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【退職エントリ】ソフトウェアエンジニアとして13年勤めた日系IT企業を退職しました

新卒で入社し約13年と10ヶ月(合計5,069日)をソフトウェアエンジニアとして働いた会社を退職しました。ここまで働いてきた会社を何故このタイミングで転職することにしたのか、自身の振り返りも含めてここに思い出話を書こうと思います。

自分語りやポエムが中心になるので、苦手な人はそっ閉じしてください。

少しボカしたりフェイク入れたりしてます。ご容赦ください。

自己紹介と今の状況

  • 38歳(2023年2月現在)

  • 大学院卒

  • ソフトウェアエンジニア

  • 今回が初転職

  • 転職先は決まっている

  • 現在次の会社で働きはじめる直前の年休消化期間

  • ちなみに、SEと呼ばれる職種ではありません

どんな会社だった?

所謂JTCと呼ばれる日系IT企業でした。Twitterではほとんどの人がSIerだと認識していると思いますが、ITコンサル事業もあるし、SI事業もあるし、SES事業もあるし、自社サービス・プロダクト事業もあるしという、実態はIT何でも屋さんの企業です。

新人研修と配属

それこそ13年以上前のことなので忘れちゃってることも多いんですけど、3ヶ月の新人研修の後、最初の部署に配属されました。配属時の面談でも、とにかくJavaがやりたいです、としか言ってなかった気がしますが、第一希望の部署に配属されました。

新人研修は3ヶ月間で会社のこととか、ビジネスマナーとか、プログラミングの研修とか、開発プロセス体験とか、よくある内容かなと思います。
研修で使う言語はC言語で、自分はC言語の経験がちょっとしかなかったので未経験者クラスにいました。今はJavaになってるらしい。
内容としては、特につまんなかった記憶も、特別面白かった記憶もないんですけど、同期とワイワイ開発したり飲みに行ったりできたのは良かったなあと思います。今は新人研修もリモートになったので、やる方も受ける方も色々と難しいだろうなって思います。

配属されて最初の仕事は、結合テストとインストーラの作成だった気がします。新人の仕事はテストから!というわけではなく、たまたま配属のタイミングがそのフェーズだったってだけだと思います。でも、テストから入れたことでその製品の全体像や使い方から知ることができたのでむしろ良かったかもしれません。すぐに次バージョンの開発が始まって、設計から入って工程の最後までかかわれたのも良かったですね。

仕事

この13年と10ヶ月の仕事内容を振り返ります。
自分の場合、上司との面談でも新しいことがやりたいと言い続けていたこともあって、新規プロジェクトの立ち上げや、ファーストバージョンの開発、PoC実施などのフェーズにかかわることが多かったです。曖昧耐性つきました。
13年ずっと同じプロダクトの開発をしている同期もいる中で、自分は色んな製品開発部署を転々としていました。部署異動も多かった方だと思います。部署の統廃合による変更も含めると毎年のように部署が変わる、みたいな頻度でした。部署名なんかも正式名称と略称があるんですけど、略称しか使わないし、変わりすぎて正式名称覚える気すらなくなりました。

という感じで、部署を転々としながらも、いずれもSI事業や自社サービスのための共通部品や共通基盤を作るミッションの部署ではありました。上記でいうと、自社サービス・プロダクト事業をやっているところですね。そんな中で、フレームワークやミドルウェアと呼ばれるレイヤーのプロダクトの設計開発と案件対応をしていました。
プロダクトの種類は様々で、構築自動化ツールの開発だったり、データベース製品の開発、IoT向けのプラットフォーム製品の開発、機械学習フレームワークの開発、異常検知パッケージの開発などやってきました。

AIや機械学習なんかは、大学時代からその関係のことをやっていたとかではなく、完全にここ数年でやり始めたことなんですが、良いタイミングで機械学習関係のプロダクト開発に関われたなと思います。始めるためのハードルの高さもあり、なかなか個人では学びづらいですしね。転職活動でも、機械学習とソフトウェア開発の両方の経験があるというのはいい武器になったと思います。いや、本当に最初の勉強大変だったけど。。。
個人的にクラウド関係やSaaSもやりたかった気持ちがあるんですが、様々な事情でちゃんと向き合えなかったのが残念でした。

こんな感じで、肩書きも気持ちもずっとエンジニアでしたが、製品や開発するバージョンによって、PM・PLも経験したし、データサイエンティストとしてデータ分析することもありました。また、製品企画から事業化の提案、プリセールスもポストセールスもやってました。その製品の開発担当というより、その製品の事業を全部責任もってやるという立場でした(当然チームでですが)。

ちなみにJava書いてたのは途中までで、後半はずっとPythonでした。

プログラミングは少ない?

