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【#創作大賞2024 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』14章

ビーチサンダルと電話をしてから1週間、もしかしたら2週間は経過したかもしれない。

電話こそしないけれど、毎日何かしらのメッセージが送られてきて、僕は夏のカゲロウのようにじりじりと内臓を焼かれているような気がした。


ーー手は繋いだのか。
ーー抱き合ったか、そういう意味じゃねえけどよ。
ーーキスはしたのか。
ーーおっぱい揉んだのか
ーーまんこ見たか。
ーーお前のは触らせたのか
ーーセックスしたのか
ーーおい
ー無視したら通報するって言ったよな
ーー別れろって
ーーいつ別れるんだよ
ーーお前が心配なんだよ親友
ーーで、嘘つき野郎、お前絶対セックスしただろう。

日に日に屈折した彼の抑えきれない情欲の好奇心に僕は、段々と気持ち悪くなってきて、連絡を返すことすらやめたかったが、それは福島県から離れた時だ。

けれど、その決心がつかない。
福島県からはいつでも出てはいけるけれど、レジャーシートの真ん中で、ヒマワリみたいに笑っているアジサイを眺めていると、先送りの気持ちになる。

もう少しこのまま。

僕とアジサイは最初こそ慣れない畑仕事に苦戦もしたし、アジサイなんて虫が大の苦手だといって、2日くらいはずっと叫んでいた。

アジサイの足元で虫が動いたり、周りを飛んでいたりすると悲鳴を上げて、わざわざ僕の元まで走ってくるほどだった。

最大で100メートルくらいは走ってきたと思う。
歩きにくい土や、ついさっき種まきをした山を踏まないように、ぴょんぴょんと跳ねながら向かってくる様は、小動物みたいでほほえましい気持ちにさせられた。

「ついてない?こことか虫に触られたかも」

僕の前でくるりと回る。
麦わら帽子とジャージ姿のアジサイ。

「何もついてないよ」

結局、その後、たった数日で虫にも慣れ、素手で払ったり、場合によっては潰したりしても何も思わなくなっていたアジサイには驚いた。

虫が出る度に僕の方へ走ってくるなつかれ度合に悪い気はしていなかったのだけれど。

それからも平穏な日々を過ごしていたある日

「明後日から、人が増えるからよ、ま、仲良くなってくれや」

ゲンジさんが前に言っていた短期のアルバイトの人たちがくるようだった。
わざわざ夏休みを利用して東京の大学から10人程度の学生が来るということに、疑問を感じた。

どうしてわざわざ東京から福島に?そのままゲンジさんに尋ねるとゲンジさんも不思議そうに小首を傾ける。

「いや、俺もよくわかんねぇんだかなぁ、まぁ都会者には田舎が魅力的にみえるんだろうな、毎年受け入れているんだが、みんな口を揃えて思い出作りだの、バイト旅行だの言ってらぁな」

そういうものなのかな、と僕が言うと、ゲンジさんは頷きながら、そういうものらしいな、と言った。

さて、とゲンジさんは立ち上がる、

「飲みに行くか」

「え、今から?ムラサキまだトヨさんの家から帰ってきてないよ?」

「ちょこっとな、男同士飲もうぜ、トヨ婆のところには電話の一本いれりゃいいだろう、一杯ひっかけてくるからムラサキ預かってくれっていやぁ、婆さんだって喜ぶさ、なんたってトヨ婆は娘を欲しがってたからな」

まぁ、あの年齢差じゃ孫か、と言いながらゲンジさんは黒電話でトヨさんの家に電話をかけて戻ってきた。

「電話にはムラサキが出たぞ、いいってよ、行ってこいって」

「飲みってどこにあるの?ここら辺にそんな場所あったっけ?」

「30分ほど走らせたところにあるんだよ、さて、行くか」

「うん」

僕は携帯と財布だけを持って、薄暮の坂道をゲンジさんと下った。
ヒグラシがないている。
身体に残った昼間の畑仕事の疲労が、ここちよく日中の残滓の光のなかに溶けていった。

