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歌が歌えない

わたしは人前で歌が歌えない。

けっして歌が嫌いなわけじゃない。
音楽は好きだし、ヴォーカルもよく聴く。
ただ人前で歌うのが苦手なのだ。
気恥ずかしいと言うものあるし。
当然カラオケというのも苦手。
言ってしまえば、この世の中でカラオケほど苦手なものはない。
なくなってしまえばいいとさえ思ったこともある。
昔、よく宴会の二次会にはカラオケに行くのが定番だった。
だが不思議とその二次会にわたしの姿はない。
二次会どこ行く?カラオケにしようか。
という魔の囁きが聞こえた瞬間に、わたしの姿は消える。
時として誰にも言わないで帰ってしまうので、後になってわたしのことを散々探したらしい、ということを聞いたこともある。

逃げるときは何も言わないで去るのが得策なのだ。

なぜカラオケが苦手なのかというと、まずあの雰囲気。
特に大きな理由はないが、あの雰囲気がダメだ。
嫌な理由を探すのも嫌だ。
あと歌える演目がない、というものある。
要は歌詞を知らない。
中学の頃から洋楽ばかり聴いていて、邦楽を知らない。
だったら洋楽を歌えばいいじゃんかと思われるかも知れないが、そう簡単にはいかんだろ。
相手は英語だぞ。


なぜこんなことを書きはじめたのかと言うと、
今朝引いたカードに「透明を歌う人魚」が出てきたから。
意味は、無意識とつながる純粋な感情を味わうとある。
人魚は、海の底奥深いところで泳いでいる。
海を人の深層心理と考えると、心の奥深いところで泳いでいる意識は「無意識」、海面に上がってきた意識は「顕在意識」と呼んでみようか。

深海で泳いでいる人魚が声を出して歌うことによって、無意識の波動が、だんだん大きな弧を描き、水面に上がってくる。最初は、ほんの小さな気持ちだったのが、最終的に大きな行動を起こす原動力となる。

水中のバタフライエフェクトである。

ここまで書いてふと思った。
歌うと言うことは、心を開くことなのかも知れない。
無意識の下にしまい込んだ感情を、声を出して歌うことによって表面に現れるようになる。今まで感じえなかった「心」をも感じることができるようになる。
共感の心である。
悲しみ、苦しみ、楽しさ、嬉しさ、怒り、笑い。
すべての感情が歌には込められている。
言葉はダイレクトだ。それにメロディがのることで感情が加わり、心を解き放てる。

つぶやいてみようか。
自分だけの音楽でもいいから。

透明を歌う人魚「日本のご神託カード」より

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