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お人好しな依頼④【聞き込みの前に】

 事務所に着くとルイくんが僕に小声で話してきた。
「先輩、ぶっちゃけウメカさんのことどう思います?」
正直なところ、僕は少し見直した。ルイくんもウメカのちょっとした違和感に気づいているのだろう。探偵としての感覚が鍛えられつつあるのかもしれない。ここはルイくんの口から違和感について語らせたいので、ざっくりとした感想に留めることにしてみよう。
「うーん……まあ、うまく言えないけど……ミステリアスな人ではあるよね。ルイくんはどう思う?」
「美人ですよね。でもハッキリ言って対象外です! オレ、料理のできない子は興味持てないんですよね」
さらに小声になるルイくん。前言撤回。どうやら僕は彼の発言を過大評価していたようだ。しかも別に二人しかいないんだから小声で話さなくてもいいだろうと思ったが、それは言わなかった。ルイくんとしても相手を値踏みするような内容に引け目を感じていたのかもしれない。
「きっとあちらからも丁重に断られるだろうから、ウィンウィンで良かったね」
「ちょっと! 失礼なこと言わないでくださいよ」
「それにたぶん、ウメカさんはある程度の料理はできると思うよ」
「え、なんでです? 料理担当はアタルさんなんでしょ」
「料理のことを聞いたとき、アタルさんは『チャーハンとかカレーとか、簡単なものしか作れない』と言ってた。もちろん日々の食事としてはそれで充分なんだろうけど、アタルさんのレパートリーには使われないであろう、スキレットやらオーブン、ノンフライヤーやらがキッチンにはあった。収納の方にチラッと見えてたのはたぶんバーミックスに低温調理器だろう。おまけにエアロプレスがあったのに、僕らが事務所にお邪魔した時に出てきたのはインスタントコーヒー。エアロプレスを持ってる人ならそれなりにこだわりがあるだろうに」
「エアロプレスって何ですか?」
「コーヒーを抽出するための道具だよ。料理をしないのに道具だけ揃える人もいるけど、それにしては全部よく使い込まれた形跡があった。しかもすべてきちんと手入れされていた……。それなら道具を使う人がいると考えるのが自然だろう。アタルさんじゃないとなると、ウメカさんしかいない。しかもあそこはもともとウメカさんの部屋みたいだしね。道具を使いもしないアタルさんが持ち込むとは考えづらい」
「その推理、先輩の願望が入ってるんじゃないすか? とにかくオレは料理しない子はダメです。美人でも対象外です!」
どうやらルイくんは自分の好みのタイプや恋愛観を語ってもまったく恥ずかしくない系統の人間らしい。僕は正直、恋愛関係のことを聞かれたら何を話せばいいのかわからなくなってしまう。ルイくんと一緒にいると、いろいろな人間がいるからこそ世界が成り立っていることがよくわかる。
「オレね、この話をするとよく『男女差別だ!』って言われるんですよ。でもそんなつもりじゃない。女の子の中にも『料理男子が好き』って子がいるじゃないですか。それと同じだと思ってます」
「ほう」
「料理ができるって、そのぶん生活力が高いってことですからね。生活力が高い相手を求めるのは男女問わず当たり前のことだと思うんです。『女だから料理ができた方がいいってことでしょ』って受け取る方がむしろ男女差別だと思ってます」
「なるほど。そのケースでは、受け取り手側が無意識のうちに性別で役割を縛ってるのかもしれないね」
「そうです。性別なんか関係なく、できないよりはできた方がいいと思ってるだけなんです」
たしかに発信側にその気がなくても、受け取り手側の根底に差別意識が眠っていればどんな発言でも歪んだ形で捉えられてしまうものなのだろう。
「特に同棲とか結婚となるとねえ。好きだけでは一緒にいられませんし。他人が一緒に暮らすとなると、お互いに何らかのメリットがないと長続きしないでしょ。ま、これ言うと周りからブーイングの嵐なんですけどね」
どうやら僕が思っていたよりもずっと現実的なタイプらしい。長いこと近くにいてもわからないことはたくさんあるものだ。もちろんルイくんも僕の恋愛観については何ひとつ知らないだろうから、そこはお互い様といったところだろう。
「だとしたらあのカップルはうまくいってるんじゃない? ウメカさんが稼いで、アタルさんが家事をする。お互いに一緒に暮らすメリットがあるのかもしれないね」
「そうなんですかね」
ルイくんはやや腑に落ちない顔をしていた。僕も完全に納得したわけではない。うまく言えないが、あのカップルはどうもバランスが取れていない気がしてならない。翻訳家としてしっかりと稼いでいる上にひと通りの料理はできるであろうウメカと、仕事はコンビニバイトで家事という意味でも大した生活力はないアタル。ウチの事務所に来たときアタルが名刺を出さなかったのは依頼人がウメカだからということかと思っていたが、おそらくそうではない。出したくても出せなかったのだ。アタルは仕事上の自分の名刺すら持っていないということだろう。これではほぼヒモだと言われても仕方がない。とはいえカップルの形は人それぞれ、当人同士が幸せならば他人が下衆な勘ぐりをする必要もないのだろう。

