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1 きっかけ

 先日、A新聞の記事に「日本にしかいられないのはリスク(海外の学校が日本で説明会を開いた事についての記事)」というのがありました。その中でインタビューされた方が「経済も教育も日本の未来には希望が持てない」と発言したのが掲載されていた事に対して私は、「確かにダメな部分はあり、時代に合わなくなっているところもあるが、日本ダメ、海外良いと単純に考えてしまうのは、それこそが日本的思考形態であるし、逆にリスクだ」と言いました。

 これに対して友人が言った事はこうです。
「英語コンプレックスが第一の原因で、それが無ければアメリカでもヨーロッパでもどこへでも行ける」つまり、英語がダメ(これは教育の問題として)でなければそもそも海外礼賛的な思考にはならないだろうという事でした。確かに多くの人は英語を学校で勉強していても外国の方々と普通に話す事ができるまでにはなりません。街で外国の方が道に迷っていたとして、気軽に教えられる人は少ないでしょう。教えるどころか、「気軽に」のところで無理で躊躇してしまい、避けて通ろうとまでしてしまうでしょう。なので、もし英語が話せたら目の前のバリアは一つクリアです。

 ですが、それで本当に全ての問題は解決して記事の中の方が言った「海外」への理解は進むでしょうか? 私はそうは思いません。英語が話せるようになってもきっと別のコンプレックスは次々と出てくるはずです。どうしてでしょうか? 最もシンプルな答えはこうです。

 人は、自信の無い自分が大好きなのです。

 「そんなはずは無い!」と思われるでしょうけれども、それは事実です。全員がそうであるとは言いません。ですが、そうでない人はほんの一部に過ぎません。ほとんどの人は自信が無い状態に留まりたいのです。なぜでしょう? 自信が無い状態で生きるのは苦しいのに。いいえ、自信を持って事に臨む方が、自信が無くて何もしないよりずっと苦しい思いをするのです。

 「自信」というものは自分の心の中にあるもので決して事実でも現実でもありません。ですから、自信を持って何かを始めるのと自信が無くて始めるのとでは実際には特に何の差も生じません。ですが、自信を持つ人は始める選択をし、自信が無い人はやらない選択をします。(もちろん自信無しに始める人もいますが) つまり、自信が無いという状態でいる人は何もしない楽さを選び、始める人はやってみての困難や挫折を選ぶ可能性が高いのです。(全く当たり前の事ですね)

 そうしたわけで、人は楽な方を選びます。であれば、英語ができないのバリアがクリアされた後でも何らかのバリアを考え出すはずです。そうは言っても経済的に無理、家や家族を放り出して行けない、仕事があるし、親が心配、食べるものが合わないだろう。だから人は自信の無い状態を好むのです。

 かく言う私も自信の無い状態を好むグズ野郎です。失敗はしたくないですし、挫折は嫌です。自分の能力が人並み以上とは到底思えません。最初の「英語ができれば」発言の私の友人もそうでしょう。ですから、問題は英語ではないのです。逆に本当に英語だけなら相当簡単な話です。なぜなら、単に英語教室に今すぐ通う手続きをすれば良いからです。・・・そんな事するわけありませんよね?

 だったらどうすれば良いの? これが私が書き始めた理由です。

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