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健康と不健康を分ける線が見えた日

4月15日脳神経内科受診後
"脳腫瘍"という現実をつきつけられた直後はなんだか穏やかな気持ちだったのに、家に帰る頃には「この先どうなるのだろうか」という不安で胸が苦しくなった。妻に電話で診察の結果を伝えたら、「すぐ帰る」と一言。「すぐにどうなる訳じゃないから」と僕が言っても、「いいからいいから」と30分くらいで帰ってきた。

なんだか落ち着かず、トレランシューズを洗ったり洗車したり、「今やらなくても」と妻に言われたが、何かしていないとネガティブな思考が広がって心配ばかり増えてしまう。
夜になって久しぶりに子どもたちと風呂に入り、湯船に浸かりながら、「パパ明日も病院いくんだけど、パパが入院したらどうする?」と聞いてみた。すると娘が「入院したら嫌だから、病院行かない方が良いよ」とアドバイスをくれた。パパも入院になったら嫌だな。
腫瘍は素人目で見ても大きかった。「こんなになるまで気がつかなかったなんて情けないなぁ」と思いつつ、いつからおかしかったのか思い返してみた。3年前のゴールデンウィーク、地域のバレーボール大会に出場した時に腕が上がらずサーブが打てないことに気づいたが、「年取ったなぁ」くらいにしか思わなかった。さらに遡ってみると6年ほど前、建設中の自宅を見に行ったとき、庭に掘ってある穴に気づかず落ち、右足を捻挫したこともあった。話すとき言葉が出てこず詰まることも多かった。考えてみると沢山の異常サインは出ていて、今回やっと伏線回収に至った訳だ。長かった。
「もう一生飲めないかも知れないから!」とクスリのアオキで発泡酒と本搾りを一本ずつ買ってもらい、風呂上がりにそれを飲んで22時には布団に入った。寝る前に色々と考えてしまうかもと思ったが、そんな暇も無く朝を迎えていた。自分が思っていた以上に身体が疲れていたのだろう。

4月16日紹介状を持って地域の総合病院へ。
パートがたまたま休みだった妻が付き添ってくれた。初めて受診する病院に戸惑いつつ、待合で自分の番号が呼ばれるのを待っていた。さすが脳神経外科外来。そこは僕のイメージ通りの患者で溢れ、妙に活気がある。診察を待っている人も受付のお姉さんも声が大きい。そこに杖をつく音、アナウンスの声。「俺も病人になったんだなぁ」と実感した。
15分ほどでモニターに"97番"が表示され、僕はB3診察室に入った。初めて会う合田医師にこれまでの経緯を簡単に説明すると、昨日のCT画像を見ながら「髄膜腫でしょう」と告げられた。
やった!昨日は「頭の中に何かありますね」だったのが、今日は「髄膜腫」という病名がついた。髄膜腫ランナーという肩書きを名乗るのも悪くない。
腫瘍の大きさは5cm大だった。
医師の説明では、おそらく10年くらいの長い年月をかけて大きくなって来たのだろうとのこと。すぐにどうこうなる訳ではないので、今月中に造影MRI検査をして、その結果を持って大学病院で手術をする運びとなった。
良かった。すぐに手術しなくても良いんだ。

これは昨日考えたこと。
ある日突然病名がついて、健康、不健康の間を分ける線が引かれてしまう。今思うとあっち側が羨ましいが、残念なことにこっち側に入るまで気づけない。「なんとなくおかしいな」で検査しておけばどんなに良かったか。

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