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マインドフルってなんなん

最近は専らマインドフルネスを実践しています。
と言っても、マインドフルネスの練習をしているという方が近くて
マインドフルな状態ってなんなん?ってことを探求するために色々やってみています。


始めたのは、
・朝起きた瞬間に深呼吸をして呼吸に集中してみること
・カーテンを開けるのも窓を開けるのもただひたすらにすること
・外を眺めて見える景色と空気などををジャッジせずただ感じること
・目の前のやることにただ没頭する時間を作ること
・浮かんできた思考や気持ちは、ジャッジせずただ観察してみること
・寝る前に呼吸に集中する時間を作ること

などなどです。


これを意識するようになってから、だんだんと大嫌いだったお皿洗いが苦ではなくなりました。笑

以前はお皿洗いをしていると、なぜかいろんな思考が浮かんできてイライラしていたんです。
「なんで私だけ…」やら
「パートナーは今日なにもしていない」やら
「そう言えばあの時だって…」などのようにどんどん思考に取り憑かれて嫌な気持ちになってきます。

すると当然ながら皿洗いは適当になるし、皿洗いに対してネガティブなイメージを持ってしまいます。


皿洗いに限らず
自然とやってはいるんだけど、過去や未来の中に思考が行ってしまうと、目の前にある物事にちゃんと集中できなくなる。

これが私の生きづらさや離人感に繋がっていたんだなと気がつきました。

ちゃんと集中して現在を感じながらやると、物事は達成感にも繋がるのだということも。
お皿はピカピカになれば嬉しいし。
(でも食器洗い機はいずれ欲しい。)


過去と未来を行ったり来たりするだけで、今目の前の物事から逃げたり疎かにしてきたから
私はずっと苦しいのです。

生きている実感がもてなかったのです。

お皿洗いと同じで、私はいつもきっと目の前のことを適当にしかこなしてなかったのでしょう。
楽しいはずの出来事ですら純粋に「楽しい!」とも思えなくなってしまっていました。

適当にしてきたツケが、歳をとるにつれてどんどん重くなっていきます。


しかし30年近くはそのようにしか生きてこられなかったことも事実で、そんな自分を認めてあげないといけないなとも思います。
現実を直視できる環境になかったので、そうやって自分の心を守ってきたのですよね。



ちゃんと生きている実感が欲しいなら、今を最大限に感じることしかない


勉強をするうちにそのように思ってきました。

ただずっとこうして思考の中に隠れるようにして生きてきたので方法が分からないのです。
いきなり「感じろ!」と言われても無理です。


だからまず練習してみることにしました。
呼吸も食事もお風呂も散歩も、ひとつずつ自分の感覚を確かめるように。

思考が過去や未来にいってしまったら、考えたことを観察して、そっと流して
またやっていたことに戻ってきます。

それを日々ただ繰り返します。
こんなことをやって一体なにになるのだろうと思った思考さえも、一旦受け止めてそっと手放して
また目の前のことをひたすらに感じる練習をします。


そうして繰り返しているうちに
同じ場面で以前ならイライラしていたことに、イライラしていなかったり
ストレスに支配されて何も手につかず自己嫌悪という場面も少しずつなくなっていることに気が付きました。


それでやっとマインドフルネスってこれが言いたかったのかな?
今を大事にできると、いろんなことに気がつけるんだな。
自分のことを蔑ろにせずに済むんだなという感覚がだんだんと分かってきた気がします。


とは言えこれで正しいかも分からず試行錯誤の日々です。

何かを成すためには練習するしかないし、練習するためには興味をもってただ毎日こなすしかないし
間違っていたとしたらそれもまた経験。


ただテレビを見ても全然笑えなかった私が
最近テレビを見て笑うようになったねとパートナーに言われたり、
少しずつ変わる季節の風を気持ちいいと感じたり、鳥の鳴き声に耳を澄ませたり
心が穏やかだと思える時間が増えていっているのも事実です。


食器洗い機があったらマインドフルネスの実践がひとつ減ってしまうので悲しいけれど
歳とってきて手がカサカサだからやっぱ欲しい。

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