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お人好しな依頼⑧【探偵たちの考察】

 それから数日かけて、僕たちはウメカから手渡された資料に何度も目を通した。
「先輩どうですか? 何か手がかりはありました?」
「いや……全くだね。今回の依頼は本当に難しいよ。ホテルから出てきた不倫カップルをスマホでパシャパシャ撮るだけじゃダメかねえ、僕の仕事……」
僕は眉間を押さえながら天を仰いだ。まったく考えがまとまらない。というか、ある一定のところから進まない。
「コーヒー淹れましょうね」
「ありがとう」
今日だけで何杯のコーヒーを飲んだだろう。なんだか随分と疲れた。眼鏡越しにボンヤリと見上げた天井は、まるでいつもの事務所とは違って見える。
「どこまで考えを進めたんですか? オレは全然わからないので教えてください」
僕はどんな物事でも自己解決しないと気が済まないタイプで、どうしてもムキになってしまう。他人に対して「教えてください」なんて頭を下げられた試しがない。だからルイくんのこういう素直なところは見習いたいし、もっと言えば訊かれる側としてはありがたいとすら思う。とはいえ今回のケースに関しては僕から伝えられることが少なすぎるのが申し訳ない。
「いや、残念ながら僕もさっぱりなんだよ」
「三人の中で誰が初恋の人がわからないってことですか?」
「いんや……」
僕はルイくんが差し出してくれたマグカップを受け取りながら答えた。
「たぶんあの三人は誰もチサトさんの初恋の人じゃない。該当する人がいない」
「は?」
「考えれば考えるほど全員候補から外れるんだ。誰も条件を満たしてない」
「そんな……どういうことですか?」
「さてね。日記の中には書かれていない『第四の人』がいるのかもしれない」
「それじゃあどうしたら……」
「もう一度資料を見直してみるかねえ。何か手がかりを見落としてるかもしれないし。今の僕たちにはそれしかできないよ。いずれにしてもまだウメカさんには報告できそうにないね。『三人とも違いました、でも初恋の人が誰かはわかりません』とは言えないでしょ」
「そっすね……」
僕たちは二人して押し黙ってしまった。重たい空気が事務所に蔓延している。
「とりあえず、もう一度インタビューを見てみるよ。何度見ても初恋の人がわかるとは思えないけど、何もしないわけにもいかないからね」

もう何度目だろう。僕はまたインタビューを最初から観ることにした。

『…藍澤さんの初恋はいつだったんですか?』
『高校の時ですね』
『相手はどんな女性だったんですか?』
『まるで渓谷を照らす朝日のようにキラキラした人でした』

短いインタビューを何度も繰り返し聞いているうちに、だんだんチサトのセリフを空で言える気がしてきた。まるで洗脳ビデオを見せられているような妙な気分になってくる。

『美しい女性だったんでしょうね』
『僕にとっては世界でひとつだけのバラの花です。でも僕なんて相手にされませんよ。その人の恋愛対象にすらなりませんでした』

「渓谷……朝日のような人……」
チサトのセリフを口の中で繰り返す。
「世界でひとつだけのバラの花……」
だんだん変な気分になってくる。ダメだ、もう限界。ちょっと休憩。僕は目をぎゅっと瞑るとそのまま体をソファに沈めた。頭の中でいろいろな声がする。少し黙ってほしいのだが、みんな好き好きに声を発している。うるさいと叫びたかったがそんな気力も残ってない。僕は大人しくそれらの言葉に耳を傾けることにした。

兄と私は昔から仲があまり良くなかったんです。
何度プロポーズしても首を縦に振ってくれないんですよ。
一緒に暮らしてる人間のためにお料理ひとつ作ることすらできない女ですよ。
まるで渓谷を照らす朝日のようにキラキラした人でした。
チサトくんたら、妹さんのことばっかり構って。
センリくんのこと、世の中に伝えようとしてくれてありがとう。
私の名前が「トモカ」だからだと思います。
僕にとっては世界でひとつだけのバラの花です。

――オスカー・ワイルドみたいでしょう?

