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文学サークルで取り上げてきた文学作品をご紹介(2020-2021)

こんにちは。こもです。
運営を手伝っている文学サークル「文学を語ろう」で取り上げた課題本を備忘録としてまとめました。
なんか本読みたいな~というときに参考に、、、なったらうれしいな!
※随時更新(の予定)

文学サークル「文学を語ろう」について


第1回(2020年3月)
『カーバーズ ダズン(Carver’s Dozen)』(レイモンド・カーヴァ―)

唯一未参加の読書会なので読んでいないので近いうちに読みたい作品の一つ。「「dozen(=12)」なのになんで13編も収録されているんだろう」という友人のひと言が印象に残ってる。

第2回(2020年4月)
『透明な迷宮』(平野啓一郎)

「人を愛する」とはどういうことなのか?相手の「何を」愛しているのか。『わたしとは何か』の分人主義に少し通じるものを感じたけど、「愛する人」のように他者が対象だと、答えを見つけられなかった。
それにしても、現実離れした設定なのに普遍的なテーマをきっちり考えさせてくれるから、平野さんってすごいなと思う。
『ある男』を読み直したくなった。

第3回(2020年5月)
『風の歌を聴け』(村上春樹)

大学時代ぶりに読んだ村上春樹。当時は「なんとなくかっこいい」という理由で読んでいたけど、「よくわからん」と思っていた作品との再会。
みんなと読むことで村上春樹が抱えていたトラウマを乗り越えようともがいている作品なんだ、と気づくことができたし、作家が「小説」というアウトプットで過去を乗り越えようとしている、というのは新しい視点だった。

あと、作品に出てくる音楽をSpotifyでリストにしたの楽しかった。https://open.spotify.com/playlist/79mqSi2h8hvoqNoQbKcyja?si=d0efbdd283d742b7

第4回(2020年6月)
『本当の戦争の話をしよう』(ティム・オブライエン)

1973年の処女作からベトナム戦争をテーマに書いてきたオブライエン。 ベトナム戦争を描いた作品は世の中にたくさんあるけれど、「本当の話」はいったいどれなのだろう、と考えた。「本当」は一人一人で違うものだよな、とも。

第5回(2020年7月)
『理由のない場所』(イー・ユンリー)

すごく読みづらかった。すごい疲れた。息子の自殺からわずか数週間後に書き上げた小説である、ことを考えると、イーユンリーにとって小説は苦しみ・悲しみを乗り越えるための薬みたいなものなのかなと思った。
わたしは身近にいた大切な人(親族や親友)を亡くした経験がまだないのだけど、もし圧倒的な悲しみが訪れたとき、どんなふうにして立ち直っていくのかな。

第6回(2020年8月)
『悪童日記』(アゴタ・クリストフ)

児童書のような文章で読みやすいけど、悪童たちの行動だけが描写され、感情が一切語られないからか、温度のない不気味さを感じた。読書会では「やさしさ、倫理観」について語ったんだけど、わたしの中で「やさしい」の答えはまだ出ていない。

イーユンリーとアゴタクリストフを通じて、母国語ではない言葉で小説を書く作家に興味が湧いて、『ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語』も手に取る。
その中にあった一文「けれどもわたしには、場所を追われることから作家が生まれるのだと思えてならない。」が印象的。

第7回(2020年9月)
『Xのアーチ』(スティーブン・エリクソン)

所有とは?愛とは?について、抽象と具体を行き来した。
同じタイミングでクリストファーノーランの「テネット」を見たのだけど、エントロピーのロジックよりも、セイターの妻に対する所有欲が、トマス・ジェファソンの黒人奴隷に対する所有欲と重なった。
わたしは若いころ、所有されたい=愛と思っていたけど、それは親が子供を守るような感じで小さくて弱いもの=守られるべきもの=所有からきていたと気づいた。

第8回(2020年10月)
『思い出トランプ』(向田邦子)

「だらだら坂」の男性の気持ちについて、「成長しようとしている女性は疲れる」みたいな感想を聞き、自分の恋愛について非常に学びの多い振り返りになった。わたしの「成長したい」は「認められたい」「必要とされたい」に由来していて、「いまのままのわたしじゃだめだ」という自己受容の低さが原因なのかもしれない。
「思い出トランプ」みたいな短編集は、物語が語りきられないぶん、余白が多くて読書会で妄想するのにぴったりだ~。

