「自然はすごい。そして人間も強い。」地球環境に興味を持った原体験
皆さん、こんばんは。山崎美穂です。
受験で志望校を決める時に、なんとなく興味があったのが、建築と環境。
なんとなく試験管を振ってみえるミクロの世界よりは、ドドーーーンとわかりやすいマクロな世界のほうが自分にとっては魅力的に感じました。
そのうちの環境について、なぜ興味があったのか?を思い起こすと自分自身の実体験が基になっているなと感じているので、本記事では、環境に興味を持つきっかけについて書いていきます。
①年1、長崎県のど田舎への帰省が恒例行事だった
両親の実家は長崎県の島原。
そう、誰しもきっと「天草・島原の乱」というフレーズを歴史の授業で聞いたことがある、その島原です。
本当に絵に書いたような田舎で、一応電車は走っているのですが、財政上の都合で運転を休止している地域に祖父母の家がありました。
まさにスタンド・バイ・ミーごっこができるような自然豊かな場所は、大阪に住む自分にとっては異世界すぎて、毎年夏休みに祖父母の家に帰省する、そんな時間が大好きでした。
②雲仙普賢岳の被災をうけて
祖父母が住んでいる島原に辿りつくには、雲仙普賢岳という山を超えて行く必要があるのですが、その雲仙普賢岳は平成2年11月17日に噴火しています。
もちろん噴火当時のことは自分の記憶にはありません。
ですが、当時の写真は祖父母の家に飾られていましたし、農業漁業という第1次産業が主流のど田舎で、火山灰によって農作物が被害を受けたり、漁業にも影響があったという話は小さいながらもよく耳にして理解していました。
今まで当たり前だった生活が、普賢岳の噴火により一変したその出来事により、感覚的に”自然への畏怖”を感じていたのだと思います。
③強くしなやかに生きていくということ
何よりも印象的だったのは、年1回に帰省するたびに目にする街の復興でした。
火山灰によって灰色に見えた山に緑が戻ってきたり、水なし川になっていた川が整備されたり、今まで不便を極めていた場所に幹線道路ができたり、
わかりやすく街が復興し、発展し、便利になっていく様子を目にした時に、自然と共生しながら強くしなやかに生きていく人間の強さのようなものを感じていました。
まとめ
子供のころ目にした風景により、自然の圧倒的なパワーを感じ、いかに自然と共生していくか、人間に管理下にあることは何なのかに興味を持つようになりました。
そして人間が生きていくために、発展は必要不可欠であり、ただ同時に地球環境を守っていく必要もあり、その場しのぎではない持続可能な発展とは何なのかを考えるようになりました。
自分の生活とは関係ない地球という感じではなく、自分にとって身近なものが環境に確実に結びついていて、影響を感じるものがあったのが大きかったのだと思います。
環境に興味を持った経緯については一旦ここまでとします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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