地元を迷ってみると

小学生の時によくした遊びの一つに、「あえて道に迷う」というのがあった。

ルールは簡単。同じマンションに住む友達と妹と私の三人で、今まで行ったことのない近所を、思うままに探検する。それだけだ。
途中でのどが渇いたときのために数百円をポケットに入れて持っていくが、大抵は、家から持って行った水筒だけで事が足りる。

歩いていると、時々、思いがけない面白いものや奇麗な景色に遭遇することがある。というのを知ったのはその時からだった。

ちなみに、この遊びは「帰巣本能」を養う訓練でもあった。(当時私たちは小学生ながらこの言葉を知っていて、帰巣本能があるからどんなときも絶対に家に戻ってこられる。という自信があったし、実際にいつもなぜか帰ってこられた。)

各々、17時から習い事だからそれまでに帰ってこなきゃいけない。とか、17時半までに帰らないとみたいアニメが観られない。みたいなことがよくあったのだけれど、無計画で出発し、無計画で帰ってくるにもかかわらず、毎回ちゃんとギリギリで戻ってこられるのだから、当時の私たちは、もっと原始的で、人間らしかったのかもしれない。

私は「家に一日中籠る。」ことがどうも耐えられない人間なのだということは、ここ最近で新たに発見したことだ。家にずっといると、一日や二日で体のリズムがずれてきて、生産性が落ち、生きる屍のようになってしまう。「家を出ない。」ことは逆に「おうち時間」を充実したものにするのに一番の障壁で、最近はこの二つのギャップが、私をじわじわと苦しめている。

けれどこの状況下で、たくさんの人と遭遇するような場所に行くわけにもいかないし、コンビニなんか行くとものを買ったり、結局多くの人と会ったりするからということで、私は地元の、特に明らか人のいなさそうな、山の方を探検してみることにした。

私の住む地域は、郊外というには田舎すぎやしないか。というくらい緑が多い。それから、山が多い。家から駅に行くにも、ショッピングモールに行くにも絶対に、坂を避けては通れない。以前、埼玉に住んでいた時は、その平地の多さと、それゆえの自転車の多さに驚いたし、「埼玉って、移動便利~」とよく思っていた。

山の方に入るには、とにかく、「人しか通れない道を選ぶ」というのが鉄則だ。車が通れる道を歩くのはナンセンス。というか車の通れる道というのは、近所の場合、大抵、土地勘のある道なわけで、そこを歩くのは探検とは言えない。ということで、私は近くにある、人しか通れない細い道から、この探検をスタートした。

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歩いている間、新緑の萌える春を良く感じた。風は温かかったし、それが吹く度に草木が揺れて、音を立てるのが良かった。虫もたくさんいた。名前はよくわからないが、桃色の花を咲かせた木がいくつもあって奇麗だったし、天気が良かったから、どの木の葉も空の青に良く映えた。

細い坂道を一人で上る。脇にはアパートや一軒家が鎮座しているけれど、外に出ている人はあまりいなかった。しばらくその坂を上がっていくと、いよいよ山の上に来たなという景色に遭遇した。

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遠くにスカイツリーが見える。
スカイツリーの近くに住んでいる友人のことを考える。


しばらくまた、歩いていると、今度は市民の森と名付けられたトレッキングルートに遭遇した。
私はよく、高尾山に行きたいとか、無人島に行きたいとか人に吹聴して、あわよくば、誰か一緒に行ってくれないかなぁとか画策するわけなのだが、こんな近くにプチ高尾山のようなコースがあったとは。

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気持ちだけの高尾山から出る。閑静な住宅街に戻る。途中、近くの家に住んでいるであろう、60代くらいのおばあさん(おばさん?)がこちらを向いて、にこりとしながら会釈してくださったので、私も同じように返した。そうするとその人が、

“どなたか分からないけど、こんにちは。”

と言って、微笑んでくれた。

人は優しいなと思った。少し泣いた。
常に性悪説を信じているのだけれど、そういう、人のちょっとした優しさに触れると、あれ?やっぱり性善説なのか?なんで気もしてくる。うーん。いや、違うか?
性善説と性悪説については、また後日書くことにする。

しばらく泣きながら、畑に囲まれた道を歩いた。
“ここは、うん十年前の日本の原風景です。”
とか
“昔からこの辺は田んぼと畑ばっかりでね。”
とか言われたら、納得できる景色だった。
そこに暮らす人たちが農作業をしたり、住宅街の住人も花の手入れをしたりするのが遠目から伺えるのだけれど、この辺一帯は山の麓よりもはるかに生活の質が高いなと感じた。

途中、コロナ疲れの小学生の息子と若い父親がそれぞれ自転車に乗って、上がってくるのを見た。

“これ、どっちの道行くか。こっちかな。”
と、父親。
“降りて地図見ないの?”
と、息子。
“うーん、登ってからにしよー。”
と父親。

父親は息子の方を振り返りもせず、ぐんぐんと坂を登っていく。
自転車を降りて、追いかける息子。

“友達か。笑”
と私は笑ってしまった。
私は娘だったから、父親とこんな風なことをしたことはなかったし、母親ともあまり仲が良くないから、彼らを見た時、父と子というのが、その親子という関係以上に、友情で契約されている場合もあるんだな、と感心した。

ずっと歩いていたら、やっぱり、大通りに抜けてしまった。見慣れた景色が突然現れて、ああ、ここの道はここと繋がってるんだ。と合点がいった。

仕方ないので、帰りは大通りから帰った。
帰りの道は私のよく知る道だったから、つまらなくて、行きの道の倍の距離があるような錯覚すら覚えた。

その日の探検は1時間半で終わった。
家に帰ると、タイムスリップから戻ってきたような気持ちになった。

この日見た景色の写真が奇麗だったから、なんとなくLINEのタイムラインに投稿してみた。トロントに留学していた時に会った人たちが何人もいいねしてくれた。

語学学校で、二カ月だけライティングの授業を一緒に受けていたれいこさん。元気なんだ。良かった。

エージェンシーのラウンジでたまたま会って、そのあと、ホストファミリーを紹介してくれたありささん。私より十も年上だったけど、すごく若い人だった。いいねしてくれてありがとう。

地元を迷ってみると、美しくも新鮮な発見と、
知っているはずのことを知らなかった自分、そして、もし幸運であれば、人間の温かさにすら気づくことができるかもしれない。

4月22日、晴れ。

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