自分は入社からずっとプログラミングから離れたことはなかったです。確かに、開発工程的に上流フェーズやテストフェーズの時は、プログラム書くことは減ります。また1つのバージョンの開発を終えて、次のバージョンの開発が始まるまで(だいたいプリセールスに力を入れるフェーズになる)の間なんかも減りました。ただ、設計だけやって製造/実装/コーディングだけを他の人に任せるという形は一度もなかったです。自分で設計したものは全部自分で実装して品質を最後まで責任持つ形でやってきました。
PM・PLやってたときとかも空き時間でツール作ったり何やかんや色々作れてました。

一部機能を外部に発注することもありましたが、製造/実装/コーディングだけを委託することはなく、機能まるごと設計から品質確保まで委託するパターンしか自分は経験ありません。

確かに、巷で話題になるように、プログラムを書くのは最初の数年で、あとはPMやPdM、プリセールスの仕事を中心にやってプログラミングは全くしなくなるという人も少なくはないですが、基本的にプログラムが書けるひとは重宝されていたように感じています。(≠プログラムだけができる人。そもそもプログラムだけができる人はほぼいない。)
個人の裁量で働けるので、そういう立ち位置も自分で決められる感じがしていましたね。

ただ、転職した理由のところでも書きますが、管理職になるとさすがに自分で手を動かすこともできなくなるだろうなあとは思っていて、エンジニアとしてのキャリアがないので今後はプログラムはまあ書けなくなる未来が見えていました。
(やろうと思えばやれるんでしょうけど、それ以上にやらなきゃいけないことが増えて実態としてやれないと思った)

残業多い?

部署やプロジェクトの時期によります。が、少なかった方だと思います。月の所定勤務時間からマイナスだったことも結構あります。

あ、所謂SE職の人たちは激務だったイメージがあります。

給与

給与面にも不満はなかったです。ただ管理職にならないと今後の伸びは期待できないというのはありました。

実際の数字は載せていませんが、伸び具合が分かるようにチャートを載せておきます。Web上に日系IT企業の初任給とか、平均年収とかいくらでも情報が転がっているので、金額もある程度予想できるとは思います。

2020年で少し下がったのは、家を買って家賃補助がなくなったためです。それにしてもボーナスの割合が多いですねえ。

年度ごとの年収の推移(14年目は推定)

1、2年目あたりは、奨学金をそこそこ返しているのもあって(いや今でも返してるけど)手取りが結構辛かった記憶があります。ただ寮に入っていて家賃と光熱費で2万くらいで済んでいたので何とかなりました。たぶん飲み会多かったのがいけない。

とにかく良い人が多かった(他の会社知らんけど)です。相談もしやすく、フレンドリーに接することができる人ばかりでした。たまに変な人もいたけど。
特に、何か分からないことがあっても、たいてい社内のどこかに経験のある人がいて、何かしらアドバイスをもらえる、というのは安心感がありました。

また、新人にも程よい距離感で部署全体でかなり手厚くサポートするような雰囲気があったので、新しく入ってきた人にも安心感はあっただろうなと思います。

年功序列?

まだまだ年功序列な部分も残っていますが、少しずつ変化してきているとは感じます。自分の周りでも優秀な人は若いうちにどんどん昇進していってました。部署の方針とかもあるのかもしれません。
めちゃくちゃ早い人で35歳で課長、40代前半で部長とかでしょうか(超レアケースだけど実際あった)。30代で課長に上がってるひとはかなり早い昇進ですね。

一方で、ある程度昇進する年齢や年次が決まっていたりもするし、降格はほぼ100%なかったりするので、完全に年功序列がなくなったわけではないですね。

PCスペックやら開発環境

この退職エントリを書くにあたって、他の人の退職エントリをいくつか読みましたが、それによく書かれているようなPCスペックの悪さは一切なかったです。
もちろんリプレースタイミングにもよります(支給タイミングによります)が、退職直前はThinkPadでメモリも32GB載ってた環境だったので何も不満はなかったです。ディスプレイもずっと外部ディスプレイ2つ使ってましたし、執務スペースもきれいで机も広かったです。

会議多い?

