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京都ヒストリカ国際映画祭2020★ヒストリカ・ワールド4本レビュー(『モスキート』『魂は屈しない』『義理の姉妹』『荒地の少女グウェン』)

こんにちは。映画チア部京都支部の藤原です。

去年初めて行って、すっかりファンになってしまった京都ヒストリカ国際映画祭

今年は、新型コロナウイルスの影響もあって、オンライン上映も開催されており、京都以外の人でも楽しむことができます!これは嬉しいですね。
私は、へえ~!オンラインもあるんだ!と思って、配信ラインナップをみたら、あまりの数の多さにひっくり返りました。

今年で終わらず、今後も、シアター上映とオンライン上映どちらもやって欲しい気持ちはあります…去年は「行きたかったけどこの日は無理だ…」と泣く泣く鑑賞をあきらめた作品もありましたし…。

それはさておき、今回は、今年の「ヒストリカ・ワールド」4作品を鑑賞したので、感想を書きました!
ヒストリカ・ワールド:ヒストリカ国際映画祭で日本初上映となる、最新歴史映画!です

(シアター上映は終わってしまいましたが、オンライン上映のチケットは、11月8日の24時まで買えます!買ったら、鑑賞期間は結構長めにあります→詳しくは https://historica-kyoto.com/join/ )

前半でネタバレなしの作品紹介、後半は本当にただただネタバレありの私の感想を書きますね。映画観た方と感想共有したいです。

『モスキート』作品紹介

第一次世界大戦下の1917年。17歳のザカリアスは、「祖国ポルトガルのため」と、志願して兵士になる。植民地であるアフリカ・モザンビークに派遣された彼は、マラリアにかかり所属部隊に置いて行かれ、彼らの後を追って湖を目指すのだが…。
前線で戦い、殺し合うことだけが戦争の恐ろしさではない。その周辺にある残酷さや悲惨さを、幻覚と現実の間を行き来しながら、淡々と映し出す。

『魂は屈しない』作品紹介

1810年のキューバ・バラコア。生き別れた息子を探すためやってきたスイス人の外科医、エンリケは、息子の死を知り悲しむも、医者としてバラコアに残り、診療所を開く。診療所は評判になり、人々からの信頼も深まっていく中で、エンリケはファナという女性と恋に落ちて…。
実際に起きた裁判を元に作られた本作は、奴隷制や男尊女卑社会、キリスト教の影の部分までを精密に残酷に描き出す。

『義理の姉妹』作品紹介

舞台は1900年の、オーストリア=ハンガリー帝国の小さな町。使用人の娘ステファは、火事で両親を亡くしたことで、隣人である医者に引き取られ、実娘のアデーラと姉妹のように育つ。しかし、身分の差は超えられず、ステファはアデーラに女中として仕えなければならなくなった。
二人は成長し、アデーラは彫刻家ペトロと結婚するが、自分では何もできないと、未だにステファを女中として雇っている。何とか持ちこたえていたステファだったが、神父ヨーセフや孤児の少年との出会いによって、アデーラとの関係に亀裂が生じ…絡み合う木のように歪んだ二人の関係は、どうなってしまうのか…?

『荒地の少女グウェン』作品紹介

19世紀のイギリス・ウェールズ。戦争に行って帰ってこない父親を待ちながら、主人公であるグウェンが母親と妹と暮らす農場のある山岳地帯は、開発を進める鉱山会社の経営者たちに狙われていた。嫌がらせや脅迫を受けながらもなんとか生活していたグウェンたちだが、母親の病気がひどくなったことで事態は悪化していく…。
「産業革命」という言葉の響きからイメージする華々しさや騒々しさとはかけはなれた、重く苦しい現実。この時代を生き、”革命”に翻弄され大切なものを奪われていった人たちの物語。

『モスキート』感想(ネタバレあり)

