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(5/24)ここまで皆勤賞!「鎌倉殿の13人」を見る理由は何だろう?

風薫る5月。気温はまあまああるけど湿度は低い。
一年で一番気持ちいい季節かもしれません。ずっとこんな気候だったらいいのになあ。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

前回、3月25日に同タイトルで記事を書きました。

それから2カ月たちましたが、引き続き、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ています。

前回はあえて中身にはふれず、側面からドラマを見る理由を書きましたが、今回はちゃんと正面から内容について語ろうと思います。

今までの義経像を覆す新しい解釈

一昨日の第20回で、源義経の最期が描かれました。
今回記事を書こうと思ったのは、源義経の死が大きいです。
源平時代の「巨人」がいなくなってしまうのは、史実で分かっていても、心動かされるものがありました。

源義経って、一般的には「悲劇の武将」っていわれてますよね。
源平合戦で誰よりも活躍し平家を滅ぼすも、その才能を兄・頼朝から疎まれ、最後は敵として討たれる。
そこにいろんな伝説も加わって、源平時代を儚い夢のように駆け抜けていったイメージですよね。

でも今回の「鎌倉殿の13人」の義経像はそうじゃない。
三度の飯より戦大好き。「常人の発想を超えた戦法を思いつく天才」といえば聞こえはいいけど、裏を返せば「勝つためには手段を選ばない非情な人間」ともいえる。

実際、壇ノ浦の戦いでは、当時禁じ手とされていた船の漕ぎ手を矢で討つシーンがありました(船の漕ぎ手は兵士ではないため、殺してはいけなかった)。
これには、味方もちょっと引いてましたよね。

現代の組織で例えるなら、味方にすれば百人力だけど、敵になったら何をしてくるか分からない奴といった感じかなあ。
仕事はできるけど、仕事以外の話に興味がないから、同僚と話がかみ合わない。
しかも、仕事の話をしても当人のレベルに達しないと馬鹿にされるから、他の人はあんまり話したいと思わない。常に周りを少し見下している。

こんな奴とは絶対に友達になりたくない。。。
とにかく仕事が生きがいであり趣味であり24時間すべてを捧げてる人間といったところでしょうか。

儚い悲劇の武将であった源義経を、今回、「共感」感情の少ない嫌味な戦人間に描いたところは、まさしく脚本家・三谷幸喜氏の腕の見せどころ。
個人的には、今までの義経像を覆す新しい解釈で興味深かったです。


地に足のついた悲劇

前章で、従来の「悲劇の武将」のイメージを覆したと書きましたが、一方でやはり悲劇的ではあったと感じました。

でもそれは大衆が作り上げた「儚い」悲劇ではなく、ひとりの人間として、地に足のついた悲劇です。

源平合戦で誰よりも活躍したということは、戦場で誰よりも手を汚した、ともいえます。
それなのに結局、義経は何も手に入れられなかった。
(頼朝には頼朝の思いはあるにせよ)兄からは受け入れられず、愛する者(静御前)は行方不明。そして妻と幼い娘を自らの手にかける。
里に刃を刺したシーンは見ていて、ほんとに辛かった。
そういう意味では、ひとりの人間として、とてつもない悲劇だよな、と。

源平時代のみならず日本史のハイライトともいえる壇ノ浦の戦いの主役が、こんなふうに哀しく表舞台から消えていくなんて、誰が想像できたでしょう?
うう。日本人の琴線に触れるところですよね。

ただ三谷氏の描く義経のラストシーンは笑顔。
最後まで鎌倉に攻め込む戦法を嬉々として語り、「戦人間」としての本分を全うした。
そして、死ぬシーンは直接描かなかった。
義経は伝説の多い人物(有名どこだと、大陸に渡りチンギスハーンになった)ですから、余白を残すためにあえて描かなかったのかもしれません。

三谷氏の義経に対する愛情と、歴史ファンに対する優しさを感じました。
なんだかんだいって「鎌倉殿の13人」を見る理由は、三谷氏の登場人物に対する愛情と、歴史ファンを喜ばせたい(驚かせたい)という姿勢に共感してるからじゃないかなあ。

最後に

最後にトリビアをひとつ。
ドラマ内で武蔵坊が義経のことを「御曹司」と呼んでいて、面白いなと思ったのですが、ネットで調べたら、「平家の公達 (きんだち) に対して、源氏の嫡流の子息。特に、源義経」とありました。

義経が語源だったんだ。
へえ~知らなかった、現代の言葉だと思ってた。1コ勉強になりました。

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