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homecomings福富優樹さんインタビュー🍩「えい!」ってい勇気を出したらなにかがはじまるかもしれない


こんにちはこんばんは!卒業生の(はる)です!
今回はhomecomingsの福富優樹さんにインタビューさせていただきました!homecomingsではギター、作詞を担当し、映画や文学などのカルチャーに精通しているポップで都会的なミュージシャンです!
インタビューでは本格的な映画との出会い📹や音楽活動の経緯🎸、尽きることがない文学への思い📙を盛り沢山に話していただきました!
貴重なお話がたくさん詰まっているので是非、読んでみてください!(聞き手: はる、チコ)

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チア部: 学生時代によく見た映画、影響を受けた映画を教えてください。

福富さん: 高校までは石川県で暮らしていて、大学で京都に出たのですが、精華大学に通っていま した。 大学に情報館という名前の図書館があってそこに信じられないくらいの数のVHSやDVD(貸出は してない)があり、その場で見ることができたんです。それまでは地元にあったTSUTAYAで『パ ルプ・フィクション』を借りてみたりして、そういう映画の入り口みたいなところを楽しんでいた んですけど、そこから一気にいろんな映画を見るようになって。無料だったっていうのも大き かったです。Homecomingsのメンバーもみんな同じ大学なんですけど、授業をさぼって映画を観 に情報館にいくとよく遭遇したりしました。ウェス・アンダーソン監督作品もそこで初めて見 て。『ロイヤル・テネンバウムス』や『天才マックスの世界』とか。すごく覚えているのはまだ 『ムーンライズ・キングダム』が出る前で地方のツタヤではそんなに大衆的なものになっていない、 まだ小さい世界のとき。まだ「ムーンライズ・キングダム」とかを撮る前で、地元の街では出会え なかったようなものな気がして、一気に好きになっていった気がします。特に初期の作品の空気感 がたまらなくて、こういうのが好きなんだな、って気づけたというか。あとキッズ! 『KIDS』は 結構衝撃を受けて、ああいう、音楽と結びついてるものが刺激的でした。ダニエル・ジョンストン を知るきっかけにもなったし。大学3回生のときにHomecomingsをはじめたのですが、 ちょうどその頃観た『ウォールフラワー』にはめちゃくちゃ影響を受けました。サントラも物語 も、原作の小説もどれも本当に影響を受けてます。この映画みたいなバンドでありたいって思っ ていたような気がします。

チア部: 京都に住んでいた時によくいった映画館はありますか?

福富さん: 大学生のときは京都といっても北の方の山の上で暮らしていたので映画館に行く機会が あまりなくて。『トイ・ストーリー3』をやるときのようなどうしてもみたい作品があるときにだ けお出かけ気分で山から降りていく、みたいな感覚だった。だから映画館って大学生の時はほと んど行っていなくて。みなみ会館に『スタンド・バイ・ミー』を観に行ったことはすごく覚えて るんですけど...。映画は情報館で無料で見るかまだギリギリアルバイト先の近くにレンタルビデオ屋さんがあったのでビデオワン(まだある)というところでレンタルをしていました。卒業後、もう少し京都の市街地が近いところに住むようになってからはちょっとした時間にふらっと行けるようになったので日常的に行くところになりました。段階的にいろんなものを好きになったの で、大学生の時よりも卒業してからの方が映画への関わり方が増えて好きになっていった気がしま す。あ!『トゥルーマン・ショー』がめちゃめちゃ好きでした。大学生のときにみて衝撃で。『トゥルーマン・ショー』とウェス・アンダーソン監督作品と『ゴースト・ワールド』も!『ゴースト・ ワールド』は京都っぽい映画だなと。出町柳に「トランスポップギャラリー」というギャラリー があるのですが、他の町にはないような海外のグラフィック・ノベル等を取り扱ってるお店で、 そこからきっかけで『ゴースト・ワールド』をすごく好きになったというか。インディーっぽいものをとにかく好きになった4年間でした。あの作品はラストのいろんな解釈ができますよね。イーニドが死んじゃったんだ、街から出ていったんだな、何かを見つけたんだな、とか。バスに乗ってどこかへ行ってしまうあのエンディングの美しさ、そしてあの2人の佇まい、サウンドトラックで使われている昔のブルースだったりアメリカではないところの音楽...。モチーフも。バス停とか。とても影響を受けています。エイドリアン・トミネとかもそのお店で知って、後にHomecomingsのアートワークを作ってくれたり、一緒に漫画を連載することになるサヌキナオヤさんも学生時代に通っていたりと、僕にとってかなり重要な場所です。

