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思考でないところで物事は動く

瞑想をしていて何が一番変わるのかといえば、頭の中で沸いてくる思考や雑念を一歩引いたところで眺め続けることが無意識レベルで潜在意識に働きかけ、脳内に余白が生まれることだと思う。

その余白は、目の前で「起こった出来事」と「それに対する感情」の間に生まれてくる。普通はこの余白がないので、起こった出来事に対し、人はすぐさま反応し、喜怒哀楽などの感情が即座に湧き起こり感情があらわになる。

だけど、この余白があると、そういった感情はすぐには表れなくなり、目の前の出来事に対し一歩引いた状態で眺められるようになる。反応するまえに意識が余白を通過することによって、俯瞰して見られるようになる。もともとそういう能力の持っている人もいるけれど、瞑想を行なっていくと、誰でもがそれを無意識のうちのできるようになっていく。

頭の中にわいてきた雑念や思考に気づいていくことを、瞑想では「観察する」と言う言葉で表現しているが、これは瞑想し続けることによって脳が勝手に学習してくれている。それが少しずつ薄い皮が積み重なるように潜在的に堆積していく。

また、この「観察」する行為自体は瞑想中に行うものではあるけれど、その効果は、普段の生活の中で、動いている時にこそ最良に発揮されていく。実生活の中で存分に役立っていくものとなる。どんな良いことをやったとしても実生活で役立たなければ意味はない。

瞑想が心のトレーニングと言われる所以はここにある。

物事を客観視できると何故いいのか。
ニュートラルな意識が働き、中立の立場で物事を把握できるようになるから一方方向に偏りすぎない。全く偏らないわけではなく、偏りすぎない。ここ大事。人であるが故に、その人の経験や思考の癖によってどうしても物事の良し悪しをつけ、ジャッジしてしまう。つけてしまうのは仕方ないとしても、偏りすぎないことによって、心の余白が、自分と異なる考え方を認めるだけの空間ができあがる。

よく顕在意識と潜在意識の違いを氷山に例える場合が多いけど、どうもざっくりすぎて個人的には受け入れられない。海面から出ているの氷山の一角が顕在意識1%、海中に沈んでいる部分が99%の潜在意識らしいけど、そんなもんか? 潜在意識の部分って、まだ解明されていない分野だと思うので、そんな簡単な数字で表されるものじゃないような気がする。と言うか、潜在意識ってもっとでかい。過去の記憶とかを含めると無限の域に近いような気がする。

先日、職場の人からこう言われた。
◯◯さんって「周りの動きを俯瞰して見て仕事してるよね」と。また「ピンポイントで忙しいところに手を貸している」とも言われた。

そうなんだ。自分では全く気づいていない。いつもいつも目の前の仕事をこなすために懸命にやっているつもりだけど、側から見るとそう見えるらしい。確かに、例え忙しくてもある程度俯瞰してみていないと、仕事に優先順位をつけられないのは事実。
昔のわたしは全く逆のことを言われていた。いつの間にか変化しているらしい。心に余白が生まれてきている。

わたしたちは、気づかないうちに変化している。
潜在的な部分が変わっても、普通は自分では気づかない。周りの人から言われてはじめて気がつくことが多い。
最近自分の好みが変わったなとか、出会う人が違ってきたなとか、そう言ったところで自覚できる部分は多々あれど、実はそういう風に明らかにそれとわかる時はもうすでに「変化」した後なのだ。形になって表れた時はもう変わってしまったあとなので、意識しようとしまいといずれ自分でもわかるようになる。

海の奥底、深海から発生した小さなうねりが、ひとつからふたつ、ふたつからみっつにとだんだん増えていき、最初は小さかったうねりが大きなうねりとなり次第に上がっていき、海の上に現れた時には「波(形)」となっている。たぶんこれが顕在意識。自分でもそれと明確にわかる「変化」。

でも本当は、水面下で発生した小さな小さなうねり、そしてそれの積み重ね、それが現実を変える源。人の意識に上がってくるずっとずっと前に、言葉や思考などの形となって現れる以前にそれは始まっている。今この瞬間も、そしてこれからもずっと。

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