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わからないから、おもしろい映画がある

20代後半から30代、40代にかけて20年以上も映画にハマっていた時代があって、一年365日、それこそ寝ても覚めても映画のことしか興味がなくて、稼いだお金は全部映画祭やら一般公開されている映画のチケット代に飛んでいった。

性格的に、起承転結のはっきりした美しく結末の定まったアメリカ映画よりも、人間の感性に訴えかける、いわばわかりりにくいタイプのものが好きで、ゴダールはまさにそれだった。アラン・レネ的なタルコフスキーぽいものも、何を描きたいのかわからないままに、ただ観ていた。あの頃は、ストーリーや細部の意味を探求することなく、ただ観ることだけを愉しんでいた。


宮崎駿の『君たちはどう生きるか』を観た。

いったい何年ぶりの映画館なんだ。もしかして20年ぶりかもしれない。とは言え、体の細胞レベルにまで染みついた習慣は無意識のうちに発揮される。まずは混雑状況を確認し、さほど混んでいないものなら上映の1時間前に劇場に行きチケットを買い、入場時間まで何も期待せず珈琲を飲んで過ごす。と言うのがあの時代の日課だった。

映画は、賛否両論で、何がなんだかよくわからないという前評判は、少なからずそうだろうなと言う印象はあれど、わたし個人的には映画が始まって早いうちから涙がじわりじわりと出てきて仕方なかった。心の奥底に訴えかける作品だった。細かい描写に意味を持たせるのは、何度も何度もこの映画を観てからの最終段階ですればいいことで、時空を超えて経験することで成長していく一人の少年のスピリットを見事に描いていた作品だった。

母親は死ななければならなかった。自分を護ってくれた人、愛していた人を亡くしたことで心が壊れ、外部と遮断し、いったん塞がれてしまう。父親はそこでは何の役にも立たない。少年はそこからどう乗り越えて生きていくのか。死と再生。それがこの作品のテーマのひとつ。一度死んでしまった心をどうやって再生していくのか。どうやって新しく自分の世界をつくっていくのか。陰の世界から陽の世界に転じるためには、ただ考えているだけではダメで、この映画の主人公のように、未知の世界に一歩足を踏み入れて経験することで開いてゆく。そのきっかけとなったのが、母親が息子に残した一冊の本。これがこの映画の題名にもなった「君たちはどう生きるか」。


この映画に出てくる、すべての時空に存在する「塔」の描き方がおもしろい。スピリット好きな人ならいろんな意味付けができそうだ。異次元の世界に登場する、さまざまな生き物たちの不思議が宮崎駿らしく、久々に「映画」が楽しいと思った瞬間でした。



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