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チア部: どんな10代でしたか。

福富さん: 小学四年生の時にスピッツがすごく好きになって、そこからずっとスピッツだけを聴き続けていたんですけど、6年生の時に日本のロックが好きになりました。ちょうどアジカンとかレミオロメンがデビューした頃。そこからどんどん海外のものにも紐づいていきました。ジャケットのデザイナーが表紙を手掛けている本を読んでみよう、とか音楽以外のカルチャーにも興味が広がっていきました。インターネットもあまりなくて図書館やツタヤにいってなんとなく気になるものをかりるといった感じでしたね。『ジョゼと虎と魚たち』、『リンダリンダリンダ』、『花 とアリス』...音楽っぽい、サブカルチャーっぽいものに惹かれていきました。そして広がって洋楽に。洋楽っぽい映画を借りてみようという気持ちが最初で、『ヴァージン・スーサイズ』をみ たり「ライ麦畑でつかまえて」を読んだり。音楽の趣味が広がっていくのと同時にそれ以外のカ ルチャーを好きになっていった10代でした。図書館とツタヤが一つの街にあったのがすごくよかったと思います。『ロスト・イン・トランスレーション』をみてマイブラ等のシューゲイザーにハマる、といった逆もあったりして楽しかったです。映画っぽい音楽を作りたい、小説のような歌詞を書きたい、みたいな気持ちがなんとなくあったりするんですけどそれってもしかしたら、こんなふうに色んなものを紐付けて楽しんでいたことが影響しているのかもしれないですね。

チア部: 一番最初に見た映画はなんですか?

福富さん: 記憶にないなあ...。だけど最初に好きになったのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 と『ゴースト・バスターズ』。家に録画したビデオがたくさんあって、それを小さい頃はみていまし た。いわゆる80年代っぽい映画で、今でもすごく好きです。アメリカというものに憧れるようになったきっかけです。『ホーム・アローン』とかも今でも大好きですね。映画という感覚でみていないけれどジブリもよくみていました。映画館に映画を見にいくような家族ではなかったですが、 毎週レンタルショップには行っていました。映画館っていうのがおじいちゃんおばあちゃんに連れていってもらった記憶しかなくて。映画館に行くことのハードルが高かったです。DVDも、お小遣いが少なかったから一度見てよかったものを厳選して買うという感じで。でもやっぱりレンタルショップが大きいですね。『ヴァージン・スーサイズ』や『パルプ・フィクション』のような単館系がやっているところが当時石川県にはなかったんです。色褪せている作品をみて「これがサブカルチャーや」って思ってました(笑)。

チア部: 京都にいくまでに「ここに行きたい」といった憧れはありましたか?

福富さん: とにかく田舎が嫌で出たいと思っていました。それこそ映画館、レコード屋というものに対する憧れがあったり。高校3年生のときに教室で「人のセックスを笑うな」を読んでいて、それをすごく馬鹿にされたりして...。本をよく読んでるけどそれと同時に結構はしゃぐ高校生だったから、「変なの読んでる」といじられたのが嫌で!とにかく出たいと思いました。しかもカルチャーがあるところに出たくて。普通の大学とか行くとこのまま一緒なんだろうなっていうのがなんとなくありました。そういうところを探していると精華大学しか出てこなかった。毎月色んな大学のパンフレットが家に届くんだけど精華はzineみたいになっていて、文学編、音楽編、映画編と分かれていた。読み物として単純にめちゃくちゃ面白くてそれをみて絶対ここ行きたい!って一点集中に。未来のキャリアはあまり考えていませんでした。バンドをやりたいっていう大きな夢はもちろんあったけど、それ以外にもレコード会社とか出版社とか配給会社で働くとか、ライターになるとか、国語の先生になるとか図書館で働くとか、ミュージシャンよりかは現実的な夢がいっぱいあったんですよね。とりあえず、この大学に行けばそのどれかは叶うはず、って思っていました。いざ進学すると想像と違うことも多くてショックなこともあったり...。思っていたより色んな人がいたんですよね。もっとみんなカルチャーにまみれてると思ってたらそうじゃないっぽいっていうのにはじめの一ヶ月くらいで気がついて。Homecomingsを組むことになる部活も入ってすぐに一回辞めていて。

