてそんな危ないスポーツを行うのか信じられないところですが、その価値観の差も含めて、「ザ・ライダー」が描いてくれているところは、大変貴重です。

ブレイディの仲間たちが、焚火を囲みながら自分の経験について語ります。

「俺はロデオを始めて10年以上だ。脳震盪も10回以上起こした。NFLの基準なら死んでいる

「終わった瞬間、地面にたたきつけられた」

ロデオを乗っている人間は、馬から落とされることは日常茶飯事です。危険で恐ろしいことも十分に承知しています。でも、それでも、彼らは馬に乗るのです。


後遺症

本作で印象に残る人物といえば、レインという男性です。

彼は、ブレイディの兄貴分的な存在であり、事故にあうまでは圧倒的な実力を誇っていた人物でした。

暴れ馬を乗りこなす姿を映した動画が繰り返し流されます。

しかし、病院で介護なしにはまともに歩くこともできなくなってしまっています。

脳に損傷を受けたことで、一生リハビリ生活を余儀なくされているのです。

ブレイディは、右手が時々動かなくなったりするぐらいではありますが、いつレインと同じようになっても不思議ではありません

ブレイディの父親は、すでにロデオをやめています。

たんに怪我をする、というだけではなく、死なないまでも、もう馬にも乗れず、生きていくことすら精一杯になってしまうというあまりにキツイ現実も描いています。

そんな、ロデオを行うカウボーイたちの行く末を暗示させつつ、ブレイディはどのような決断を行うのか、という点が、本作のポイントとなります。


人の生きる意味

さて、映画的な手法について考えてみたいと思います。


映画「 ノマドランド」の記事の中でも簡単に説明しておりますが、映画の撮影方法において、画面の左側に向かって主人公がいくときは、物事が前進している状態を表しています。

逆に、右側を向いているときには、物事が後ろ向きになることを表すことが多いです。

100%そうとはいいませんが、ことクロエ・ジャオ監督にいたっては、それをかなり意識してつかっていると思われます。

ブレイディは、かなりの確率で右側を向いています。

家族が言い争いをしているようなときもそうですし、無言で車に乗っているときもそうです。

逆に、左側を向いているときはどういう時でしょうか。

物語の冒頭においては、それは、ロデオに復帰しようとしているときです。

大ケガをして、復帰は難しいと思いながらも、過去の動画を見たりしているときには、彼は左側を向いています。

つまり、彼は、これだけ絶望なときであったとしても、復帰をあきらめていないのです。

それでも、人間ですから心は揺らぎます。

彼にとって、物事が前進すること、前向きなことというのは、何かということは画面で示されていますが、彼が、まともにロデオを続けられるとは、観客である我々は思わないでしょう。

画面の彼の向きを考えながらみるだけでも、寡黙な彼の内心がみてとれます。


日常の大変さ


ブレイディは、生活の為、ダコタマートなるスーパーで働きます。

品だしをしたり、レジ打ちをしたりと、カウボーイ稼業と比べるとずいぶんと地味な仕事です。

映画「ノマドランド」のときもそうでしたが、アメリカにおける地味な仕事を描くという点において、ジャオ監督は面白い視点で撮ってくれています。

ちょっと、引きのショットで客観的に撮影しており、どこか寂しげで、非現実的ではあるものの、彼らにとってはそれが日常であることを嫌でも伝えてくるシーンとなっています。

さて、そんなブレイディは、ある日アポロという馬と出会います。

父親が無理をして買ってくれたこともあって、ブレイディは、アポロを調教しながら、自分自身もまた、馬に乗ることへの意欲を高めていくのです。

調教シーンのすばらしさ

「ザ・ライダー」のすごいところは、どこまでいっても役者と本人が一致していることです。

特に特殊技能を持つ人たちを扱った内容となりますと、それは、ほかに見ることができない映像となるところもまたポイントです。

主人公であるブレイディ自身が調教師ということもあり、本当にカメラの目の前で、馬が調教されていくシーンが見れるのです。

興奮し、警戒して全然いうことを聞かなかった馬が徐々にブレイディに従うようになっていきます。

背中にも乗せなかった馬が、やがて、指示に従うようになっていく姿は、圧巻です。

実際に、暴れ馬に乗っていくシーンなども、スタントマンやCGを使わずできるのは、本来は俳優ではない人を、まったくそん色なく映画の中で登場させることのできる、ジャオ監督の技量あってのことでしょう。


人は、動物は、なぜ生きるのか。

改めて書きますが、ブレイディは、なぜロデオを続けるのでしょうか。

「ザ・ライダー」においての、ブレイディの結論は、彼らの価値観を理解できない人間からすれば意味不明です。

スーパーの品出しだって立派な仕事ですし、それで、家族と過ごせるのであればそれは素晴らしいことだと思いますが、一頭の馬の死によって、ブレイディは気づきます。

ここからは、ネタバレですので、気になる方は、ご覧になった後で、読んでいただければと思います。

馬というのは、経済動物(または産業動物)と呼ばれます。


そのため、怪我をすると一大事です。

犬や猫といった愛玩動物であれば、怪我をしようが病気になろうが家族ですから、頑張って治してあげますが、経済動物の場合は、コストと天秤にかけることになります。

素人目にはわかりませんでしたが、アポロが柵を超えたときにできた足のケガは、調教師の目からみたら致命傷だったのでしょう。

頑張ればなんとかなるんじゃないかと思ったりもしますが、アポロは殺処分されてしまいます。

普通に考えると、アポロを殺すということは悪いことに思えますが、主人公の心情としては逆です。

彼は、画面の左側に向かって歩いていきます。そこからの彼は、左向きです。


彼は、妹であるリリーに言います。

「ケガのせいで何もできない。アポロも俺も同じだ。でも、人間は生き続ける。神は皆に目的を与える。馬は草原を駆け抜け、カウボーイは馬に乗る」


かつて馬に乗っていたレイン。彼もまた、一人でまともに歩けない身体になっていたとしても、決してあきらめてはいません。

仮に死んだとしても、目的を果たさないで生きることは、カウボーイであるブレイディにとって、できないのです。

当たり前ですが、人間は経済動物と同じではありません

ですが、「ザ・ライダー」は、少なくとも、自分がそうと信じる目的のためであれば、決してあきらめず、たとえ、危険だと思っていてもそれにむかっていく人たちがいることを教えてくれる作品となっています。


と同時に、彼が最後に取った行動は、画面からみて、彼が左を向いていることからも、どういう意味かはわかるところです。

レインは彼に言います。

「夢をあきらめるな」

経済動物でもある馬は、走れなくなったら殺処分になりますが、人間は生き続けなければなりません

でも、カウボーイにとって、馬に乗るということがどういうことなのかが、痛いほどによくわかる映画となっているのが「ザ・ライダー」となっています。

以上、人が生きる理由。「ノマドランド」を見た後は。解説。映画「ザ・ライダー」でした。


もし、「ノマドランド」の記事をみていない方がいましたら、ぜひ、そちらも合わせてご覧いただければと幸いです。


では、次回も、め~め~。


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