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そだてくエッセイ8//対話について考えてみたら、親子の間に必要なものが見えてきた②。

 対話の役割は「安全感を高め」「考えを練り、高める」ことで、「聴くという姿勢」がとても大切であることは、sodatekuメンバーも座談会をしていく中で実感しています。

 でも普段の生活のなかでの親子の会話もしくは対話で、聴こうとすることはなかなか難しいことは私も経験済みです。家では家事をこなすことで精一杯で、子どもが何か話しかけてきても家事をしながら「へ~」とか「そうなんだ」とか返事していても、心の中で「今これやりたいのに話しかけてきて・・」とか「今聞きたくないなあ」とか思ってたり。同時進行で「次これやってあれやって・・」とか考えていて上の空だったり。時には「今これやりたいからあとでね」なんて言ってしまい、後で聞いたことなんてどのくらいあっただろう。子どもはその時が聞いてもらう時なのに。

 どうすれば会話や対話の中でその役割を深めれるかを考えてみました。

対話の役割を深めるために必要なことは?

対話の役割を深めていくためには、「共有する」ことがとても大事だ。

ある精神科医は言っています。精神科医は患者の話を聴くプロです。そして共有にも二つあるというのです。

「気持ちの共有」と「関心の共有」

「気持ちの共有」はいわゆる「共感」とは違うものです。共感するのはなかなか難しく、共感できない時もあるし、相手が拒むときもあります。自分がそこにあまり興味がなければ、相手の気持ちをわからないし、相手から見るとことばでは共感してくれていてもわかってないやろ!と思うことがあるかもしれません。

 「共感」ではなく「共有」するだけでいい

のかなと思います。「わかるよ」ではなく「そう思っているんだね」と共有してあげる。事実を言語化してみる。もしかしたら言語化したことが違うかもしれない。その時は、だまって頷くだけでも、その場を共有しているのかもしれません。

先に「関心の共有」をしていると、その後「気持ちの共有」もうまくいく

 「関心の共有」はとても行動にしやすいので、先に関心の共有をすることで気持ちの共有がうまくいくようです。

 例えば、座談会で集うメンバーはすでに「関心の共有」をしています。そのため、メンバーとお母さんたちは、スムーズに「気持ちの共有」もすることができ安心し、つながっているように感じます。

 例えば、あまり付き合いが親しくない人と、実は同じ趣味があったり、同じアーティストが好きであることがわかったとたんに距離が近くなり、それ以降気持ちの共有ができたりしたことはありませんか?

 例えば、子どもがつみきで遊んでいて、思い通りに形がつくれなくて「いやだ~~」とさけんだ場合。今までお母さんは違うことをしていて、関心を向けていなかったのに突然叫んだからそばに行って、「どうしたの?」「何がいけないの?」「嫌だったんだね」などと声をかけることがあると思います。ずっとは無理でも時々そばに行って一緒につみきをして「関心の共有」をしていると、「いやだ~~」となった時、お母さんは子どもの気持ちを共感しやすいし、共感できなくても何が嫌かを察することができ、「ああしたかったのにつくれないね」と言語化することができるかもしれない。「関心の共有」は、お母さんのことばや思いをお子さんに伝えやすくなるのです。


子どもとの対話の役割を深めるために、「気持ちの共有」と「関心の共有」を意識してみませんか。


小さな積み重ねが誰かのために。いただいたサポートは今後の親子支援の助けになります。先ずは、今企画中の「今どう考える?子どもの育ち」で募集した作文の冊子作成のために使います!よろしくお願いします。