チア部: そのとき趣味を共有できる友達はいましたか?

福富さん: それが今一緒にhomecomingsをやっている畳野さん。もう1人同じ大学の友達とあと は4、5人かな。中学の時も音楽とお笑いを話せる友だちがいました。自分が一番詳しいとは思ってはいたけど(笑)。すみっこにいるタイプではなかったんです。ルサンチマンみたいな感じはありませんでした。大学に入ってしばらくすると、情報館友達というか、なんとなく自分と同じような気持ちで精華に来たんやな、みたいな人たちとも知り合うようになってきて、シネフィルみたいな人と話したり、あとはバンドをはじめて大学の外でodd eyesとかHi, how are you?とか友達が増えたんですけど、みんな僕が知らなかったような音楽と映画とか本とかを沢山知っていて、それがめちゃくちゃ大きかったです。自分が一番詳しい!って思っていた高校生までの感覚がどんどん薄まっていった感じというか。それが刺激的で本当に楽しかったですね。 自分だけが知っている、みたいなのはあまりよくないなと思っていて。ルサンチマン的な力が何かの原動力になることもあるかもしれないけど一歩間違えればあまりよくないパワーになるかもしれないですよね。例えば去年の小田急線の事件だったり。なにかを生み出す熱量に向かう場合もあれ ば攻撃する方に行きかねない時もありますよね。友達がいっぱい!というわけではなかったけれど楽しかったし、そんな感じにならなかったのはラッキーだったなと思います。自分vs世界みたいな価値観の作品って高校生の頃とか刺さりやすいじゃないですか。世代的にそいういうものが多かったような気もしてて僕も少なからず影響を受けていると思うし、良いものもたくさんあると思うんですけど、そこにぐっーっとハマっていっちゃうことの怖さみたいなものあって。ミソジニーみたいなものが生まれるきっかけでもあるような気がしているんですよね。 友達がいないといけないっていうことではないんですけど、なにか内側に風が通るような場所なり存在があればいいな、と思います。だから本当は自分がそういう場所にもなれたらいいなとは思っていて、ラジオとか文章を書くときは少し意識していたりはします。友達みたいな存在に思ってくれたらいいな、というか。本当は電話とかできたらいいんですけど、それは現実的じゃないし、 今はライブ後にフロアで話すとかもできないから、直接っていうのがなかなか難しいくて悔しい んですけど。

チア部: 年齢を重ねることに恐怖はありますか?

福富さん: それがあまりなくて。結構田舎の街にいて京都に出てそして東京に出て行くという段階でいろんなものを新しく知っていった。大学生の時はそんなに小説読んでなくて。ポール・オース ターは好きだったけど、大学を卒業して1年くらいたったころに海外文学は好きになった。映画も音楽もこれからどんどん新しいものに出会っていくと思うし、それが楽しみなんですよね。「10 代のときまでに好きなものがその人を形成する」みたいなことをよく言うけれど、僕はあまりその感じはなくて。もちろん10代の頃に出会ったものを今でも好きだしルーツにはなっていると思うけど、それと同時にどんどん新しいものを好きになるし、広がっていくのが楽しいと思っているんです。それこそ映画とかも。コーエン兄弟を知ったのだってそんなに前じゃないし、エドワード・ヤンを知ったのもリマスターで出た3、4年前のことです。好きになってそこから台湾のことを色々調べるようになったりしました。30歳になりましたがもっと若い頃に色々やってたら〜、みたいなのはあまりないんです。おじいちゃんになってクラシックが好きになったとしたらそれはそれで素敵だなって思えるんです。時間の経過が発生することによって少しずつ歩んでいく感じが好きです。映画も音楽も小説も時間というものとセットな部分もあるし。

チア部: homecomingsで本格的に活動する、となったとき商業的な考え方になってしまったこと はありますか?