冒頭、ザカリアスたちを迎えるポルトガル人兵士がモザンビークの人たちと一緒にやってきて、「こいつらが舟橋だ」というところから、もうグロテスク。「植民地」という言葉の意味を最初から映像で示されたという感じです。「この植民地を恐ろしくて野蛮なドイツ人から守るのだ」という部隊の任務自体が、何重もの残酷さをはらんでいます。
任務を遂行するポルトガル人兵士たちは、曹長によればならず者ばかり。なんで戦争するんだ?といえば、そこに戦争があるから、と。
そんな中、主人公であるザカリアスは「国の役に立って、武勲をあげたい」という理想を持って、戦争が何か、何を、誰を相手にしているのか、あらゆることに無自覚なまま戦地にやってきた。
湖を目指す中で遭難し、先住民の住む地に迷いこんだ時、彼は「この村の男はどこにいったんだ?!」と叫びます。きっとこの村の男性たちは、よそからやってきたポルトガルやドイツの兵士たちと戦っているか、もしくは捕まって奴隷になっているか、ということなのでしょうが、彼はそういうことすら知らないし、想像ができない。そもそも、兵士になればフランスで戦えると思っていたので、アフリカの状況など知る由もないのでしょう。
重労働に疲れて逃げ出そうとした従者のナンガテを銃で殺してしまい、さらにはポルトガル人によって無残に焼き払われた村を発見するザカリアス。これで武勲をあげられる、と嬉々としてドイツ人を捕虜にする彼ですが、そのドイツ人は仲間のポルトガル人兵士に残酷なやり方で殺されます。「ドイツ人も黒人も野蛮で恐ろしい」と教えられ、そう信じてきた彼が、もう何も信じられなくなる。「お国のための高潔な戦い」をするという幻想が崩れ去ります。
戦争といえば、前線で兵士が戦って死ぬことか、一般市民が巻き込まれ殺される恐ろしさを真っ先に考えますが、この映画では、そのどちらにも属さない、戦地で起きる「わけのわからない死」とでもいうような、残酷な死を突き付けられました。
そして、殺す・殺されるという関係だけの加害者・被害者ではなく、無知であることや、誰かの存在を無視することによる加害性の恐ろしさも強く感じました。
この映画、風景だけみれば、美しいアフリカの自然だなあという気持ちになるのですが、もちろん(なのか?)劇中の人物たちは風景などには一切言及しませんね。ただ、厳しい自然、とかそういうわけでもなく、ただただ、そこは「戦地」という意味しか持たない場所になってしまっているのだと思います。人間の認識だって、ほとんど「ドイツ人」「ポルトガル人」「黒人」「女」「男」「曹長」「隊長」という、記号としての意味しかもちません。それぞれに違う人間性があって、人生や生活があったはずなのに、戦地ではもう関係ないんですね。それもまたひとつの残酷さです。
映画の最後に、「恨むなら戦争を恨め」と言って、しかし、戦争ではなくライオンに殺される曹長ですが、こちらは「わけのわからない死」ではなく「弱肉強食の自然界で獲物として殺される死」です。これを最後にもってこられると、今まで見せられていた生と死はなんだったのか…と、どうしようもない感情がこみ上げてきます。ライオンを殺さず、曹長が食べられるのを阻止しなかったザカリアスは、この状況でいったい何を思っていたのでしょうか。

『魂は屈しない』感想(ネタバレあり)

