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雪の向こうに

映画「氷がすべてを隔てても」

少しでも涼しくなれるのではと期待して、熱帯夜に見ました。
結果、たしかに、非常に寒かったです。

わたしが子どもの頃、「南極物語」や「植村直己物語」といった探険家を描いた邦画が流行りました。植村直己さんは、普通のサラリーマンにはできない冒険をみんなを代表してやってくださってるんだと当時、国を挙げて応援していたのを覚えています。アラスカのマッキンリーに一人で挑む姿をヘリから空撮し、テレビニュースで放送されたりもしました。

「氷がすべてを隔てても」(英題「Two against the ice」)は、それよりずっと前、1909年にグリーランド極北へ向かったデンマークの探険家二人が1912年に発見されるまでのお話です。グリーンランドに海峡があるかどうか、先人の隊が残したはずの調査地図を雪原へ探しにいくのですが、そこにはデンマークとアメリカ合衆国の領土争いがかかっています。デンマークはどうにかして地図を見つけて、アメリカの主張する海峡は存在せず、グリーンランドはひとつの島と証明しなくてはならないのです。
隊長は、片腕だったベテラン隊員が負傷したため、志願した新人の電気工を連れて、犬ぞりで出発することになります。
来る日も来る日も、二人きり。どこまでも果てしなく雪原で、当たり前ですが行く先々にカフェもブティックもなければ、道や交差点もなく、遭遇するのは危険だけ。先人のメモと、探険家としてのカンと経験だけが頼りの道程です。

ミケルセン隊長とアイバーソン技師はともに実在した人物

犬は最初、10匹以上いたのですが、徐々に減っていきます。途中で死ねばエサとなり、死ななくても食糧がなくなれば殺してエサにします。これはちょっとショックでした。「植村直己物語」では犬をとても大事にしていて、妊娠が判明した犬をヘリを呼んで戻したくらいです。植村さんの時代は小型無線をはじめ様々な装置が備わり、ヘリによる食糧補給も可能でした。1909年は明治42年。孤立した雪原から基地に連絡する術はありません。食糧が底を尽きだすあたりで、見ているほうも気持ちが寒くなってきます。
帰ってこない二人について、デンマーク政府は塩対応です。救助を行わない理由は予算がないから。生きているかどうかわからない二人のために予算を割けないという理屈です。遊びに行ったわけではない、国の領土問題を背負って命をかけたにもかかわらずです。どうして隊員が新人の電気工なのかも議論になる始末。もしも救助を待っているのが自分だったら、ということは、どこの政治家も考えないようです。成功したときは、自分の手柄にするのに。

寒さの中、長く孤立した日々に、隊長は幻覚を見始め、だんだんおかしくなっていきます。相棒の若い電気工がそれでも隊長を慕い、尊敬をやめないのにデンマークのヴィーキング・スピリットを感じます。幸い、最後の最後は悲劇の結末ではなく、雪のドアの向こうに希望がやってきました。

この映画鑑賞で束の間の寒さが漂いましたが、猛暑で毎日冷たいものを食べたくなるので、最近、冷凍庫に常備しているのがシャトレーゼの冷菓。代々木八幡のフラウラというペイストリーだった所にシャトレーゼがオープンしたのです。(フラウラは長野県上田市に移転されました)

バッキーが歪んでいるのは、持って帰る途中に溶けたから

必ず買うのは、瀬戸内レモンモナカアイスと、ティラミス味のチョコバッキーです。ティラミス味というより、コーヒー味というほうが近いかもしれません。今年50歳のチョコモナカジャンボも大好きです。