都会でレジ打ちのバイトをしたあとは、泥に頭まで浸かってなんとか這い上がってきたような疲労感だったが、畑仕事をしている最近は『あー働いたなぁ』という解放感と充実感に満ちている。

首元に巻いた汗拭き用の白いタオルなんかも誇らしくさえ思う。
陽射を浴びながら、畑に立っていると、自分までも地球の植物になったような気がしていた。
都会のあの日々は何だったのか。
どうして、僕はあれほど人間関係に悩まされていたのか。
僕はきっと都会で暮らすようには作られてはいないのだ。
都会の人々は僕には多すぎる。
もしかしたら、僕だけでなくて、そういう人の多さが由来する人間関係に疲れている人も沢山いるのかもしれない。
浅い付き合いばかり増えて、でも顔色ばかり窺って、それはまるでコンセントのタコ足配線みたいなものなのだと思う。

無理に広げるから、両腕で抱えるには痺れてきてしまって、
無理に繋がるから、わけのわからない自分の秩序を押し付けてしまって
それで、皆が生きづらくなる。
なんとなく、今の僕にはそんな気がした。

「ほら、乗れ」

僕は助手席に乗った。
軽快なエンジン音。
スタートを切る。
一秒ごとに夜の帳が落ちてくる。

今日はアジサイが荷台にいない。
いつも三人でいたから、いつもと違う空気感。
別に悪いってわけではない。ただ新鮮ってだけ。
油断すると僕はもう、ゲンジさんを信じているようなそんな錯覚に陥る。

「行きつけの飲み屋があるんだよ」

「行きつけってさ、何年くらい行けば行きつけになるの?」

「俺に言わせりゃあ10年だな、10年経って見える人付き合いもあるんだよ」

10年か。気が遠くなるくらい長く感じる。
10年後の自分なんてまるで想像がつかない。
この家で農家でもしていたら面白いかもしれないな、と考えてみたが、すぐに消散した。
10年後のアジサイだって想像できない。

「そういえば、じいちゃんって何で短期のアルバイトの受け入れしてるの?」

「田舎だからだよ、ここいらはよ、簡単に言えば人手不足なんだよ、年々農家終いしちまう年寄りがいるんだわな、でもそういう爺、婆も畑を手放したくて手放してるわけじゃねぇんだ」

「そうなの?本当はもっと畑仕事していたいってわけ?」

「そりゃそうだ、生まれ育った大地に触れ続けるってのはよ、言葉で言い表せない何かがあるんだよな、こうなんていうか、まあうまくいえねぇけどな、だから少しでも人手があれば、もっと畑をいじれる、だからここいらいじゃあ若いなんて言われてる俺が、東京でもどこでも若い奴らを集めて、手助けが必要なところに、なんつーのかな」

「派遣?」

「いや、もっと別な言葉が思い浮かんでいたはずだったんだが、だめだ、思い出せねぇな、派遣でいいか、まぁ派遣するんだわな、俺も畑も果樹園もあるから、手伝ってもらったりな」

走行している車の40メートル先を野生動物が横切った。
ゲンジさんは視線をまっすぐ向けたまま小さく舌打ちして小声で「戻ってくるなよぉ」と念を押すように何度か言った。

しばらく信号のない山道を走ったと思ったら、急にぽつぽつと信号で止められることが多くなった。
そのうちに街灯が等間隔で配置されるようになり、最近新しく建てられたような家が数軒見えた。
信号で止められるたびに「10年前はこんなに信号なんてなかったんだがな」とぼやく。

10年前というかそれより前に、市がここら一帯に人を集めるために散々税金を投げ打って、新しい道路や信号機を拵えたらしい。
その効果もあって最初の数年は他県から移り住んできた物好きが何人かいたが、そのあとはさっぱりだそうだ。