これまたつらい話です…。夫は死に、息子は奴隷として売られ、医師になるために男として生きることを選んだエンリケ…。勝手なイメージ、フランスではこの時代でもそこらへんのことは進んでるんでは?(女性が医師を目指してもおかしくない、という)とか思ってたんですけど、全然そんなことなかったですね。(フランス革命が1799年とかなんで、それから10年とかしかたってない時代だった…ヤバですね)
エンリケの診療所に、ダンスパーティの誘いに来たマダムが、いかにも~なお金持ちマダムの衣装で登場して笑っちゃったんですが、こういう着飾った人たちが談笑しながら歩く傍らで、奴隷商人が奴隷を売っている…という、本当に、何とも残酷な状況。教会では女性たちが扇子をパタパタしながら何やら神父とのコール&レスポンスをしていますが、あれは何なんでしょうか…。主の祈りとかではないですよね…。その神父が、入ってきたファナを見て、嫌そうな顔をする場面がありますが、本当にあなたはそこで何を教えているのか…。エンリケが「あんな殺人犯やレイプ犯が天国に行くのなら、地獄に行った方がまし」というシーンがありますが、まさに、という感じで、奴隷制や女性への暴力が横行する社会で、キリスト教とは何のためにあるのか、という問いを何度も考えさせるような、監督の静かな怒りを感じます
修道服を着たエンリケが崖から海を見つめているシーンで始まり、もう一度そこに戻ってきて終わりますが、それもなんとも示唆的で、宗教って何なのかしらんと考えずにはいられません。そういえば、先日、『ウィッカーマン』という映画を観たのですが、(『ミッドサマー』はこの映画リスペクトだと言われている)ちょっと今作と繋がるような気がしてしまいました。『ウィッカーマン』はもっとファンタジー的で、ホラーな話なのですが、異端の宗教を信じる、とある島の人々を恐ろしく描きつつ、実はキリスト教もこういう残酷さを持っているんじゃないの?という皮肉が込められている作品です。
もしかしたら、現代劇で、キリスト教批判や疑問をテーマにするのは難しいので、それらの話は、『魂は屈しない』のような過去の物語や、ファンタジー、ホラーなどで比喩や皮肉も込めて語られるのかもしれませんね。
とてもつらいことがいろいろ起こる今作ですが、エンリケの「自分を変えないと世界は変わらない」という台詞、とても勇気づけられました。(エンリケにとっては自分を男と偽ることで医者の夢を叶えた…という辛い意味も含んでいるとは思うのですが)この時代よりもさらに、加速度的に世界が変わっていく現代、心に刻んでおきたい言葉です。

『義理の姉妹』感想(ネタバレあり)

まず冒頭の、魔術ショーで視界を遮ってくる人の帽子のデカさに笑いました。それはさすがにデカすぎる。この女性がアデーラに「あんなに着飾っちゃってまあ」みたいな悪口をいうんですが、いやあなたの帽子は…??となりました。
そして美味しそうな料理の数々…!!!映し方がとても魅力的なんですよね、シズル感っていうんでしたっけ?調理シーンから、食卓に並んでるシーンまで、、そそられますね~~。ステファは、家の中の肖像画や食材の魚たちとちょくちょく妄想会話しますが、それと同じく自分でブツブツ調理工程を喋りながらサクサク料理してるのとても良かったです。
また、前半は特に、「のぞき」的な視線の交差、みる/みられるの関係の描写が目立ちましたね。アデーラの入浴をのぞくペトロがいて、それに気づいていてペトロを見返すステファや、タンスの中からヨーセフとアデーラをのぞく幼少期のステファなど。これはなにも、のぞきのエロティシズム…みたいな話だけではなくて、アデーラが物語の主人公なら、自分はその栄光を陰からのぞいている脇役だ…というようなステファの心情も表されているのかもしれません。
それから、無給かよ!?の衝撃です。実はステファは、アデーラに無給で仕えてるんですよね。さすがにびっくりじゃないですか?魚屋もびっくりです。魚屋というのは、なんかツイッターでも「魚屋が無駄にかっこよすぎる」みたいな話題になってた(笑)魚屋ですが、本当に、魚屋なのに(という言い方も失礼ですけど)なんかいつもおしゃれスーツをパリっと着こなしてるモデルみたいな人んですよね。で、なんでなのかっていうと、たぶん「新世界(アメリカ)に憧れる若者」っていう設定だからなのではないでしょうか。都会に憧れて田舎でめちゃめちゃとがるヤンキーと根本は同じかもしれませんね(たぶん違うかな)。
で、この映画の中でやっぱり一番印象に残ったのは、ステファとアデーラの関係性と、お互いの性格です。
アデーラは、天真爛漫で、皆から愛されるけど、自分では何もできなくて身内にはわがままばかりのお嬢様。ステファを友として大事にしているようで、「あなたがいないと何もできない」という言葉から、彼女をしっかり女中として扱っているんだな、ということがわかる。でもたぶん、その扱いすらも、悪気があってやっているわけではないんですよね。当然のことだと、無邪気に思っているので。さらにステファを傍に置く理由として、自分よりも劣っているものを置いて、自分の輝きを際立たせたい、という気持ちもあるような気がします。もちろんこれもはっきり意識して思っているといより、彼女の潜在意識として、そういう思いがあるのでは?というレベルの話ですが。
一方のステファは、なんでそんなに頑張る?というほどよく働き、逃げ出しても良いのに、アデーラの元から離れません。彼女が熱心なキリスト教徒であり、奉仕の精神で、「私にはこれしかできない」という思いで働いているのだ、という部分ももちろんあるでしょう。さらに、引き取ってくれた養父への義理の気持ちもあるでしょう。しかし、ここまでくると、私は、彼女は「辛い中で頑張る自分、哀れな自分」でいることに心地よさを覚えているのでは…??と思ってしまうのです。幼少期、タンスの中から見ていたヨーセフとアデーラのやり取りからの被害妄想、給料が欲しいと主張すれば良いのにしない、タッグを組もうとする魚屋の申し出を断る…なんだか自分ですべてを悪い方、悪い方に持っていっているような気がするのです。これはきっと、彼女の境遇や養父への義理とも関わってはいるのでしょうが…。
そんな感じのアデーラとステファの歪んだ関係は、ずっと続くわけもなく、映画の最後で終わってしまうのですが、これは、ネガティブなものではなく、かなりポジティブな別離。二人はそれぞれ別々の道で、気持ちを新たに生きていくのです…!
最後の火事のシーンで、養父に対して感じていた、義理や束縛のようなものとしっかり決別できたステファ、よかったよかった。かといって、反対にアデーラが不幸になるというわけでもなく、彼女は彼女で自分の子供も生まれて、フェリックスとペトロは二人の工房を作って…と楽しく生きていくのです。そこもよかったなと思います。善悪の対比、というのでは全くないので。
苦しく、理不尽に思えるシーンもあるのですが、終わってみるととっても爽やかな後味の作品でした。よかった!