何かに叩き起こされたように僕は跳ね起きた。その勢いたるや、そばにいたルイくんが「うわっ」と小さな声をあげて飛び上がったほどだ。
「どうしたんですか? 何かわかりました?」
「いや……」
僕は今何を考えてた? 何か大切なことに触れた気がする。考えが途中でプツンと音を立てて切れてしまわないように、ゆっくりゆっくり記憶を手繰り寄せる。
「朝日のような人……世界でひとつだけのバラの花……オスカー・ワイルド……」
なんだかひどく喉が渇く。しかし何かを飲んだらそれと一緒に大切なことまで飲み込んでしまいそうで、僕は渇きを必死に我慢する。僕が求める答えはもう喉元まで出かかっているのだ。きっと僕は相当に殺気立っているのだろう。ルイくんが狂人でも見るような目で僕を見つめている。しかし僕はそれ以上は手繰り寄せることができなかった。
「ダメだ……」
ひと言だけ弱々しく吐くと、欲望に任せて手元にあったやたらと濃いコーヒーを一気に飲んだ。これで振り出しに戻ってしまった。情けない気持ちに押しつぶされそうになる。一方ルイくんはそんな僕を見てホッとしたようだ。鬼気迫る狂人よりは情けない凡人と仕事をした方がまだマシということだろう。ルイくんの選択はきっと正しい。
「それにしても太陽だったりバラだったり、チサトさんの初恋の人は相当綺麗な女性だったんでしょうね」
場を和ませるためのルイくんのひと言に、今までどれだけ救われていることだろう。これは僕にはない技術だ。なんだかホッとした僕は返事をした
「そうだよね。本当にそんな女性がいるならぜひお目にかかりた……」
そこまで口にして思わず黙り込む僕。何かが引っ掛かっている。
「先輩?」
ルイくんの呼びかけにも答えず、僕はインタビュー動画をもう一度再生する。

『どんな人だったかなあ』
『まるで渓谷を照らす朝日のようにキラキラした人でした』
『その人の恋愛対象にすらなりませんでした』

自分の頭の中で何かが音を立て、僕はある結論に辿り着いた。
「……わかった」
「え?」
「チサトさんの初恋の人……」
「本当ですか? 一体誰なんですか? とにかくウメカさんに連絡を……」
「待って」
スマホを手にしたルイくんを片手で制して、僕は静かに言った。
「僕の考えが正しければ、ウメカさんに話をするのはもうひとつの謎を解いてからの方が良さそうだ」
「もうひとつの謎?」
「チサトさんがノートに書き残した文章だよ。日記の最後のページに、なぜか今までの小説の出だしが書かれていただろ?」
「『冬』の小説の出だしも書かれていましたもんね。きっとあとから書かれるはずだったんでしょうに」
「どうしてそう思う?」
「え?」
ルイくんがキョトンとして僕のことを見ている。内心「何言ってるんだコイツは、遂におかしくなったのか」と思っているのかもしれない。
「どうしてって……だって、『春〜秋』はすべて小説の出だしじゃないですか。それなら『冬』だってそうに決まってますよ」
「果たして本当にそうかな?」
「え? どういうことですか」
「『不幸者の幸いというものは、他人からはそれと認識されないことが多い。しかし本人に言わせてみれば、まさに我が世の春とも感じられるほどの恍惚なのだ』……これ、どう? 何か矛盾を感じる?」
「いや特には。間違いなく『春』の文章ですね。幸せな状況がよくわかります」
「じゃあ『冬』に書かれてるこれは? 『枝を伸ばして咲き誇る花も、光が当たりすぎれば弱ってしまうだろう。塵は光を遮ることができるだろうか。はたまた光は塵をも飲み込むのか』……これ、冬だと思う?」
「枝を伸ばして咲き誇る花……冬ではないですね。光が当たり過ぎたら……花って弱るんですか? そう考えてみるとよくわからない文章だな……」
「そう、なんだかちぐはぐな表現なんだよ。もちろんここからブラッシュアップする予定だったのかもしれないけど……そうだとしても、前にも言った通り『春〜秋』の文章をここに書く必要はない」
「じゃあなんで……」
ルイくんがじれったそうに僕を見つめる。結論から話せと言うことだろう。では常日頃の感謝もこめて今回はご希望に沿うとしよう。
「この文章は何か大切なことを伝えようとしてる。しかもそれとわかる人だけにね。おそらく『春〜秋』の文章は全てカムフラージュだ。ウメカさんはそれを理解したからこそ僕たちに依頼をしたんだ」
「ウメカさんが本当に探したかったのは、チサトさんの初恋の人ではなかったってことですか……?」
「たぶんね」
「大切なことって何ですか? ウメカさんは何がわかったんですか?」
「それはまだわからない……」
そう言いかけて僕はふとあることに気づいた。

塵は光を遮ることができるか。
光は塵をも飲み込むのか。
塵……?

「車のキー!」
いきなり叫び声をあげて散らかった机を漁り出した僕に、ルイくんが慌ててキーを差し出す。
「なんすか先輩、どうしたんすか!」
「早く行こう」
「行くってどこに……」
「とにかく車に乗って!」
「先輩! ああもう、オレわけわかんないです! ちゃんと説明してください!」
悲鳴にも似た声を上げるルイくんがシートベルトを締める前に、僕はアクセルを踏んだ。

(続く)

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