だからこの辺りは、山のなかに突如とニュータウンが飛び込んでくるような錯覚に陥る。
実態はもはやゴーストタウンだが、昔から住んでいる人も多いらしい。


「ついたぞ」

「へぇここがそうなんだ、元はコンビニ?」

「そうだ、セブンだかファミマだか、サークルKだがなんたらだったそうだな」

「なんだか天気予報みたいに言うね」

「天気予報?どこがだ?」

「晴れのち曇り時々雨みたいに」

「あてずっぽうってことか」

「そうそう」

「正解は中に入って聞いてみるか」

ゲンジさんはいつもの豪快な笑い声をたてながら、車から降りて、何かしらのコンビニだった今は飲み屋に入っていった。
僕もそのあとを追う。
都会チックに整備された駐車場が周囲を囲む高い山や森に合っていなくて、演出として周りに無理に自然を張り付けたミニチュアのコンビニみたいで、作り物感が否めなかった。

店の灯の前では、沢山の昆虫が死んでいた。

「いらっしゃい」

「おう、ツネ」

「なんだゲンジさんか、ん?後ろのイケメンはゲンジさんのお客さんかい?この10年で初めてだねぇ、ゲンジさんが連れとくるなんて」

ゲンジさんは僕の横に並ぶと、強めに僕の背中を叩いた。その表情は釣った魚を自慢する子供みたいだった。

「俺の孫だ、もう飲める口でな」

「はじめまして」

ツネさんは何か聞きたそうな表情をすぐに振り払って、席に案内してくれた。
カウンター席だ。

「いやいや、ゲンジさんのお孫さんはイケメンだね、本当に誰に似たんだが」

「俺だよ、俺、こう見えて若い頃はブイブイ言わせてたんだからな、ほれ好きな物飲め、何飲むんだ?」

僕とゲンジさんはビールを注文した。

店内に客は僕らしかいなかった。
ゆったりとしたジャズ。
埃の被ったピアノ。
ブラウン管のテレビ。
酒屋の空樽。
それらは10年前かあるいはもっとずっとそこにあるように思える。

「お待ち」

「おー久しぶりの酒だ、お前も持て」

僕は言われた通りグラスを持つ。
ゲンジさんが乾杯と僕の持っているグラスにぶつけた。
僕も乾杯といって、ビールを仰ぐ。

「うんめぇなぁ」

「うんまい」

身体にいきわたる。
仕事の後の一杯。
純粋な一杯だ。
僕はそのままの勢いですべて飲み干してしまった。

「もう一杯飲むか?」

「うん」

「おい、ツネ」

「はいはい、ゲンジさんいい加減俺のことはマスターって言ってほしいね」

「こいつ10年前から同じことを言ってるんだぜ?」

「ゲンジさんが一向にマスターって呼んでくれないからね」

「どうして、ツネさんはマスターって呼ばれたいんですか?」

ツネさんは真ん中だけ禿げた頭頂部を困ったように掻く。

「いや、酒場を持つことは昔からの夢でね、そこでマスターって呼ばれたかったんだよ、でもね、だーれもマスターって呼んでくれないのね、みんな『おいツネ』だもんな、参っちゃうよ」

「ツネの葬式の弔辞ではマスターって呼んでやるよ」

「ゲンジさんの方が先でしょう」

ツネさんはそう言いながら、ゲンジさんの前に灰皿と煙草のケースを置いた。

「あれ、じいちゃん吸うの?アジサイがじいちゃんは煙草辞めたって言ってたけど」

「あーこれね、ゲンジさん内緒にしてたの?」

「ここでは吸うんだよ」

なんだか、理由は聞けなかった。

「お前も吸うんだろ、ほれ、一本」

「ありがとう」

「孫に煙草をすすめる、おじいちゃんねぇ」

僕がくわえた煙草にゲンジさんが火をつけてくれた。
このお店の名前が入ったマッチだったけれど、マッチ箱は光の加減で名前が見えないところに置かれている。
特別に名前は気にはならなかった。
僕の頭のなかにある、『これから』にやはりこの場所はない。

ゲンジさんはずっと暮らしてたっていいぞ、と毎日のように言ってくれるけれど、ビーチサンダルが半分だけ僕とアジサイの居場所を握っているということもあって、僕は今の日常を正面から受け止めることができない。