『荒地の少女グウェン』感想(ネタバレあり)

うーーーーん救いがない!!!
なにがつらいって、鉱山会社の人たちから受ける脅迫ももちろんつらいんですけど、この親子間に「対話」が全くないのが観ていてつらかった。
劇中の台詞、ほとんど、母親が娘に命令し、娘が母親に懇願しているだけなんですよね。母は子供たちを守ろうと必死で、そうなっているということで、そこも悲しいんですが、やっぱり、こんなに会話無かったらそりゃいろいろこじれるよ…と思いました。
父親の死を母がずっと隠していたことが最後に分かりますが、それも、娘を守りたかったと言いつつ、結局、真剣な対話から逃げてただけなんじゃないの?という。この時代、たぶん親と子の上下関係とか今よりも厳しかったんでしょうが、それにしてもね、大事な話をしっかりしたいですよね。
あと普通に釘が刺さった心臓がドアに付いてたら、絶対私だったらギャン泣きするのに、本当に、母も娘も怖いのに感情を押し殺してる感じで、それもみてて怖かった…。あきらかに誰かに嫌がらせをされているのに、無かったことにして、「強く生きなきゃ」「しっかりしなきゃ」という方向に行ってしまうんですよ。母親が無かったことにするから、娘もそれについて言及できない空気になってしまうというのが…つらいですね。
前に、ロバート・エガース監督の『ウィッチ』という作品を観て、こちらは17世紀のアメリカ(17世紀はまだアメリカという国ではないんですが)の話で時代も場所も違うんですけど、なんだか今作と似てる部分があるようにお思います。どちらも、貧しい中で農作物を育てたり家畜を飼って生計を立てるも、町や村などの集団組織から疎外されて行き詰まり、家族の中でも関係がこじれ、やがて破滅にいたる…という話(で、主人公が少女)なんです。『荒地の少女グウェン』のように、イギリスにいてもつらい、『ウィッチ』のように新大陸アメリカに渡ってもつらい、は~やってらんないね~って感じですね。
そういえば、今作も、『ウィッチ』もホラーというジャンルのくくりになっていますが、個人的にはどちらの作品も、ホラーではないと思います。ホラーの皮は被ってるかもしれないけど…。『荒地の少女グウェン』は、立ち退きを迫る経営者たちとの闘いで、『ウィッチ』は女性差別との闘いですね。
どちらもキリスト教が絡んでいるのがミソだと思います。罪の意識に付け込んだり、自分とは違うものや人を「悪魔」だと言ったり…いやはや…いやはやですよ。

