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突然の退去勧告、当事者の監督が記録したドキュメンタリー

東京フィルメックス-京都出張篇-『昨夜、あなたが微笑んでいた』(ニアン・カヴィッチ、2019)

自分ではどうしようもできないような出来事が起きると、もはや一周まわって笑うしかない。

突然、長年住んでいた自分の家から退去することを命じられる。

1963年、カンボジアの首都プノンペンに建てられた集合住宅「ホワイトビルディング」は、2017年、日本企業の買収によって突然取り壊されることになる。その決定を受けて戸惑いながらも、どうすることもできず仕方なく荷造りをする住民たちの様子を、自らもそこで生まれ育った監督が撮るドキュメンタリー。

この映画で良かったと思うのは、ホワイトビルディングに住む人たちを、親しい仲間・家族として映しているところだ。監督自身がそこで生まれ育ったのだから当たり前なのだが、当事者がドキュメンタリーを撮るというのはなかなか無いことだと思う。問題に直面している人たちを、外側からの目線ではなく、内側からの目線で、優しくとらえている。監督にとってもホワイトビルディングは安寧の地であるし、思い出の場所なのだ。

外からものを言って誰かの境遇を決めつけることは簡単だが、それが事実と異なっているということは少なからずある。本人達が考えて、感じている事とは違う場合は多いのではないだろうか。

例えば、作品中で頻繁に登場する監督の父親が言う言葉には考えさせられた。(見出し画像の人物である)

息子である監督がカメラを持ちながら、ホワイトビルディングが取り壊される事について心境を聞くと、彼は質問に答えず、何度もはぐらかす。そして何度目かで「その質問は聞かないでくれ。泣いてしまうから。誰に聞かれてもその質問には答えない」という。「まわりにどう言われても、この場所は自分にとって落ち着く場所であったのだ。警察の世話になることも1度もなかった」と。

この父親の発言から、ホワイトビルディングは、周りの人々からは、貧困層が住む少し危ない場所、と捉えられていたらしいことがわかる。そしてこれは私の見解だが、もしかすると外部の人や政府関係者、買収した日本企業の人達の中には「補償金ももらえて、きれいな場所に引っ越せるのだから、ホワイトビルディングの住人は幸せだ」と考える人もいたのではないのだろうか。

しかし現実はそうではないことがわかる。この映画に出てくる人達は皆、長年過ごした思い出の地を離れることを悲しみ、先の見えない不安に苦しんでもいるのだ。(そういう人たちの映像だけ選んで構成した可能性も捨てることはできないが)

また、この発言もそうだが、監督の父親がとても良いキャラクターなので、これから今作を観る人はぜひ注目してみて欲しい。
退去の日までまだ数日あるのに、どうして今日片付けなきゃいけないのか、当日にまとめてやればいいのに…と言い出し監督の母親、つまり妻に怒られているところはどうしようもないおじさんだ、と笑ってしまう。
一方で、息子に、「知識は金と同じくらい重要なものだ。知識がないと、貧しくなる」と語る姿には、胸が熱くなる。ここで言っているのは金銭的な貧困の話ではなく、精神的な貧困の事だと思われる。彼は、ずっと昔に自分が勉強した英語の教科書を今も持っていて、それをタオルで拭いて、新居にも持っていこうとしているのだ。


今作はカンボジアのホワイトビルディングという、いち集合団地の話ではあるが、「自分にとって大事な場所が失われる」という大きなテーマとしてみれば、誰でも自分ごととしてとらえることができるドキュメンタリーなのではないかと思った。


→余談として…

作中で、退去の際に部屋の扉と窓を持っていって良いという許可が与えられた時に住民たちが大喜びするシーンがあるのだが(その後、皆がせっせと扉や窓の枠を取り外している様子もうつされている)、なぜそんなに扉と窓が欲しいのか私にはわからなかった…

新居に持っていってそこにはめるのだろうか?それとも解体して木材として何かに再利用するのだろうか?思い出の品というわけではなさそうだし…

わかる人がいればぜひ教えて欲しい…

(文:藤原)

参考:

東京フィルメックスHP https://filmex.jp/2019/program/competition/fc2

出町座3月14日18:50の回アフタートーク市山尚三さん(東京フィルメックスディレクター)






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