生きてたら必ず……

某出会い系サイトの日記にあげた話。

そのまま転載します。

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竹内結子さん。

今、会いに行きます

で知ったのかなー嫁さんと見に行った数少ない映画のひとつのような気がします(うろ覚え)。


本題。


ここ最近、自殺、自死に関して色々と考えてて、そういう日記にはよくコメントもしています。

考え方は人それぞれですが、心ないと判断したコメントには容赦なく反論します。主には事情も知らず『あなたの責任だ!』と断罪するヤツ。

話それました。

今回の件でも多数日記があがっています。

冷静な見解を示す方もおられますが、

多いのは


『生きてたら必ずいいことある!』


という意見。

ホンマなんですか?と単純に思う。

予知能力があるのなら認めます。

ホンマに『必ず』あるのでしょうか?

ない人もいると思ってます。

自死ではなくとも、死ぬ間際に

『何もない人生だった』

と思う人、いるんじゃないですかね。

人生、何があるかわからない。これはほぼいい意味で使いますが、何もないかもしれない、逆に悪いことしか起きない人生もあると思う。

子どもを授かった。いいことでしょう。

死産した。妊娠の喜びをそのまま同じ量、いや、それ以上の悲しみですよね。

もちろんその悲しみを乗り越え、また、新たな命を授かり……という方もいらっしゃるでしょう。

『俺もそうやった。死のうとした時あったけど、○○で今幸せです。』

それ、自身の経験です。確実に同じことが起こり得るのですか?

死の直面にまで追い込まれてる方には『……で?』という一文字しか浮かばないのではないかと思います。その一文字さえ、それすらも思い浮かばないかもしれません。

何が言いたいか。

僕は何度か日記にも書いてますが、自死は人生の選択のひとつ。

ただ、救える悩みであったり、先の人生に希望の光がぼんやりとでも見えるのなら生きた方がいい。

回避する方法の1つとして、


『死に値する悩みや苦しみがある』


ということを理解してあげなければいけないと思う。

だから、逆効果とは言いませんが、

まやかしの言葉は届かない。

むしろ、言葉なんかいらないかも。


まとまりも結論もない文章ですが、モヤモヤと考えてる途中です。

最後に。
竹内さん、お疲れさま。

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これと同じように

『生きたくても生きられなかった命がある。その命に失礼だ』

あるいは

『その人の分も生きるべき』

こういう説もよくあります。

しかし、これも残念ながら自殺志願者にとっては全く説得力のないものとなります。

全く、というとウソかもしれません。

そこまで追い詰められてなく、なんとなく死にたいなあという人には響くかもしれません。

ただ、死を選択せざるを得ない状況の人にとっては何の効果もないと思います。

むしろ、『そこまで生きたいと思える状況がうらやましい』と余計に悲観的な考えに陥ることさえあると思います。

かといって、僕に人を救う明確な答え、言葉があるわけではない。

完全には理解できない。ただ、まずは、その人の追い込まれた状況を、少しでも、気持ちを、叫びを、肯定してあげることから救う道は開けるのではないかと信じています。

もしかしたら効果があるかもしれない……そう思う1つが、

何も言わず、そっと、手を握ってあげること。

相手が同性でも異性でも。

科学的、理論的根拠は全くありません。

どうしても助けてあげたいけど、どうしようもない時。あなたの気持ちをその手に目一杯のせて。

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