見出し画像

感受性で、うずくまった夜のこと

君は、感受性が強いから。

ぽっかりと開いた口が塞がらないまま、わたしは、はぁだか、へぇだか、よくわからない返事をして、相手の手元に視線を下げた。ぜんぜん、伝わっていないんだな、と思う。なんでこんな、ぜんぜん、伝わらない。この心のモヤは、わたしが"感受性豊かな人間”だから生じるのだろうか。

自分の感受性くらい自分で守ればかものよ

ー茨木のり子 詩集『自分の感受性ぐらい』

有名な詩が頭をよぎる。感受性って、そんな面倒くさそうに言い放たれる言葉なんだっけ。ばかものは、ばかものって。つまり、守れそうにないわたしは。パタンと思考を閉じる。会社で引きずるには、終業までの5時間が遠すぎる。

どんなに、自分の思考を閉じても、周囲は開いたまま進む。
衣擦れの音すら、大きく、不機嫌に、部屋に反響しているようだった。

日付が変わってから、ようやく帰路に着いた。1K の自宅を出たのはもう随分と前のことなのに、出た時と同じ空気が停滞している。片付いていないシンク、ベッドに放り投げられたスウェット。とろんとした朝のまどろみの気配すら色濃い。帰宅してからようやく、疲労感がべったりと身体にまとわりつく。このまま玄関に足が根付きそう。気持ち悪い。

浴槽にお湯をため、そしてそこに身体を浸すのも億劫で、ジャッとシャワーを浴びて、キュッと蛇口を閉める。10年選手のバスタオルはへたってしまっているけれど、いまだに現役で、水もそこそこ吸う。スウェットワンピースを被って、ごく簡単なスキンケアをすませ、強い熱風に髪をなびかせたら、もう、今夜の私に用はない。

帰宅してから目にしたすべてを無視して、部屋の電気を消し、布団に入る。そのままキュウッと、目を閉じた。しばらく経っても、一向に睡眠へ入り込めないので、仕方がなく、ゆっくりと息を吐き、ため息を呼吸とごまかして目を開ける。

カーテンの隙間から、大通りを走りさっていくカーライトの光が入ったり出たりして、真っ暗なはずの部屋は、しばしば発光する。白んで、暗くなって、白んで。繰り返し、繰り返す。なんでだろう、わたしはひとり、どんどん悲しくなってきて、瞳に水分の膜が張り詰る。

今日のわたしは、だれかに優しくなかった。
今日のわたしには、だれも優しくなかった。

本日を反芻する。
朝、駅の改札にひっかかり、出社して直ぐにいれたコーヒーの泥のような不味さ。先輩からのただの質問、からの詰問。セクハラまがいな電話の問い合わせ。お弁当箱の中身が全て右寄り。取引先の常務が無意識に見せる、悪意のない男尊女卑。いつのまにか許容量を超えてあふれた悪態に、上司が返した“感受性”。

ダメだなとか、ツイてないなとか、そういう物事は、1日の中で連続して起こることが多い。というよりも、いい出来事よりも、よくなかった出来事のほうが突出して思い出しやすく、簡単に身体の中をえぐってくじく。ジクジクと痛みを伴い、心が出血している、などとありえないことを考えて、ばかばかしいと呆れる。出血しているとしたら、原因は、パツンパツンに肥えた感受性の破裂だろうに。

途端、部屋に一瞬、赤色の光がスパークした。赤のテールランプ。パトカーのサイレンが、近づいて恐ろしい速度で通り過ぎていったらしい。あまりに鮮烈な赤だったので、水分をたたえていた瞳の奥が、チカチカと点滅する。

横たえた身体をまるめて、手と足の指先にぎゅうっと力を込めた。本当は、二度と起き上がれないのではないかと思っていたから、身体がまだ動くことに安堵する。

今日のわたしは、だれかに優しくしたかった。
今日のわたしに、だれか優しくしたかったかな。

記憶はいつだって苦く、隣の芝はいつだって青い。誰かのせいにしてしまうのは簡単で、自分のいたらなさを憂うのは楽だ。ふと考える。感受性、という言葉の本来の意味は、外の刺激や物事の印象を受け取る能力のことだと。感受性が強い、ということは、つまり、その能力によって、動じてしまうことだと。

外の刺激、物事の印象
過ぎ行く日々、擦れ違った人々。
だれかと、わたし。
放られた言葉と、動じてしまったこころ。

天井に、白い光が差し込み、ゆらぐ。水面みたい。外は、人口の光が夜をも照らし、白々しいだろう。堂々巡りな気持ちの満ち引きをくりかえす。白や赤にたびたび発光する、真夜中の部屋のなかで、何万回も、性懲りもなく、うずくまっては立ち上がる。今日のわたしも、明日の誰かも。そうかな?

水は忘却を司る、とタイトルも忘れたアニメーションの設定を思いついて、ここが、海でも湖でも川でも、とにかく、いまここは、水底なのかなと思った。天井の水面は、なんともやさしく凪いでいる。

グジッと、無意識に鼻をすすっていた。瞳に満ちていた水分は、波みたいに引いてしまって、意識をゆっくり沈ませる。やさしい朝へ、浮かべ。


この世に魔法があるなら、それは人が理解し合おうとする力のこと。

ー映画『ビフォア・サンライズ』

最後まで読んでくださりありがとうございました。スキです。