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お人好しな依頼⑫【不幸者の幸い(2/3)】

「え? どうしてオスカー・ワイルドを例に出したんです? 何か理由があるんですか?」
「ワイルドは同性愛者であることが原因で投獄された経歴を持つ人物だ。同じように周りから色眼鏡で見られたことがあるだろうチサトさんを、ウメカさんはワイルドと重ねて見せた。ウメカさんからしてみたら、チサトさんの言葉を聞いて僕がどんな推理をするかわからない。ひょっとしたら昔の恋人である、あの三人の誰かを『この人が初恋の人です!』と自信満々に言い放つかもしれない。だからこそ先にある程度導く必要があったんだろうね」
「お見事です」
満足そうにするウメカを見ながら僕は続けた。
「僕は最初、ウメカさんがアタルさんとの結婚に二の足を踏んでいるのはチサトさんに気を遣っているからだと考えました。若いころとはいえチサトさんはアタルさんに惹かれていた時期があったでしょうから、今更ながらでもウメカさんはアタルさんと結婚してしまうのは気が引けたのでしょう。たとえ事実婚でもね。女性の特権を振りかざすようなものだと考えているのでは……そう思っていたんです。でもそれは間違いだと気づきました」
「じゃあなんで……」
「ウメカさんにはアタルさんの狙いがある程度わかっていたんじゃないでしょうか。自分たちが成功してから擦り寄ってきたのは金銭的な目的だと。アタルさんはチサトさんを殺めてしまった。そのときは故意ではなかったかもしれませんが、いずれにしてもその後のアタルさんの脳裏には『遺産』の二文字がチラついたでしょう。もちろん受け継いだ遺産は特有財産、つまりウメカさんだけのものです。アタルさんは手にする権利はない。しかし結婚している夫婦ならば、うまく言いくるめて夫婦の共有財産として持ち込めるかもしれない。あの日アタルさんがウメカさんに話を持ちかけたようにね。相手が自分に惚れ込んでいるなら尚更だ。ところがただのカップルとなればそう簡単にはいきません。だからアタルさんはここ最近になって結婚の話を持ちかけたのでしょう。それを知っていたウメカさんはアタルさんからの求婚を退けたのではないでしょうか。……ひょっとしたらウメカさんに交際を持ちかけたときからアタルさんの腹は決まってたのかもしれない。『ウメカさえ言いくれめてしまえば、妹から成功者の兄に金をせびらせればいい。そうすればチサトの財産を少しずつでも自分のものにできる可能性がある』とね。それをさせないためにウメカさんとチサトさんは仲の悪いふりをしてた部分もあるのかな。いずれにしてもチサトさんが亡くなってことですんなりと遺産の話になったのは、アタルさんにとっては願ったり叶ったりだったでしょう」
「……」
僕を眺めるウメカを見る限り、今のところ大きな間違いはないらしい。僕はさらに話を展開する。
「おそらくですが、『手袋が片方だけカーゴパンツに入っていた』というのは嘘ではないでしょうか」
「え?」
大きな声をあげるルイくんに構わず僕は続ける。
「手袋が片方だけアタルさんのパンツに入っているなんておかしな話です。あんなものポケットに捻じ込まれて気づかないわけがありませんしね。それにその話がもし本当なら、パンツに入っていた手袋はアタルさんがその日チサトさんと一緒にいたという動かぬ証拠になるはずだ。ウメカさんは既に警察にでも相談しているでしょう。しかしそうしなかった。何故か? 簡単な話です、嘘だからです。だからウメカさんがアタルさんを追い詰めるための作り話だろうと踏んだんです。違いますか?」
「その通りです」
ウメカはキッパリと言い放った。
「手袋を実際に見せれば、アタルは焦ってボロを出すと思っていました。あの人、焦ると必ずと言っていいほど失敗する人ですから」
伏目がちになるウメカ。きっと今までにもいろいろな失敗を幾度となく目にしてきたのだろう。持っていたフォークを置くと、ウメカは先を続けた。
「……警察の話によると、手袋はきちんと手にはめられていたそうよ。もちろん二つともね。目立つ色だったから、アタルは兄の手袋を見てたかもと思ってカマをかけてみたんです。何も証拠がない状態では警察に助けを求めることすらできません。むしろ下手な証言をしたら、私の嘘がバレてしまいます。ですから是枝さんがアタルを揺さぶった状態のときに、すべてを賭けて畳みかけたんです」
「そしたら自白したってわけですか」
「ええ、それに」
ウメカはそっとワイングラスに口をつけた。
「……私の思い違いであってほしいと思ってたから」
この期に及んでアタルのことを信じたかったのだろう。俯くウメカがいつもよりも小さく見えた。
「チサトさんのノートを見てアタルさんの犯行に気づいたウメカさんは、誰かの手を借りてアタルさんを追い詰めることを思いついた。しかし警察に相談するのは無理だ、そこで探偵の手を借りることにした」
「ええ」
「しかし『自分の恋人が兄を殺したかもしれない』なんて相談していることが万が一アタルさんにバレたら、今度は自分の身が危うくなってしまう。そこで『兄の初恋の相手を探してもらう』という馬鹿げた依頼を考えたわけだ。しかもこれならばアタルさんも協力してくれるというオマケ付きですからね」
「アタルさんのお墨付き……どうしてですか?」
「ウメカさんはチサトさんのインタビューをわざとアタルさんに見せて、『初恋の人に兄の遺産を分けたい』と相談を持ちかけたんだろうね。もちろんアタルさんが自分のことだと気づかないわけがない。アタルさんからしてみれば、これは正式に遺産をもらえるチャンスだ。しかしウメカさんに『自分のことだ』と申し出ても、一笑に付されてしまう可能性だってある。もしウメカさんがチサトさんの同性愛のことを知らなかったら尚更だ。だから探偵という第三者を挟むことは、アタルさんにとっても好都合だったんだろう。そんな背景があったから喜んで協力したんだよ。それが自分のために用意された罠だとも知らずにね」
「なるほど……。でもそれなら、アタルさんを疑っていることを僕たちにこっそり教えてくれたら良かったじゃないですか。例えば初めてこちらにお邪魔したとき、アタルさんが席を外すタイミングだってあった訳でしょ? なんでそんな回りくどいことを……」
「面倒なことをしてごめんなさい。でも細心の注意を払いたかったんです。アタルが私の考えに気づいてて部屋に盗聴器でも仕掛けてたらどうしよう、探偵さんがアタルに買収されたらどうしよう、なんて考えてしまって。不要な心配だったみたいですけど」
ルイくんが心底ゾッとした表情をする。自分の人生をかけてまで相手を陥れるには、それほどの覚悟が必要なのだろう。

(続く)

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