福富さん: homecomingsは最初は大学のサークルで組んだバンド。大学の外で1回たまたまライ ブをして、そこからまたライブしませんかと呼ばれたり、それを見に来たレーベルの方から声を かけられたりしました。自ら広げていったというよりはコロコロ広がっていったという感じかな あ。どこかでやるぞ!って判断をする分岐点みたいなのはあまりなくて。勿論ずっと音楽が好きだったから、ミュージシャンになるというのはやっぱり1番の夢だった。大学生4回生の時にフジ ロックに出る、ってなってそこから就職せずにこの道だ、となりました。そういう意味ではフジロックにあのタイミングで出演できたのはめちゃくちゃ大きなターニングポイントかも。

チア部: わたしたちと同い年のとき...!

福富さん: でもそれでお金を沢山もらえるわけじゃないんだろうなっていうのは薄々...。大学3年生のときにバンドをはじめたのですが、これで生活がすぐできるようになるわけじゃないんだろうなっていう現実感も同時にあって。実際周りがそういう人も多かったんです。みんな就職していたわけじゃなかった。アルバイトして好きなことを続けるっていう。高校生の時はそういうのは想像できなかったんですね。ミュージシャンはミュージシャンだけで生活してると思っていたし。どんどんそうやって知り合いが増えたりすると誰しもがその道一本というわけではないということを知っていきました。就職したって好きなものをやめるっていうことにはならないと思うから、結果的に自分が満足いくかどうかではないでしょうか。

チア部: 初めて海外文学に触れたのはいつ頃ですか?

福富さん: 一番最初は小学生の時にヤングアダルト小説っていう映画の原作になったりしている若者向けの小説を図書館で借り始めました。オグ・マンディーノの『12番目の天使』とか、カール・ ハイアセンの『HOOT』とかですね。それより前にタンタンの冒険も大好きだったから海外っぽいもの、色とか匂いにキュンとくるのは小さな頃から変わってないですね。セサミも大好きだったし、通販番組のレンボーアートの紹介映像とかめっちゃ好きでした。さらに文学的なものだと 「ライ麦畑でつかまえて」が一番最初だったと思います。タイトルが色んなカルチャーの作品に出 てきたり引用されたりしてて、カルチャー界の読んでおかなくちゃいけないものという感じだったから。大学生になってポール・オースターとかを読み始めるまでは海外文学=ヤングアダルト小説っていう感覚があったような気がします。未だに好きでよく読みます。ジョン・グリーンとかデ イヴィット・レヴィサンとか。

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チア部:福富さんにとって“海外文学”といえばどの国の文学を多く読まれているんですか?

福富さん:アメリカが多いですね。だから海外文学っていう表現はよくないかもしれません。ここ何年かは韓国の文学もよく読んでますね。

チア部:韓国の文学も面白いですか?

福富さん:とても!最近、書店の中でも大きくコーナー展開されていて手に取るきっかけになっ ているっていうのもあるとは思うんですけど、自分にとって関心があるテーマ、特にフェミニズム に関する作品が多いっていうのが良くて。小説だけじゃなくて『私は男でフェミニストです』と か『わたしたちにはことばが必要だ』といった本もとてもよかったです。それに日本語に翻訳されるスピードが早くて、それは多分、文法的な部分で近いからかもしれないですね。アメリカ文 学って出版されてから10年くらいたってから翻訳されることがよくあるけれど、韓国文学はつい最近出た本がもう日本語で読めたりするので最近は読んでいます。嬉しいですね。

チア部:どのようなジャンルを読まれるのですか?

