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友達に舞台を紹介できるようになりたい

家で座って映画をみる時間がとれていないこの頃、久しぶりに演劇を観た。オンライン演劇だ。

そのちょっと前に演劇論について勉強する機会があった。60年代よりも前に盛んだった旧劇から始まり、新劇・アングラ演劇・ポップカルチャー演劇・静かな演劇と、私が実際に劇場へ行って自分の目で観たここ数年の現代日本劇よりも前から、色んな人が社会の影響を受けながら伝承してきた演劇について。
そして講師は最後に言った
「演劇の歴史を作るのは記録、すなわち批評である。だからどんな作品もできるかぎり批評家に観てもらって、文字で残すことが大切だ」
確かに、文字言語は長い時間保存ができて、かつ内容を吟味し直す事ができるから、この言葉にはすごく納得した。それと同時に、私にとって批評は偉い人がこれまでの歴史を踏まえて説得力ある文章で書くから、そんな人たちの間で私は感想を言いにくいと感じることもよくあった。それは多分、作品を作る側に片足を入れているからという理由も大きい。

このことについて、少し他のジャンルと比べてみた。例えば、映画。
映画はfilmarks始め、個人のTwitterアカウント、私がやっているようなnoteなどで一文から2000字くらいのコンテンツまで、とにかく文字で残されている。また音声だと、Youtubeやニコニコ動画でも感想をアップするなど、本当に色んな人が色んなメディアを使って自由に感想を残して、さらには星評価なんかも残している。その中には、映画評論家も混じって、歴史的観念から作品を紐解いて、さらには解説までしてくれるところまである。
対して演劇。人の書いたアンケートはアンケートボックスに伏せられ内容が見えないことがほとんどで、SNSには関係者や話すのが上手な人が意見や批評を残す姿をみて、あまり自分の頭悪い感想なんかを残すのやめようって思ったりする。
そうして私がこれまで観た100本以上の作品に対する感想は手元の紙に書いて消えたか、少しずつ年月を経て忘れられていった。多分だけど、私は大学生になってから一気に巻き返し、これまで映画よりも舞台作品の方が多く見てきた。

それでちょっと思った。
学術的な視点で作品を分析して文字で記録し、伝承することも大切だと思うけど、それはきっと世の中の立派な批評家がしっかりやってくれている。だからこそ、私にとって観劇を記録することはもっとハードルを下げて自分ごとで考えていいのだと。
それと同時に、私自身もっと自分が見た作品を人にオススメできる自分でありたいと思う。
正直、自分が日頃仲良くしている友達は劇場に行かない人がほとんどで、作品を是非見て! と、映画みたいに紹介することはほとんどない。学生の時に仲良くしていて今も舞台を続けてる人には紹介することがたまにあるけど。

結論、これからは私は自分が見た作品を忘れてしまわないように、ちゃんと舞台の感想もまとめるようにしようと思った。そして、友達にもオススメできる作品や団体を見つけられるようになりたいと思った。

最近のメディアは感想と意見と嫌がらせが混ざって、人が何かを対象に話したり・書いたりすることがすごくセンシティブな行為になった。
けど、そもそも、きっと、私が大した事を言うことはない。その中でちゃんと友達に紹介できるような言葉を選んでそれだけには責任もって感想を書こうと思う。そんなメモも、これからはnoteに書いておこうと思う。

そんな小さな決断をした、雨の日でした。




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