まあ会議は多く、定時内は会議が詰まっていて、定時後に自分の作業っていう日は結構ありました。ポジションにもよります。
自分はスロースターターなので、会議間の30分の空き時間とかじゃ作業できず、PM・PLやってた時はどうやって自分の作業時間確保しようか悩んでました。

ただその日中に絶対仕上げないとみたいなのは少なかったし、休みも取りやすく、働く時間帯はかなり柔軟に自身でコントロールできていました。

福利厚生

これは転職活動してても感じたことなんですけど、福利厚生はめちゃくちゃ手厚かったんだなと思いました。手当ても休みの数、退職金に企業年金、さすが大企業って感じでした。調べてたり人に聞いたりして初めて知る制度があったり、退職のときに初めてちゃんと知る制度があったりとか。なんだか国の制度みたいね
寮の存在にはすごく助けられました。今は借り上げも増えてきて、寮という寮はずいぶん減ったみたいですけど。

福利厚生の充実度は、一生働く会社として選ぶのにはかなりの強さですね。

退職の理由

ここまで書いてきて、かなり恵まれてたんだなあと自分でも感じています。もちろんこれだけ長く働いたので、不満がゼロというわけではありませんが、どちらかというと他の人よりも楽しく働けていたんじゃないかなと思います。

転職することに決めた大きな理由を2つ書きますが、最初からこの考えで転職活動を始めたわけではなく、転職活動の中で整理されてきたことです。思い立ったきっかけとしては、本当に”なんとなく”が近く、他のところで働くエンジニアはどんな感じなんだろうとか、最近ちょっとつまんないこと増えたなーとか、最近転職する人増えたなーとか、でした。

エンジニアとしてのキャリアパスがない

1つ目は、上の方でも書きましたが、エンジニア(スペシャリスト)としてのキャリアパスがなかったことです。

別に今の会社でそのままマネージャとして働くのでも良かったんです。というより、その道を当たり前のように目指していたのも事実です。チームのマネージメントをしたり、事業計画や製品企画を考えたりロードマップを描いたり、そういう仕事にも面白さは感じていました。ただ、いざマネージャへの道が見えた瞬間に本当にこれで良いんだろうか、と考えちゃったんです。

自分が何をしているときに夢中になってたかを振り返ると、やっぱりプログラミングだったり手を動かしている時だったんです。正確には、自分が納得したもの(確かにあると良いなと思った機能とか、自分自身が欲しい機能とか)を自分の手で形にしていく、作り上げていく、という時間が一番面白さを感じていました。
また、自分がなりたいソフトウェアエンジニア像を初心にかえって思い出すと、

そう思ったときに、マネージャにならないとこれ以上給料も大きく上がらない環境というのは、結構辛いなって思ったんです。管理職になりたくなく、ずっと昇進を拒んでいる人も一定数いますが、自分はその形で働き続けるのは嫌だなと思いました。

また、ずっと同じ会社でいて、世の中の他のエンジニアが当たり前に使っている技術や仕掛けとのギャップが大きくなってきて、エンジニアとして世の中についていけているのかという危機感も持っていました。(別に技術力が低いと思っていたわけじゃないですが)

生涯エンジニアでいられる道があるのなら、ここを飛び出して、それを目指したいなと思いました。

価値を届けられていないと感じるようになった

2つ目は、価値を届けられていないと感じることが増えたことです。自分の役割が少しずつ変化するとともに、プロダクトを届ける営業プロセスや、開発プロセス(ウォーターフォールとかアジャイルとかではなく、もっと上位のフェーズゲート等のプロセス)などに係わることが増えてきたこととも関係していると思います。

