ドラマ『生きとし生けるもの』を観て、人は何のために生きるのかを考えた
あなたは何のために生きていますか?
この質問に即答できる人は決して多くないだろう。偉そうに質問した私だって、いざ聞かれたら「え、そりゃあ……何となくだよ」と口ごもるに違いない。
人様に危害を加えない限り、人は何を目的に生きたって良い。地位、名誉、金、家族、恋人、推し……人の数だけ答えがある。年齢や環境と共に変化することも多い。もちろん目的がなく、ただ何となく生きている人がいたってまったく問題ない。
そもそも私たちはそんなことを考える余裕もなく、毎日に追われて生きている。今日のことで精一杯。明日も明後日も、恐らく同じような1日になると予想できる。不満はあるけど、そこそこ充実していると思う。そんな生活を幸せと呼ぶのかもしれない。
でも、ふとしたきっかけで立ち止まってしまうことがある。
「あれ、何のために生きてるんだろう」
歩き方を意識した途端、手足をどう動かせばいいかわからなくなる感覚。地面が不安定になっていく恐怖。積み上げてきたものが一気に崩れていく絶望感。「生きることに意味なんてない。だったら……」と悪魔が耳元で囁いてくる。
ふと立ち止まってしまったすべての人に、私はこのドラマを贈りたい。
生きる意味を失くした2人の人生最後の旅
本作の主人公2人も、生きる意味がわからなくなっていた。才能ある外科医の佐倉陸(妻夫木聡)は、あるきっかけでメスが握れなくなる。外科を追われて内科医になり、離婚で妻と子どもを失った佐倉は、自分に残されたものは何ひとつないと、精神安定剤を服むのだった。
佐倉の担当患者である成瀬翔(渡辺謙)は、がんの余命宣告を受ける。繰り返される手術と抗がん剤治療に成瀬はうんざりしていた。このまま生きていても苦しいだけ。病院の天井を見つめながら死を待つだけだ。成瀬は佐倉に言った。
「先生、俺のこと殺してくれないかな」
「いいですよ」
佐倉はあっさりと承諾し、カリウムがあれば5分で楽にあの世へ行けると説明した。
「ただ、死ぬ前に生きてみませんか?」
病院の薬品棚からカリウムを2本持ち出し、辞表を出した佐倉は成瀬と病院を抜け出す。死ぬために生きることにした2人は、人生最後の旅に出る。
終わりを迎える人間のリアル
本作は、終わりが近づく人間の揺れ動く感情が見事に描かれている。作中にこんなシーンがある。
成瀬は身体に激痛が走るたびに生きることに絶望しながらも、朝日を見てこの世を美しく思い、初恋の人に再会して死にたくないと佐倉に漏らす。人生が終わるとわかったら全てがどうでも良くなったはずなのに。
成瀬の姿は滑稽にすら映る。しかし、それが人間の本来の姿なのだ。
余命宣告を受けたことはなくても、心の底から別れたいと思っていた恋人と、いざ別れることになったら別れたくなくなるというような経験は、誰しも1度はあるんじゃないだろうか。
人間は終わりが近づくほど滑稽で馬鹿馬鹿しく、矛盾した感情が浮き彫りになる。死にたいという感情の中には、死にたくないや生きたいも含まれている。それが人間のリアルなのだと、本作で気づかされた。
矛盾を抱えているのは成瀬だけでなない。佐倉は3つの矛盾した感情に苦しめられていた。医師として患者の命を救わなければならない気持ち。人間として成瀬の気持ちを尊重したい気持ち。そして佐倉陸として、成瀬と旅を続けていたい気持ち。
死にたい、生きたい。
助けたい、楽にしてあげたい、死んでほしくない。
2人は矛盾した感情を抱えたまま旅を続ける。旅が楽しければ、答えを出す必要なんかない。しかし、時間が答えを求めてくるのだった。
そして旅は終わる
人生に必ず終わりが来るように、2人の旅も終わりを迎える。薬も効かなくなり、明らかな体力の衰えを感じた成瀬は弱った声で佐倉に言う。
「そのときが来たんじゃないか? つらい、苦しい、楽にしてくれ」
そして佐倉はカリウムを取り出す。
死ぬために生きてきた2人が、旅を通して何を得たのか。
2人が出した答えは何か。
もったいぶるようで恐縮だが、答えは書かない。私がここに書いたところで意味はないから。ぜひ本作を観て、2人の旅を追体験してほしい。それが物語の良いところじゃないですか。
本作を観て、再び考えてみてほしい。
あなたは何のために生きていますか?
私は、素晴らしい作品と出会うために生きている。
本作に出会ったことで、私は明日も生きていけるだろう。
あなたの答えも教えてください。
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