 さて、それよりも仕事のことを考えなければ。僕はウメカから手渡された資料を机に広げて、情報を整理することにした。お付き合いしていた三人というのも気になるが、まずはチサトの日記から確認してみることにしよう。チサトは若いころからずっと日記を書いていたらしい。とはいえ何か特別なことがあるたびに書くタイプだったようで、数ヶ月ほど日付がとんでいるところも多い。しかもウメカが内容を精査してくれていたため、全体の量は思ったほどはなかった。そしてどうやらここ数年は小説の制作ノートとしても使われていたようだ。
「他人の日記読むってなんか背徳感ですよね」
「まあでも好きで読んでるわけじゃないからね。ウメカさんもプライベートなところは抜いてくれてるだろうし」
「それはそうですけど……」
量が少なめと言っても全部読むのは現実的ではないだろう。僕はパラパラと流し読みをしていくと、あることに気付いた。
「……これ、最近も書かれてるな」
最後の方のページを開くと、最近の日記は今年の一月の終わりだった。
「一月二十六日が最新か……」
「遺体が発見されたニュースが流れたのが、確か三月でしたよね?」
「うん」
いちばん新しいページは、日記ではなかった。見開きのページが四分割されていて、それぞれ「春」「夏」「秋」「冬」とグループ分けされている。そしてそれぞれに、走り書きのような字でこまごまと文章が書き込まれていた。それを見たルイくんが「春」と書かれているブロックの文章をふと音読した。
「『不幸者の幸いというものは、他人からはそれと認識されないことが多い。しかし本人に言わせてみれば、まさに我が世の春とも感じられるほどの恍惚なのだ』……これって」
「どうしたの?」
「これ、藍澤チサトのデビュー作『春告草』の冒頭シーンです! うわー、本人の直筆でこの文章を読めるなんて感激だなあ」
この作品を映画館で三回も観たルイくんだからこそ覚えていたのだろう。冒頭シーンというものは頭に残りやすいものだ。
「ということは、『夏』は『五月雨のあとで』、『秋』は『朝顔の誘惑』なのかな」
「え? なんでですか。朝顔は夏の花でしょ。夏休みの宿題で観察させられるじゃないですか」
「そう思われがちだけど、朝顔は秋の季語なんだよ。だからチサトさんは『朝顔の誘惑』は秋の話のつもりで描いてると思う」
「へー、なんか不思議っすね」
「チサトさんの作品って、それ以外にはないの?」
「短編集みたいな本が出たことはあるみたいですけど、ガッツリな小説はこの三つですね」
「てことは『冬』の作品はこれから書く予定だったのかな……。山に行ったのも取材の一環だったのかもしれないね」
「未完の作品のパーツがここに眠ってるわけですか。ファンとしては残念ではありますけど、ロマンがありますね」
僕たちは「冬」と書いてあるブロックに目を移した。そこに書かれていたのは以下の文章だった。
「『枝を伸ばして咲き誇る花も、光が当たりすぎれば弱ってしまうだろう。塵は光を遮ることができるだろうか。はたまた光は塵をも飲み込むのか』……こうやって始まる予定だったんすね。読みたかったなあ」
僕は微かな違和感を覚えた。
「ルイくん、『春〜秋』の三作品って続編なの?」
「いや、全部独立した話ですね。シリーズ物ではないです」
「そう……」
「何か気になることでもありました?」
「日付が正しければ、この表が書かれたのは今年の一月だろう。その時点ではすでに『春〜秋』の三作品は書き上げられて、世に出ているはずだ。そうでしょ?」
「その通りです」
「それならなぜ改めてここに書き込む必要があった? 構成を練っている最中、作品を書いている最中ならまだしも」
「たしかに……そうですね」
「四つの話がシリーズ物で繋がっているなら、齟齬を生まないために前後の作品のあらすじを書いておくのも理解できる。しかしそれぞれがまったく関係のない話となると話は別だ、書く意味がない。構成を練っていたであろう『冬』の作品だけでいいはずだ」
「え、つ、つまりどういうことすか?」
「つまり……考えられる理由は二つかな。一つは、四作品目である『冬』が前作三つを繋げ切るほどに壮大な話になる予定だった。繋がっていないと見せかけて実はシリーズ物だったということだね。それならば辻褄が合う。もう一つは、なんらかの意図があって全ての話をこのノートに書かなければいけなかった」
「なんらかの意図って……なんですか」
「……さあ、今はまだわからない。手がかりがなさすぎる」
僕は日記を閉じると、今度はチサトと付き合っていたという三人についての資料に目を通す。
「とりあえずこの三人に話を聞かせてもらおうか。アポイントをとってみよう」
「そうですね。アプローチの方法が決まり次第、オレが電話してみますよ」
なんというフットワークの軽さ、なんというコミュ強。彼以上に僕の助手として相応しい人はなかなか見つからないだろう。

(続く)

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