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お人好しな依頼⑪【不幸者の幸い(1/3)】

 「いやあ、しかし無事解決して良かったですね」
ルイくんがこの言葉を口にするのは一体何度目だろう。あれから数日間、僕たちはまるで大冒険を終えたかのような充実感を胸に暮らしていた。不倫の証拠を撮る仕事でもなく、有閑マダムの猫ちゃんを探す仕事でもない、なんと殺人事件の犯人逮捕に一役買ったのだ。久しぶりに世間様の役に立った気がしないでもない。しかし僕にはまだいくつか気になる点がある。僕の心の中を読んだかのように、ルイくんは声をかけてきた。
「ウメカさん、大丈夫ですかね? 様子を見に行ってみます?」
「そうだね」
僕は上機嫌で車のキーを手に取った。
「答え合わせしたい点もあるしね」

「あら、是枝さん。先日はありがとうございました」
ウメカはいつもと変わらない様子で僕たちを迎え入れてくれた。とはいえ少しやつれたような気がしなくもない。
「どうも」
「今日は何かありました?」
「いいえ。二人揃ってウメカさんの美しいお顔をちょっと拝見したくなりましてね」
「うふふ。気にかけてくださってるんですね。嬉しいわ。どうぞ、あがってください」
ウメカはエアロプレスを使って、慣れた手つきでコーヒーを淹れてくれた。僕は単刀直入に聞きたいことを聞くことにした。
「ウメカさん。聞きたいことがあるんです」
「何かしら?」
「……最初から気づいてたんですよね? チサトさんの初恋の人がアタルさんだということも、そしてアタルさんこそがチサトさんを突き落とした張本人だということも」
「え?」
驚いたルイくんが僕の方を見る。しかし今はそんなことはどうでもいい。もう一度問いかけようとすると、キッチンからピーピーと間の抜けた音がした。思わず音のする方を見やる僕たち。
「オーブン?」
「ええ。焼き上がりました。よろしければ一緒に召し上がりません? ピザみたいなものですけど」
そういえば昼飯がまだだったことを思い出して、僕の代わりに腹の虫が情けない返事をした。
「ウメカさん、料理しないヒトなんじゃ……」
「あら。私、ひと言でも『料理が苦手』なんて言いました?」
「前に依頼に来てくれたとき、料理はできないって言ってましたよね?」
すっかり面食らった様子のルイくん。「だから言っただろ」という顔をして見せたが、残念ながら僕の方は見向きもしなかった。
「ああ、そんなふうに伝わってたのね。少し意訳が過ぎたかしら。私はただ、『兄を殺したゲス野郎には料理なんて作ってやりたくない』……そう言いたかっただけなんです」
形の良い唇から零れ落ちるには相応しくない言葉を耳にして、僕たち二人は固まった。生まれて初めての動物を目の前にしたかのような気分だ。ルイくんなど二〜三歩後退りしたほどだった。ウメカはそんな僕たちの様子には目もくれず、オーブンを触っている。
「食べながらお話ししましょう」
誘われるがままに僕たちは席に着いた。

「どうぞ、お話しになって」
焼きたての料理は僕たちの緊張をほぐし、さらに饒舌にさせるのには充分な味だった。白ワインまで開けてもらった僕は上機嫌にすらなった。
「ピノグリ・レゼルブですか。いいっすねえ、うまい」
「是枝さんはワインにもお詳しいんですね」
「いやいや、酒が好きなだけです。こちらは?」
「これはタルトフランベという料理なんです」
「そうなんですね。初めて食べます。……ええと、どこから話しましょうか」
「はじめから最後まで話していただけます?」
前々から感じていたことだが、この藍澤ウメカという女性は妙に色っぽい話し方をすることがある。ルイくんがいなかったら僕は目の前の女性を口説かずにいられなかったかもしれない。なぜ僕は一人でこなかったのだろうか、と何故だか少し後悔してしまう。気持ちを切り替えるために咳払いをひとつすると、僕は話を始めた。
「わかりました。お話ししましょう」
「よろしくお願いします」
「大きな違和感を抱いたのは、チサトさんの日記などを見せてもらったときです。そもそもウメカさんは翻訳家として働いているそうですが、得意としている分野は英語ではないだろうと思ってたんです。事実婚が多い国への留学、名刺の名前の書き方、書棚に置いてある本の種類……精通しているのはおそらくフランス語でしょう」
「名刺の名前……?」
口を挟んだルイくんに僕は説明を強いられた。
「フランス語では母音が重なると、二つの音を区切って読むためには印をつけるんだよ」
ウメカさんの名刺を出して説明をした。”Umeka Aïzawa”と書いてある。
「この、iの上のチョンチョンのことですか?」
「そう。トレマと呼ばれるマークだ。英語を主として仕事にしているなら名刺の名前にこのマークはつけないだろうと思ったんだ。事実、ウメカさんの書棚はフランス人作家の小説でいっぱいだったしね」
「なるほど……でもそれが何か関係あるんですか?」
「チサトさんのインタビュー動画を見ていたとき、ウメカさんがなんて言ったか覚えてない?」
「え? えーっと……」
ルイくんが答えに窮したため、僕は早めに答えを出すことにした。
「ウメカさんはこう言ったんだ。『オスカー・ワイルドみたいでしょう?』と」
「どういうことです?」
「よく考えてみて。チサトさんは『世界でひとつだけのバラの花』と言っていた。フランス文学に精通している人がこの言い回しを耳にしたら、真っ先に頭に浮かぶのは大抵……」
「……うん?」
「サン=テグジュペリ」
ルイくんがまたもや困った顔をしたため、ウメカさんが助け舟を出してくれた。
「そうおっしゃりたいんでしょう?」
「その通りです。サン=テグジュペリの名作、『星の王子さま』の有名な一節ですからね。しかしウメカさんはどういうわけかイギリスの詩人であるワイルドを例に出した。これはどう考えてもちぐはぐです。もちろんワイルドだって偉大な作家ですが、ウメカさんがここで持ち出すのはあまりに不自然だ。だから僕はこう考えた」
ワインをひと口舐めて先を続ける。
「これは僕へのメッセージだと」

(続く)

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