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田山花袋「蒲団」2-5

 最後に、『蒲団』において作品冒頭から最後までたびたび出てくる手紙というツールに注目しました。
 特に芳子から時雄に宛てた手紙に見られる、言文一致から候文へという、時雄に対する彼女の心理の変化にともなった、文体の変化について解説しました。
 その上で、そんなふうに人間関係によって言葉遣いを変えたりすることや、あるいは周りでそういうことを見たりすることはないかと参加者の皆さんに聞いてみました。

 この質問について、Kさん(女性)は、
 自分自身は使い分けの技術は持っていないが、大学の、確か日本語表現の授業の時に、敬語を使うと距離を作ることができるということを聞いたことがあり、例えば町中のナンパの時に、男の子、あるいは女の子でもいいが、「どこ行きようと」って声かけられたときに「天神」って答えたら、そこで一気に距離が縮まるから、「天神でございます」って答えたら、そこで遮断することができるっていうのを思い出しながら聞いていた。
 なので、やっぱり表現、その敬語を使うかどうかで上下っていうよりも、親しいか、そうでないかっていうのは、なるほど、そういうのはあるんだなって思った、と答えてくれました。

 なるほど、答え方で距離を作るということですね。芳子もそうやって最後の手紙で時雄との距離をとったわけです。

 今回のもっ読について、印象に残った点など、みなさんの感想を聞きました。

 SHさん(女性)は、主観と客観を超える形を求めていたという、そういう書き方がされているとは全く思ったこともなかったので、そうなんだ、と驚いたとのこと。

 そうですね。どうしても私小説だという前提で読んでしまいますよね。でもそこに注目して読み返してみると、一見妄想のように見えながら、やはりいろいろ考えながら書かれていることがわかって、思った以上におもしろい作品として読めるかもしれません。

 Sさんは、今日の、主観と客観の話を聞いていて、この作品の話自体はどうなんだろうっていう内容だけど、読まされているというか、私にとっては割と楽しく読めてしまう作品ではあった。なので、魅力というか、さきほどKYさんが言われたように、何かチャレンジするっていう、試みというところを作者も試みながら、葛藤しながら、懊悩しながら、時雄と一緒に、そういうところがおもしろさとしてあるのかなと思った、とのこと。

 確かにそう言われると、この時代の小説で、それほど多く読まれている小説って、漱石、鴎外を除いては、そんなにないと思うんですよね。そういう中で今回『蒲団』を読んでみて、やっぱり今でも十分読めるし、おもしろい、いろいろな意味でおもしろいと思わせる小説だから、百年以上経った今でも残っている。もっ読で取り上げてよかったと思います。

<まとめ>

 1ー1から2ー5まで、もっ読2回分、全11回にわたる記事でしたがいかがでしたか。
 ただの告白小説だけでは括れない「蒲団」は、当時センセーショナルを巻き起こした話題性だけではなく、じっくりと読めば一人の作家の方法論と実践の軌跡でした。

 もしこの記事をきっかけに、「もっ読」にご興味を持たれたら、ぜひご参加ください。オンラインでもお待ちしております。

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