見出し画像

29 人生ですべき事を全て終えたのですか?

 (今回は当初考えていた内容を臨時に変更して書いております。)
 近いところで火事がありました。夜間にサイレンを鳴らして消防車が通りました。通り過ぎてサイレンが聞こえなくなってしまえば遠いところだなと思うのですが、その後も次々と来て、その音は遠くないところにあるカーブを回り込んで進んで行くのがわかりました。サイレンはいつまでも聞こえていてある程度以上に遠ざかる事はないようでした。

 近くだと怖いなと思って外に出て見晴らせる場所に行きますと、1キロメートルほど先と思われるところで火の手が上がっているのが見えました。近所の人たちも続々と出てきて見ています。夜には暗くて何も見えないその場所が赤い光に照らし出されていて、その中心に高い火柱が見えます。

 あそこは古い家が多くて延焼しやすいんだよ、と隣に立っていた人が言います。何年か前にも大火があってね、あのあたり全部燃えちゃったんだ。その静かな言い方と目の前の炎がまるで関連性の無い別々の事のように感じられました。煙の臭いが漂ってきて、紙のような軽い物が燃えて舞い上がったのでしょう、灰も足元に落ちてきています。

 朝になって近所の方から聞きますと、昨夜は通行止めで行かれなかったけれど
今朝になってケアマネが自転車で行って確認してきてくれたそうです。3軒の家がほとんど全部燃えてしまい、高齢の方が2名亡くなってしまったそうでした。あのあたりは今は若い人がいなくて年寄りばかりだからね、火なんか出ると何もできないのよ。


 2023年3月21日、私の人生はまだ続いています。これを読んでいるあなたの人生もまだ続いています。でも、明日は?、わかりません。明後日?、もっとわかりません。1週間後、1ヶ月後、1年後、10年後?、全くわかりません。私たちは近い過去に突然起きた大地震を目撃しています。戦争で人が死ぬのを、そして伝染性のウィルスで多数が死ぬのを目撃しています。ですが、自分はテレビ画面の前にいて、それはあくまで画面の中の出来事で自分には関係ないと思って生き続けています。不思議です。

 私たちは仕事というものをして、それで良いのだと思って生きていて、死んで行く人々の事を画面の前で見ています。関係ないと思って。関係ない? いえ、私の人生の終わりがどこにあるか見えないだけなのです。きっとあの人たちもそうだったはずです。それが1日ずれていれば1日分の、1週間ずれていれば1週間分の何かやる事があったはずですが、それは無くなりました。生きている私にはもしかするとあと1日分残されているかもしれません。いえ、もしかすると数十秒だけ?

 数年前に妻の父親が亡くなりました。その日はいつもの日と何も変わった事はありませんでした。いつものように2階の部屋に上がって居間のテレビを付け、テーブルに用意されていた好きなメンチカツをおかずにご飯を食べました。それからタバコを吸ってテレビを見ていて・・・それで終わりでした。座椅子に座って居眠りしてしまったかのような姿で人生を閉じました。静かな死でした。

 お義父さん、あなたは人生ですべき事を全て終えたのですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?