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アンナチュラル9話【敵の姿】~同情なんか~

アンナチュラル9話を考察していきたいと思います。今回は最終回の10話につなげるための話だったかなと思います。

「同情」                 

ミコト「同情なんかしたら、必要なこと言えなくなるし。何かあったら止めることができない。」

同情という言葉。                               
5話でミコトが中堂に言った「同情なんてしない。」というセリフの真意がここで明かされる。ミコトにとって、同情しないということが絶望にいる人救うという意味なのかもしれない。同情してしまったら、自分の思うことをはっきり言うことができない。中堂には「死の報復」なんてことはして欲しくない。だから5話ではあの発言が出たと考えれる。                
また、このセリフで引っかかたのは「同情なんか」という言い方だ。「同情したら」ではなく「同情なんかしたら」と言っているのだ。「なんか」という言葉には、色々な意味があるがここでは、否定や期待できないものという意味で使われていると推測できる。ミコトは同情するという行為自体、良いものとは思っていないことがうかがえる。

「微かな希望」         

中堂「鳥が花になるのか?」
有希子「理屈じゃないの。寂しい人生でも最後くらい花になってもいいじゃない。あったかくていい匂いがする場所できれいな花になれたら幸せじゃない?」
中堂「生きてるうちに幸せになれないものか」
有希子「じゃあ、幸せにしてくれる?逆プロポーズ。」

せめて最後くらい花になれたら、、、と微かな希望を求めている描写がある。これは2話では白夜4話では花火と微かな希望の象徴として描かれていた。彼女にとって最後くらい幸せになるのが光であり唯一の願いであった。

中堂「理屈はそうだ。殺してもなにも変わらない。死んだ者は生き返らない。きれいな花になることもない。理屈ではな。」

この中堂のセリフは有希子の言葉とリンクしている。
中堂は犯人に「死の報復」を与えることで有希子が報われると考えているのかもしれない。理屈ではそんなことはないとわかっていても…。



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