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お人好しな依頼⑤【前園ヒカル】

 「業界屈指のロマンティストとして知られた作家・藍澤チサトさんの急逝を悼んで、元恋人の方に匿名でインタビューさせていただきたい」と申し込んだ結果、チサトとお付き合いをしていたらしい三人ともからオーケーをもらうことができた。いったい誰が読んでるんだと訊きたくなるようなしみったれた週刊誌なら思いつきそうな企画だろう。企画としては三流どころか五流の補欠くらいだ。しかしこう言っちゃあ悪いが、こんな安っぽい企画にホイホイと二つ返事で協力する方もどうかと思ってしまう。とはいえ今回ばかりはその出しゃばり根性がありがたいと思わざるを得ない。僕には理解ができないが、自分の過去の恋愛譚を語りたい人は決して少なくないのかもしれない。亡くなったチサトには申し訳ないけれど、きっと彼女たちはあれこれと熱心に語ってくれることだろう。ひょっとしたら多少の脚色は入るかもしれない。その中で少しは身になりそうな話が聞ければいいのだが。僕たちはまず、中学時代にチサトと付き合っていたらしい前園ヒカルという女性に会いに行くことにした。
「こんにちはー。本日お約束させていただいている者ですが」
インターホンごしに「はーい」と声がして、一人の女性が出てくる。資料の写真よりもずっと濃いメイクが施された顔に、僕は思わずギョッとした。ウメカから手渡されていたのは高校時代の卒業アルバムだったが、長い年月でずいぶんとメイクの趣味が変わったのだろうか。しかし冷静を装って話をせねばなるまい。
「本日はお世話になります。前園ヒカルさんですか?」
「はい、そうです。どうぞあがってください」
ヒカルはにこやかに僕たちを迎え入れてくれた。とりあえずは侵入成功というところだ。さて、ここからは記者としてうまく話を聞き出さねば。
「この度は取材に応じていただきまして、ありがとうございます。『週刊ゴーイング』で記者をしております、岩倉と申します。改めましてよろしくお願いします」
僕たちが差し出した偽の名刺を、ヒカルは緊張の面持ちで「頂戴します」と恭しく受け取った。ひょっとしたら後から「週刊誌のインタビューを受けたのよ」と知り合いに見せびらかしたりするのかもしれない。
「私、取材なんて初めてで……なんだか緊張しちゃって」
そう言いつつ嬉しそうに笑うヒカル。仮にも昔の恋人が亡くなったというのにいい気なもんだ。
「ははは、そうなんですね。小さな週刊誌の軽いインタビューですから、どうぞリラックスしてください。どんなことを話してくださっても結構ですからね。僕ら一応プロなんで、何かあっても上手いこと編集しますから」
「わかりました。よろしくお願いします」
「ええと、早速ですが……前園さんは小説家の藍澤チサトさんとお付き合いされていたことがあるとか。いつごろお付き合いされてたんですか?」
「はい。私がお付き合いしていたのは、中学二年生のころでした。二人ともまだほんの子どもでしたね。お互いにとって初めての恋人だったんです。半年も経たずに私がフラれてしまいましたけど」
「そうですか。なんて呼び合ってたんですか?」
「ええと……彼は私のことを『ヒカルちゃん』と呼んでいました。私は『ちーくん』と呼んでましたね。恥ずかしい」
照れくさそうに話すヒカル。赤くなるほど恥ずかしいならなんでこんな毒にも薬にもならないインタビューを受ける気になったのだろう。僕側から話を持ちかけておいてこんなことを言うのもなんだが、まったくもって理解に苦しむ。
「藍澤さんから告白されたんでしょうか、それとも前園さんから?」
「実は私からアタックしたんです。藍澤くんは当時からとても人気があって……クラスにも、藍澤くんが好きだという女子は何人もいたんですよ。精神年齢が高いって言うのかな。知的で穏やかな子でしたから」