福富さん:すごくざっくりというと町っぽい小説が一番好きで。一番好きなのがスチュアート・ダイベックという作家の『シカゴ育ち』という短編集なのですが、彼の短編はどれも町並みがはっ きり頭のなかに浮かんできます。あと僕はポール・オースターがすごく好きで、ブルックリンの町 について書かれていたり、それこそ映画『スモーク』もポールオースターが書いてたり、ウェス・ アンダーソンの『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』と同じような街並みが思い浮かぶようなネイバーフッドな小説が多いと思います。日本にはない雰囲気を感じるのが楽しくて。エリザベス・ストラウトの『オリーブ・キタリッジ』シリーズとかも本当に大好きです。でも結局は昔から同じで海外っぽい、アメリカとかイギリスっぽい匂いとか風景にとにかく惹かれるっていうことだと思います。

チア部:最近のhomecomingsの音楽は日本語の歌詞のほうが多いように感じますが英語の歌詞 の場合、独学で書かれているんですか?

福富さん:それこそ、すごく好きな海外文学の洋書を買って参考にしたり、そこから自分で訳してみたりしています。洋書に出てきた文法だけ使ってみたりもしています。でもはじめの何作か以外は英語ができる知り合いの方に手伝ってもらって、はじめに僕が書いた訳詞調のものを英語にしてもらってそこから調整していくっていう感じですね。「Hurts」とかはとにかく家にあるDVD を英語字幕にして、使えそうな定型文を探したり、色んなレコードの歌詞カードからフレーズを抜き出して、それを自分で書いた歌詞に合わせて書き直しって感じで作ったんですけど、やっぱり文法とかめちゃくちゃになっちゃうし、彩加さんもみようみまねで発音したりしてたので、意味がわかんないって言われるっことも多くて、作品として世に出る以上はちゃんとしたものにしたいっていう思いがあって、独学でやるのは途中で辞めましたね。福富さん:それこそ、すごく好きな海外文学の洋書を買って参考にしたり、そこから自分で訳してみたりしています。洋書に出てきた文法だけ使ってみたりもしています。でもはじめの何作か以外は英語ができる知り合いの方に手伝ってもらって、はじめに僕が書いた訳詞調のものを英語にしてもらってそこから調整していくっていう感じですね。「Hurts」とかはとにかく家にあるDVD を英語字幕にして、使えそうな定型文を探したり、色んなレコードの歌詞カードからフレーズを抜き出して、それを自分で書いた歌詞に合わせて書き直しって感じで作ったんですけど、やっぱり文法とかめちゃくちゃになっちゃうし、彩加さんもみようみまねで発音したりしてたので、意味がわかんないって言われるっことも多くて、作品として世に出る以上はちゃんとしたものにしたいっていう思いがあって、独学でやるのは途中で辞めましたね。

チア部:何かしたくても何をすればよいのか根本的な手段がわからない時のアドバイスをください。

福富さん:とにかく今好きなものをもっともっとめちゃくちゃ好きになっていくことが1つだと思 います。あと、例えば本が好きで本屋さんに通っていた時にたまたま、スタッフに人に声をかけたり、かけられたりして何かのきっかけになったりすることがあると思うので、「今、話しかけてみようかな」みたいな瞬間に一歩踏み出せるかで変化していくのかなって思います。「えい!」ってどこかのタイミングで踏み出せたらいいのかなって思います。僕はめちゃくちゃ人見知りをするタイプなので、それがとても勇気がいることだっていうのは分かるんですけど、結局色んなことを振り返るとはじまりはそういう出会いだったような気がするので。どうしても無理でもずっと通ってるうちに誰かが話しかけてくれたりとかもあると思うし。僕も本屋さんのイベントで最後までずっと端っこでひとりでいたこともあったし、今でもそういうことばっかりだし、別にそういうときはそういうときでシンプルにひとりでイベントを楽しんだらいいとは思うんですけどね。 でも「えい!」ってい勇気を出したらなにかがはじまるかもしれないっていうのは、多分年齢とか関係なくあると思うので、頭の片隅にでも覚えておいてもらえたらなって思います。映画チア部さんとの出会いだってはじめのきっかけはそんな感じやし、とりあえず僕もイベントとかで会ったときとかにはどんどん話しかけていただいて大丈夫なので!

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