第9回(2020年11月)
『インド夜想曲』(アントニオ・タブッキ)

まだ訪れたことのないインドを旅しているような気持ちになる描写のなまなましさ。ゴキブリだらけの病院のシーンとか、うわ~~~っと背中がぞわぞわした。
コロナ禍で自由に行動できないとき、旅行に行きたい気持ちになった。
VRやARで自分が移動しなくても別の場所に容易に行けるようになったけど、それを文章で成し遂げている作家の想像力や言葉の力に尊敬。

第10回(2020年12月)
『ポルトガルの海』(フェルナンド・ぺソア)

詩は小説のように黙読するのではなく、音読したほうがずいぶん楽しかった!音にすることで文章に味わいが出てくるのってなぜだろう?
わたしが音読するのと、別の人が音読するのでも、なんとなく目の前に広がる風景が異なる気がするのも面白い。
「言葉が少ない」からこそ、作家の思いが凝縮しているのだけど、それによって「余白の多さ」が生まれるのは逆説っぽくて面白いなと思った。

第11回(2021年1月)
『ゲド戦記』(アーシュラ・K. ル=グウィン)

主人公のゲドにいらいらしっぱなしだった。自己中心的で目の前しか見ていない、弱い心にすぐ流される、というゲドにイラつくのは、うらやましさからきているのかな。
ちなみに、『ゲド戦記』にある「光と影」という概念、ゾロアスター教から生まれたものだと知る。世界の宗教や歴史の知識があると、もっと文学を楽しめるんだなぁ。

第12回(2021年2月)
『飛ぶ夢をしばらく見ない』(山田太一)

向田邦子に続き、脚本家の小説って読みやすいし展開が面白いことを知る。読書会に頭木さんがゲスト参加してくださって、この小説について「”世の中にはまだ知らぬ美しいものがある”の象徴として女性を描いている」と話していて、すんごくしっくりきた。

第13回(2021年3月)
『影に対して』(遠藤周作)

”毒親”っていう言葉はすごく嫌いなんだけど、『影に対して』を読んでその理由がよくわかった。親も一人の人間で、”毒”はちょうど村上春樹の『猫を棄てる』を読んだ後だったので、作家とその親との関係性について考えたくなった。
遠藤周作の『死海のほとり』も併せて読了。ねずみもアルパヨもキチジローも弱くて卑怯だけど、「それは悪なのか」と問われると、そうではないなぁ。弱いことも卑怯なことは、”悪”ではない。逆に強くて誠実なことも、”善”とは違うんだろうな。

第14回(2021年4月)
『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)

小説のなかの一節「彼女があのとき、自分から彼に愛を寄せたのも、傷つけられた誇りのためだった。だからこの愛は、愛というよりも、むしろ復讐に似ていた。」が心にひっかっかった。憎しみと愛って近い気もするけど、それって本当に「愛」なのかな。愛って憎しみに代わるような類のものなんだろうか。
「難解な小説は、さきにあらすじや書評を読んでから本作を読むと理解しやすい」というReadingTipsを入手してますます読書が楽しくなった。

第15回(2021年5月)
『クララとお日さま』(カズオイシグロ)

「好き」と「好きじゃない」がはっきり分かれた読書会で、みんなで語り合う読書の楽しさを満喫した作品。
クララ(AIロボット)の感情が成長していく過程は面白かったけど、貧富による社会の分断や、生きる”役目”をなくして忘れれらることの恐怖を感じた。「生きているだけでいい」ではなく「社会の役に立つ」ことで存在意義が生まれる世の中は、しんどいなあって思った。年をとったってことかなあ笑

第16回(2021年6月)
『金閣寺』(三島由紀夫)

三島由紀夫は「賢い」「文章が読みやすい」から好きだったんだけど、『金閣寺』の読書会を通して、人間として愛おしいなと思った。
少し前に映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」を見ていたのと、NHKの「100分で名著」で平野啓一郎さんが『金閣寺』を語っていたので、戦後の日本社会?価値観?の変化に置き去りにされた三島の孤独感ってどれほどのものだったのだろうと悲しくなった。