「なるほど、藍澤さんはかなりモテるタイプだったんですね。そんな藍澤さんとお付き合いされていたなんて、前園さんも当時からとても魅力的だったということでしょうね」
本当はチサトのことをもっと掘り下げて訊きたいが、この人のように自己顕示欲が高そうなタイプは合間合間でヒカルのことを持ち上げるようなことを言わねばなるまい。そうすればもっと饒舌になってなんだかんだと話をしてくれるだろう。急がば回れというやつだ。案の定、ヒカルは嬉しそうに話し出した。
「いえいえ、そんなことはないです。私なんて大したことないんです。それに……藍澤くんは私のこと、本当に好きってわけじゃなかったみたい」
「ほう、というと?」
「藍澤くんが有名になってから、テレビでインタビューを受けているのをたまたま見たんです。そしたら『中学のころにもお付き合いをしたことはあるけど、初恋を感じたのは高校のときだった』って話してて……。正直そのときはショックでした。テレビを見ながらちょっと泣いちゃった。私にとっては藍澤くんが初恋でしたから」
「藍澤さんがそんなことを仰ってたんですか?」
そのインタビュー動画はもちろん見たが、あえて知らないふりをする。するとヒカルはさらに熱を帯びたように話し始めた。
「そうなんです。しかも初恋の相手のことはバラだの太陽だのって褒め称えてて……私、すごく惨めになっちゃった。そんな素敵なこと、付き合ってるときだって私は言われたことなかったんですもん」
面と向かってこんなことを考えては失礼だが、確かにどう転んでも、なんなら逆立ちしてもこのヒカルという女性はバラでも太陽でもない。僕はチサトの考えに大いに賛同した。死者と気が合ったのは初めてだ。チサトの手が墓場からゾンビのようにニョキっと出てきていたら、僕は迷わずハイタッチしただろう。もしもチサトからそんな褒め言葉を享受できるタイミングが一瞬でもあったとヒカル自身が思うなら、それはあまりにも自己肯定感が高すぎるというもの。最近では自己肯定感は高ければ高いほどいいという風潮があるが、決してそんなことはない。あれは血圧みたいな代物で、高すぎても低すぎてもなんらかのトラブルを引き起こすのだ。もしヒカルの自己肯定感がもうほんの少しだけでも低ければ、今回のケースだって心穏やかでいられたかもしれない。少し拗ねたように話すヒカルを目の前に、僕は「どうやらこの人はチサトの初恋の人ではなさそうだ」と素早く判断を下した。こうなると目下の問題は、どうやって話を切り上げるかである。そんなことを考えていると、今度はヒカルの方から話を振ってきた。
「そういえば、妹さんはお元気なのかな」
「妹さん?」
意図しないタイミングで依頼人の話が出たことに内心ドキリとしながらも、またもや全く知らない振りをしてオウム返しをした。
「ご存知ないですか? 藍澤くんには妹さんがいたんです。目のぱっちりした可愛らしい子で、一つ下だったはず。中学でも目立ってた子だからよく覚えてます。私、あの子に嫉妬してたんですよね」
「へえ、そりゃまたどうして?」
「だって藍澤くんたら、付き合ってるときもいつも『ウメカ、ウメカ』って妹さんのことばっかり構って……あ、ウメカっていうのが妹さんの名前なんですけどね。とにかく妹さんのことばかり気にかけて、私は放っておかれることがよくあったんです。下校の時も『暗くて危ないから』『雨が降ってるから』とか何かと理由をつけて妹さんを連れてきたりして、三人で帰るハメになったり。妹さんだって断ればいいのに、『お兄ちゃん、お兄ちゃん』って懐いちゃってさ。私、ヤキモチ妬いちゃった。妹さんから話しかけられても無視することもよくありました。藍澤くんはシスコンだったし、妹さんは完全なブラコンでしたよ、本当に」
「そうなんですか……」