これは短絡的に言うと、”大企業だなあ”という一言に集約されます。クライアントの課題解決にシンプルにマッチするソリューション、サービス、プロダクトを届けるだけで良いはずなんですが、提供部署とクライアントとの間にいくつかの部署を挟んでいたり、かつ、その部署間の利害関係があるので、そこで捻じれが生じたり。また、販売戦略によってマッチしていないプロダクトをおすすめすることになったり。色んな事情はあるのでしょうけど、どこか他人事な部署も多く一体感の無さも本当に嫌だったし、良い提案をできてる実感がだんだん減ってきたなと感じていました。

また、開発プロセスに関しても、社内で決められた巨大なフレームに沿って開発する必要があり、スモールスタートできなかったり、クライアントに使ってもらっての改善みたいなのがものすごーくやりづらい仕組みになっていました。つまり、本質的なアジャイル開発はまったくできない、と言っても過言じゃない気がします。またこの巨大なフレームは年々さらに大きくなっていっていました。

社内の都合でコストが上がり販売価格も上がるし、届けたい価値も届けられないし、いつの間にかエンジニアとして正しくないことをしている気がしてしまっていました。
もちろんその社内の都合により生み出される部分にも意味はあるし、会社としてはそこが提供したい価値なのかもしれません。なので、自分が届けたい価値とのギャップが大きくなったという方が正しいかもしれません。

日系IT企業でITエンジニアで働くということ

ちょっとだけメッセージ的なものも。
JTCと揶揄されるビッグカンパニーで、ITエンジニアは避けた方がいいとよく言われる対象の企業ではありますが、IT技術を活用した課題解決に必要な様々な要素を満遍なく経験できるので、幅広く成長できる会社だと思います。
プログラミングや技術を中心に、様々な業種・業界の課題解決を色んな視点で経験したい方にはおすすめできます。

ただし、狭義の技術に特化、プログラミングに特化したいという人にはおすすめできないかなと思います。尖った技術に触れられる機会はいくらでもありますが、最終的には管理者としてのキャリアになっていくので。
ジョブ型雇用も少しずつ進んでいるようなので、今後変わっていくかもしれません。

また、充実した福利厚生やワークライフバランスの良さも、色んなライフステージに合わせた働きやすさがあるので、ずっと働き続けられるのは大企業の良さだと思います。巷では大企業でも安定ではなくなったと言われていますが、まだまだ他と比べると圧倒的な安定感はあると思います。
自分自身も結婚・子育てなどライフステージの変化に合わせて、いろいろな制度を使用させてもらいながら、安定した生活と安定した仕事を送れたと思っています。

自分の場合、転職先はスタートアップばかり見ていたので特にだとは思うんですけど、転職活動の中で多方から言われた「もう家買った?」「家買ったのなら大丈夫だね」というのが印象に残っていて、それくらい住宅ローン契約のハードルは日系大企業だと下がるようです。転職したくなる前に家買ってて良かったと思いました。

次のお仕事

転職先はスタートアップでソフトウェアエンジニアとして働きます。
テクノロジーをまっすぐに届けられる(と思ってる)SaaSで、自分の経験や好きな技術であるAI・機械学習を活用している、その両方を満たせる場所でソフトウェアエンジニアとして働く予定です。

テクノロジーとユーザーとの距離が近く、スタートアップ・ベンチャーならメンバ全員で一体感もって課題解決に関われる、と思って選んだ会社です。

転職活動についてのあれこれや、実際に働きだしてからの印象などは、また別の記事で書けたらなあと思っています。

さいごに

自分は退職するという選択をすることになりましたが、この会社を選んだことに後悔はまったくありません。幅広く色んな経験をさせてもらってこその今の自分があると思っています。上司や同僚にも恵まれていたし、感謝しかありません。

今は、初めての転職というのもあって、不安もそこそこ大きいです。もしかしたら後悔することになるかもしれません。

ただ、ずっと一つの会社で働くだろうなとぼんやり考えていて転職という選択肢も頭になかった自分が、転職という選択肢を選んで実際に行動できたことは、自分の中で大きなチャレンジだったし、視野も広がった気がするので、それができただけでも良かったなあと思っています(今のところは)。
転職活動自体も楽しかったし、一度転職して転職自体のハードルも下がったので、ダメだったらまた次行こうってポジティブに考えられているところもあります。

最後まで読んでいただいて本当にありがとうございます。

楽しく働けるといいな。
がんばるぞー


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