まとめ ~宗教、人種、身分~

とっても濃厚なヒストリカ・ワールド4作品でしたが、それぞれ、いろいろ共通点や似たテーマがいくつかあって、面白かったです。やっぱり全部観ると面白いですね。最後にまとめを。
4作品すべてに共通し、かなり重要な要素となっているのはキリスト教です。『モスキート』では、従者を撃って殺してしまったザカリアスが神に罪を告白し、許しを請うシーンや、イエス・キリストに似た幻覚(なのか現実なのかわからない人)と歩く様子が印象的でした。『魂は屈しない』では、キリスト教を信じ、熱心に教会に通う人々が、一方で、奴隷制を歓迎したり、女性への暴力を黙認したりしている。さらに、聖書において同性愛がタブーとされているようなニュアンスもあり、それもあってエンリケは裁判で罪に問われるわけです。また、『義理の姉妹』では、キリスト教の奉仕の精神を過度に遂行するステファや、医者をあきらめ神父の道を進んだヨーセフの姿が、『荒地の少女グウェン』では、悪魔の仕業にみせかけて脅迫を行う人々や自分たちを救ってくれない神と決別するかのように十字架を燃やすグウェンの姿が描かれています。聖書は一つかもしれないけれど、解釈したり、利用したりする人たちによって、多様な意味が生まれ、それは、恐ろしい武器にも、毒にもなる。また、異教の者との対立や、規範に従わない者の排除にも繋がっていく。私たち日本人は、キリスト教を信じる人はそんなに多くないので、自分たちと違う世界で起きていることと思いがちですが、そうでもないかもしれません。一つの大きなルールや信条があり、それを人々がどうとらえて扱うのか、そのルールから外れてしまったものはどうなるのか…という枠組みで考えれば、ムラ社会の慣習や組織のルールから外れた者への冷酷な仕打ち、という意味で、日本もおそらくかなり似たような歴史をたどってきているのではないでしょうか。
そして、宗教問題と同じく人種についての問題も多く出てきます。『モスキート』ではモザンビークの人々とポルトガル人、ドイツ人の対立、そして奴隷制。ザカリアスが従者二人に「二人とも同じにみえる」と言ったように、彼にとっては「黒人」というくくり、「奴隷」というくくりでしか彼らを見ていない。一方で、肌が白いのであれば「同じにみえる」はずのドイツ人ははっきりと区別し、忌み嫌い、殺し合います。『魂は屈しない』では同じく奴隷制や黒人差別の話が出てきますが、こちらはアフリカの地ではなく、キューバまで連れてこられた人たちが売買されて搾取されている。また、エンリケが「私はスイス人です」というと医者の許可証をもらえたように、移民の問題も見え隠れしています。『義理の姉妹』では、遠方からやってきた魔術師がみせる「東洋の神秘」とでもいうようなアジア風のショー。白人でも黒人でもない、アジア人というのは、この時代のヨーロッパでどのようにとらえられていたんでしょうか。『荒地の少女グウェン』では、出てくる登場人物のうち、医師の先生だけが黒人です。この描写のされ方について、なぜこの配役なのか、当時の歴史的背景に明るくない私は残念ながらわかりませんでした…。
コロナ禍でのアジア人差別や、アメリカの事件をきっかけに盛り上がるBLM運動、今年は特に悲しい人種問題のニュースが多い年なので、このような問題を扱う作品が意図的に集められているのでしょうか。歴史映画をみているはずなのに、今も結局同じ問題で争いの絶えない世界について、考えずにはいられません。
かなり長くなってますが、最後に身分の問題について。『モスキート』と『魂は屈しない』では奴隷制が、『義理の姉妹』では主と召使の話が中心的に描かれていました。身分の問題は、先に述べた宗教や人種の問題ともつながってきますね。自分と違う人種の人々を奴隷にしたり、今回のラインナップでは出てきませんが、宗教としてカースト制度があり、身分が生まれつき違っていたり、というような話です。
ここまで全てを合わせると、宗教や人種、身分制の問題は、別々にあるのではなく、複雑に絡みあっているのだという事実が浮かび上がってきます。このように、今世界で起きていることを、過去の時代を舞台にした映画を観ることで、考え直す。いや~~~~~~~~~~
ものすごく良い機会になりました…!

最後にもう一回、ヒストリカ・ワールドの上映作品URL、貼っておきますね~!

(京都支部・藤原)








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