経歴書?②

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前回の続きです。


眼鏡販売会社

大学時代に留年して就活のタイミングを完全に見失い卒業を迎えてしまいます。
卒業後にアルバイトで採用を頂いた会社、正社員登用もあるのこと眼鏡は好きだったこともあり入社を決意。
意外と眼鏡屋さんて暇そうに思ってたんですが忙しい、半医半商ということで光学知識や目についてのことも覚え、年齢層の高いお客さんにも対応できる接客技術も覚えなければいけなくパンクしそうでした。次第に慣れてくると視力測定、フィッティング、眼鏡の加工、補聴器についても覚え、新商品が出るたびに商品知識も覚えなければ行けないというけっこう大変なお仕事でした。また、少しパソコンもできるということで(とはいえWord、Excel程度ですが)事務関連の仕事もこなしていきました。

そんな中で一番面白かったのはVMD(visual merchandising ビジュアルマーチャンダイジング)でした。店舗の商品の配列や販促物の活用法など考え、お客さんの流れや売上を上げていくのが面白かったです。エリアにも店舗見本として配信されることもあったのでうれしかったですね。

そんなこんなでアルバイト→契約社員→正社員と上がっていき副店長として売上管理やスタッフ教育などもしながら和歌山・大阪・三重と渡り歩きました。

ただ、このまま立ち仕事の多い販売員としてやっていくことに不安を感じたこと、会社のワンマン体制、いきなり転勤を告げて振り回す体制に不満を覚え転職を決意しました。

得たことは接客対応術・目や眼鏡の知識(わからないことあったら聞いてください)・VMD・人を育てる面白さですかね。補聴器の偏見はなくしたいなと今でも思ってます。早めに付けたほうが後々後悔しないなということを散々見てきたので。

人材派遣会社

前述の理由で転職活動を行っているときに転職エージェントに出会い自分も転職したいと思っている人の支えに慣れればと思い人材業界に入りました。エージェントではなく派遣コーディネーター兼営業でしたが。

主な業務としては人材に困って派遣利用している企業に対しての新規営業、既存顧客で人材不足はないかお伺いする既存営業、働いているスタッフのフォロー、求人広告原稿の作成、スタッフの面接や現地面談の付き添い、各種契約書の作成でした。

阪神間や神戸エリアを担当してたのですが一番忙しいエリアで多いときは1人で200人ぐらいのスタッフを抱えてました。売上も一位。

派遣っていろんな人います。履歴書も持ってこない人、職歴が履歴書に収まらない人、服装が駄目な人、何故か上から目線の人、現場でトラブル起こす人、無断欠勤する人、連絡取れず自宅訪問しても出ないので死んでると思って警察まで呼んだ人…なかなか大変でした。
あとは取引先も大手は別として中小で派遣を使うってなるとそれなりに問題がある会社が多かったです。訪問するなり「なんやお前しばくぞ」言うてくる社員のいる会社が一番インパクトありましたね。笑

そんな中でも真面目に勤務し先方からも評価して頂き向こうの正社員として転籍された方もいらっしゃいました。やっぱり自分が紹介した人がそうやって評価してもらえたのは嬉しかったですし、スタッフの人生のお役にも立てたのかなと思います。

大変ではありましたがやりがいもあったのですが、取引先で土日祝日も毎日出勤確認しないといけないところがあったりでまったく休めなかったり、スタッフのトラブルが頻発したり、毎日社用携帯が鳴ってたり、そもそも200人を1人で見るのはキャパオーバーだったみたいで体が壊れてしまいました。
あとで会社の人にも聞いたら顔色も悪かったみたいです。

こういうことがなければ続けたかったなとは思いましたが昨今のコロナのことや同一労働同一賃金で派遣切りとかもあったと思うとその対応に追われることになってたかもしれないので辞めてよかったのかなとも思います。

ここで得たことは、相談するのが苦手(気を遣ってしまう)なので相談できる人を見つけること(逆に人の相談事聞くのは好きなんですよね)、無理な要件も受けてしまうお人好しはやめよう、スケジューリング管理ですかね。


そして職業訓練に至るわけですがなぜ職業訓練に入ったのかはまた今度で。


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