さっきから黙って聞いていればまったく嫉妬深い女だ。こういう性格が災いしてチサトから振られたのかもしれない。自分が大切にしている人を無碍に扱われて、嬉しくなる人間はいないだろうに。
「……でもね、今となっては妹さんに申し訳ないことしたなって思ってるんです。岩倉さん、もし妹さんに会うことがあったら『前園ヒカルが謝ってた』と伝えてくださいね」
いまだにシスコンだブラコンだと騒いでおいて、よくも「謝ってたと伝えて」なんて言えるな、と内心呆れてしまった。しかしそんなことを態度に出すわけにはいくまい。少なくともこの家から出るまでは。
「わかりました! もし機会があれば妹さんにお伝えしておきますね。前園さん、本日はありがとうございました。いただいたお話が紙面に出る時にはまた、ご連絡差し上げますので」
ヒカルの話に嫌気が差した僕は早々に話を切り上げようとした。すると「あのう」と遠慮がちにヒカルが引き止める。
「写真なんかは撮らなくても……よろしいんですか?」
まったく似合ってないメイクはそのためだったのか。いい加減呆れた僕は適当な理由をつけて写真撮影を断り、足早に前園ヒカルの家を後にした。

「少なくとも前園ヒカルに遺産が渡ることはなさそうすね」
警察から目をつけられにくそうな場所を目がけて路上駐車しておいた車に二人して乗り込むと、ヒカル宅ではずっと押し黙っていたルイくんが話しかけてきた。彼もヒカルの態度を見て、僕と話したくてウズウズしていたのだろう。
「何かがまかり間違って前園ヒカルの手に渡るようなことがあれば、僕が全力で阻止するよ。ウメカさんの頬を引っ叩いてでも止めてやる」
僕はシートベルトを締めながら答えた。ミラーを確認していないのでわからないが、たぶん苦虫を噛み潰したような顔をしていただろう。
「それにしてもおかしなことになりましたね」
「何が」
キーを回してエンジンをかけると、オンボロ愛車はノロノロと走り出した。最近の車はボタンひとつでエンジンがかかるらしいが、僕にとってそれは未来の車だ。バック・トゥ・ザ・フューチャーに出てきたデロリアンとさほど変わりない。もしかしたら時代遅れの僕が知らないだけで、最近の車は未来に行ったり過去に行ったりもできるのではなかろうか。そうなったら便利だろうな。今回のインタビューの手間なんかも省けるし。
「さっきの前園ヒカルさん。チサトさんとウメカさんのこと、シスコンだのブラコンだの言ってたじゃないですか。しかも前園さんによると、チサトさんはずいぶんウメカさんを可愛がってたみたいですし。ウメカさんもまたチサトさんを慕ってたみたいですし」
「そのようだね」
「だったらおかしくないですか? ウメカさんはチサトさんと仲が悪かったから、初恋の人に遺産を渡したいって言ってるんですよね? 辻褄が合ってませんよ」
「簡単な話さ。ウメカさんが嘘をついてるんだよ」
助手席から強い視線を感じる。隣を見なくても、ルイくんが目をまんまるにして僕を見つめているだろうことがよくわかる。運転中にあまり見られると、自動車学校時代の緊張を思い出してハンドルを切り損ねそうになるのでやめてほしい。
「なんでですか……? ウメカさんはなんでそんな嘘を」
「さあ、よくわからない。ウメカさんの嘘、チサトさんのノート、アタルさんの行動。今回の依頼は謎が多すぎるよ。まるでみんなが少しずつ隠し事をしてるみたいだ。いつもみたいに不倫現場の写真を撮れば終わり、というわけにはいきそうにない。僕たち、なにか大変なことに巻き込まれてないといいんだけどね」
「大変なことって何ですか……」
ルイくんが困惑しきった声で聞いてきた。しかし僕にもさっぱりわからない。
「さてね」
ひと言だけ答えると、ラジオをつけて気まずい沈黙を消し去った。

(続く)

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