それに、もしも警察の手がここまで伸びてきてしまったら、これほどまでにお世話になったゲンジさんや周りの人に大変迷惑をかけてしまう。

きっと僕とアジサイは近いうちに、ここを離れなければならないことになるだろう。
僕はそう思いながら煙草を吸った。

苦い。
煙草だけじゃない。
苦い考えが、最近頭から離れない。
昔からそうではあったけれど、今の苦さは葛藤。
人情に深く感動しながらも、それを全力で弾こうとする心の拒絶反応。

「お前は」とゲンジさんが煙をはく。

「お前は、色々と隠していることがあるな」

その言葉に引っ張られてゲンジさんの顔を見ると、悟ったような鋭いような眼差しがあった。
僕は何も言えなかった。納屋でゲンジさんに見つかった時の眼光も鋭く、何もかもを晒されたような気がしたが、今はなんだか、深い海のような暗さと寛容さをたたえている。

「いいんだ、聞いてるんじゃねぇ、何も言うな、ただな、お前もムラサキもたまに、ぽかんと心に穴があいたような顔をするじゃねぇか、現実に戻るってのか、なんなのか、ここが本当の居場所じゃねぇことを思い出すみたいな」

ゲンジさんはもう一口煙草を吸って煙をはく。
ツネさんは店の裏に在庫を見に行かなくては、と独り言を言いながら、離れていった。ツネさんも気遣いの人なんだ。

「お前たちが本当に何を背負っているのかまではしらねぇがな、いいか、よく聞けよ」

「うん」

「お前たちの本当の居場所の話をしてやる、お前たちの本当の居場所はあの家なんだよ、俺達の家なんだ、とくにお前はたまに妙に覚悟を決めたような顔をして、危うさを感じるんだよ、俺は」

でな、とゲンジさんはつづけた。

「随分前のことみてぇだが、初めてお前の見た時は心底、死んだ目だと思った、目に気力がなくてよ、どこにも定まらねぇ、死んだ目だ、だが今のお前の目は迷いの目だな、だげどよ、最初の頃よか、断然いい目だ」

「うん」

「俺はお前たちが抱えているものがなんなのかは知らねぇ、人生を頑張れとかやすやすとは言いたくねぇ、だが俺はお前に伝えたいことがある、それはな……」

ゲンジさんはビールを一口飲んだ。

「全うしろ、ってことだ、頑張らなくていい、ただ全うしろ」

「あれ、ゲンジさん何やってるの、説教?お孫さんを泣かせてどうすんだか」

「すいません」

「いいんだよ、男泣きだ」

「そっか男泣きか、それなら、泣き終わったら、一段と男になるね」

「お、ツネ良い事言うな」

「みんなそうでしょう?」

「そうだな、間違いねぇ」

二人の会話を聞きながら、あぁ、と僕は思った。
もうだめだ。
僕は『人間』になってしまう。


人間嫌いや、人間不信、人と距離を置きたいと思ったことや、単純な恐怖や保身や、冷徹さが、僕の嘘の始まりだったのか。

僕はただ、誰かに認められたくて、向き合ってほしかっただけなんだ。

たった、二つのことが、できないなんて。
僕はその二つの事をずっと放棄していたなんて。
人を拒みながら
僕の根底はずっと誰かを求めていた。
温かさを。優しさを。柔らかさを。寄り添いを。慈しみを。いたわりを。

僕は
僕のなかにある
時間が止まったまま子供であり続けるもう一人の僕から逃げていた。

彼はいつも、今の僕とは反対の言葉を並べていた。
そうずっと誰かを待っていたのは、僕のなかの子供の部分。
この子供は親や他者からの愛情がなければ、どれだけ体が大きくなっても成長をとめてしまう。

だから僕の心は10歳くらいで止まっていたのだ。
今、気づいた。
おかけで随分と遠くまできてしまったじゃないか。

「男泣きにしては、本格的な号泣だね」

「いいんだよ、泣かせてやれ、お前も昔こんくらい泣いてたぞ」

「覚えてないねぇ」




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