社会を統制するために「ルール」があって、盲目的に従い続ければルール変更にも簡単に合わせられそうだけど、それが幸せなのかは分からないな。

第17回(2021年7月)
『本心』(平野啓一郎)

平野さんが長年テーマにしてきた”分人主義”の集大成。
「最愛の人の他者性」から「わたしとは何か」を話し合うのは楽しかった。『本心』には自死の是非、社会分断、愛など、いろんなテーマが含まれていたけど、一番心が動いたのは『クララとお日さま』にもあった貧富による社会の分断。
「持つ者/持たざる者」の差が大きくなっていくほど、分かり合えないことも増えるだろうし、それ以上に分かり合おうという気持ち自体が双方になくなっていくのが怖いなと思う。

第18回(2021年8月)
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(ジョナサン・フォア)

平野さんの『本心』と同じテーマを異なる切り口で描いていると感じた。人の温かさが同じで読んでて心地いいし、すごくやさしい気持ちになる。気持ちいい。
実際の事件をモチーフにした作品は映画にも小説にもあるけど、事件の被害者を「癒す」作品はほとんどないんじゃないかと思う。サディが「エンタメが人の心を救っている」というようなことを言っていたけど、すごいことだなと思った。日本からもそういう作品が生まれるといいな。

第19回(2021年9月)
『スローターハウス5』(カートボネガットジュニア)

小説の中で主人公が何度もつぶやく「そういうものだ」は、すべてを放棄している言葉だと思っていたけど、すべてを受け入れている言葉だ、という意見を聞いてすごく驚いた。ついでに、資本主義の実力(=努力)主義に洗脳されている自分にも驚いた。
マイケルサンデルの『実力も運のうち』にも「実力だと思っているものの大半は環境やタイミングによる”運”がほとんど」とあったし、ボネガットの「そういうものだ」という運命思考はもう少し取り入れてもいいのかも。
なかなか切り替わらないけど。

第20回(2021年10月)
『あなたの人生の物語』(テッド・チャン)

『スローターハウス5』の「そういうものだ」という思想につづき、自由意志と運命について考えた。
わたしは何かが起きたとき(よいことでも悪いことでも)、その原因がなんなのか?を考えるんだけど、この世の中で「因果」で成り立っていることはわずかだし、因果であるかのように結論づけることで自分を納得させているんだろうな。つまり、因果がないと納得できないっていうのは、すごい自分を大きく見積もりすぎてるんじゃないか?と恥ずかしくなった。

ちょうど公開されていた映画「DUNE」も自由と因果話でシンクロして楽しかった。

第21回(2021年11月)
『謎ときサリンジャー』(竹内康浩・朴舜起)

『スローターハウス5』からの『あなたの人生の物語』、そして『謎ときサリンジャー』はすべてがつながっているような感じがして、これも運命なんじゃないかと思った(いや、サディが選書しているから運命ではない)。

一番心が動かされたのは、時間の考え方。
私たちは時間を川のようなもの(過去>現在>未来に流れる一方的なもの)だと考えているけど、東洋思想において時間は海のようなもので、もっと平明的に行ったり来たりするものだ、ということ。
平野啓一郎の『マチネの終わりに』で、「過去は変えられる(過去のとらえ方によって)」とセリフがあったのを思い出した。

わたしたちの人生は「時間を消化していく」(=与えられた時間がどんどんなくなる)わけじゃない、と考えられたら、年を取るのがもっと楽しくなるんじゃないかな。

第22回(2021年12月)
『ベケット氏の最後の時間』(マイリス・べスリー)

「語らない」ベケットのノーベル賞受賞後の動画を見て、私たちは「語りすぎ」なんじゃないかと思った。相手があなたに興味をもっていれば、あなたが何も語らなくても「何を言いたいんだろう」と相手は思いを巡らすはず。わたしたちはいかに語らないかを考えるときなんじゃないかな。

べゲットの『ゴドーを待ちながら』に代表される不条理演劇パーツとパーツが線でつながらず、面でつながる感じは、『謎解きサリンジャー』で示されていた東洋思想での時間の捉え方に似ていて面白い。

気になる本があったら、ぜひ手に取ってみて感想を教えてください!そして、興味があったら文学サークルにも遊びにきてね~。

ではでは~。
こも

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