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お人好しな依頼⑦【相田トモカ】

 僕たちが最後に訪れたのは、高校の時に付き合っていたらしい相田トモカの家だった。
「『週刊ゴーイング』の岩倉と申します。本日はよろしくお願いします」
この偽名も板についてきた感じがするが、使用するのは今回で最後。そう考えると少しだけ寂しい。三泊四日の海外旅行で現地通貨に慣れたころに帰国しなければいけない感覚と似ている。日常に戻ってしまえば最早どうでもいいことになるのだか、その瞬間だけはほんのちょっぴりセンチメンタルな気分になるのだ。
「ご丁寧にどうも。おかけください」
和やかな雰囲気で僕たちを迎え入れてくれたトモカ。さて一体、彼女からはどんな話が聞けるのだろうか。
「お忙しいところ、お受けいただきありがとうございます。今日は藍澤チサトさんのことをいろいろと伺いたいと思います」
「いいえ。藍澤くんのことでしたら何でも聞いてください。きっといろいろとお答えできますので」
丁寧と言えば聞こえはいいが、相田トモカからはそこはかとなく尊大な印象を受けた。まるで「チサトのことなら私がいちばん知っている」とでも言いたげな語り口だ。
「藍澤さんとお付き合いされていたのはいつ頃でしょうか?」
「高校二年生の時でした。お互いに出席番号が最初の方だったから、それでよく話すようになったんです」
「ああ、なるほど。お付き合いされたきっかけは何かあったんでしょうか?」
「私が好きだった小説を、たまたま藍澤くんも好きだったんです。それでお付き合いしてみようかなって」
トモカの話し方がなんとなく鼻につくのは僕だけだろうか。あたかも「自分の気が向いたからお付き合いしてあげた」と言わんばかりの話し方に聞こえる。どこでそんな印象を感じるのか、と聞かれると困ってしまうのだが。
「じゃあ藍澤さんからアプローチを受けたんですか?」
「うーん……どっちだったかな。忘れちゃった」
完全に僕の持論だが、この手の女性が相手からアプローチされたことを忘れるわけがない。もしもチサト側から告白されていたら、今だって「藍澤くんから告白されたから付き合ってあげた」と声高に報告していただろう。きっとトモカ側から付き合うことを持ちかけたに違いない。ひょっとしたら「付き合ってあげてもいいけど?」くらいは言ったかもしれない。真相はわからないが、いずれにしても死人に口なしと言ったところだろうか。
「あ、でもね、最終的にフッたのは私だったの。他に好きな人ができちゃって。サッカー部のカッコいい先輩だったんです。その人ともあまり長続きしなかったんですけどね。私、彼氏が途切れたことはあまりないんですけど、長続きもしないんですよねえ」
どこか得意げに語るトモカ。話によるとチサトは女子から人気があったらしいから、モテモテのチサトくんをフッた罪な私、くらいに考えているのかもしれない。それにしても「恋人が途切れたことがない」というのは果たして自慢なのだろうか。僕からしてみれば「私は相手と深い関係を築けない人間なんです」と宣言しているようにしか見えないが。
「付き合ってた期間はね、藍澤くんともラブラブだったんですけどね。周りから『理想のカップルだ』なんて言われちゃって。うふふ、自分では考えたこともなかったんですけど、きっとそう見えてたんでしょうね」
「へえ、そうですか」
お金をいただいている仕事とはいえ、この独りよがりな茶番をいつまで聞けばいいのだろうか。いい加減あくびのひとつもしそうになったとき、トモカの口から興味深い話が語られた。
「お付き合いしてるときに藍澤くんからお手紙をもらったこともありました」
「手紙なんて素敵ですね。どんな内容だったんですか?」
「しまってありますよ。ご覧になります?」
「はい、ぜひ」
できるだけ早く帰りたいと考えていた僕は、手紙の存在を知るや俄然興味がわいてきた。これこれ、こういう話が聞きたいんですよ。
「こちらです」
「拝見しますね」
出された手紙は何度も読み返しただろうことがよくわかる見た目だった。きっとチサトから贈られたのが嬉しかったのだろう。もしかしたら今でもたまに読み返しているのかもしれない。このトモカとかいう女性、なかなか可愛いところもあるじゃないか。肝心の手紙には、何となく筆を取ったこと、最近の学校のこと、付き合ってくれてありがとうなど、初々しさでいっぱいの文章が綴られていた。なんだか読んでいるこちらまで甘酸っぱい青春を送ってきたような気持ちにさせられる。実際の僕の高校時代はというと、残念ながらそんな経験はまったくなかったのだけれど。手紙の最後はこんな文言で締め括られていた。
「『トモカさん、あなたはビルの谷間に輝く明るい月のような人だ』……」
「はい。この最後の一文がとても好きなんです」
うっとりとした表情で語るトモカ。確かに好きな人からこんなに美しい詩のような手紙をもらったら嬉しいだろう。僕だったら相手をさらに好きになる自信しかない。しかも多感な高校時代になんて、全身に稲妻が走るような衝撃だったのではないだろうか。一生忘れられない思い出になりうるだろうし、トモカにとっては正にそうなったのだ。
「月……」
手紙から目を離さずにいた僕がなんとなく呟くと、トモカは説明をしてくれた。
「たぶん私の名前が、月が二つに香ると書いて『朋香』だからだと思います。苗字も『あいだ』ですしね」
「ああなるほど。それはロマンティックですね。さすが藍澤チサトさんだ」
「藍澤くん、この頃からびっくりするくらいロマンティストだったんですよね。フッてしまって本当に申し訳ないことをしました……」
さらに恍惚とした表情を浮かべるトモカ。僕が想像するに彼女が好きなのは、ロマンティックな手紙をくれたチサトではなく、なんならそれを受け取った自分でもない。いちばん好きなのは「そんな素敵なチサトをフッた自分」なのだろう。僕には理解できない価値観だが、大切なものを壊すことでしか価値を感じられない、というか壊す自分に価値を感じる人もいるのだ。自ら壊すことで立場に優位性をもたらしたくなるのかもしれない。きっと僕とは一生わかり合えない人種だろう。トモカの許可を得て手紙の写真を一枚だけ撮らせてもらうと、僕たちはお暇することにした。
「いろいろなお話ありがとうございました。ではそろそろ……」
「あら、まだまだお話しできることはありますよ。もういいんですか?」
「お話を伺いたいのは山々なんですが、次の取材が入っておりますもので」
「そうですか……」
「ええ、ご協力ありがとうございました。とても助かりました」
残念そうにするトモカを残し、僕たちは三人目の候補者の家を後にした。車に向かう途中でルイくんが小声で話しかけてくる。
「今回は帰るのがずいぶん早かったですね?」
「うん。あの人とこれ以上一緒にいると血圧が上がりそうだ。申し訳ないけど、仕事よりは自分の体が大切なもんでね」
ルイくんはおかしそうに笑ったが、僕は半分本気だ。
「ところで初恋の相手の目星はつきました?」
「いや……今はまだ明言はできないな。とりあえず事務所に帰って、インタビューの音声でも聞き直しながら考えてみよう」
「僕、日記ももう一度読み返してみます。何か手掛かりがあるかもしれませんし」
「そうだね。何かしら見つかるといいんだけど。あまり認めたくないことだけど、今のところピンとくるものがないんだよな。本当にあの三人の中に初恋の人がいるのかね。もし他にこっそり付き合ってた人がいたら収集がつかんぞ」
「いやいや、それだったら日記には書くでしょ? 他人に言わなくても、自分は知ってるわけだから」
「ルイくん、きみ、日記を書いたことないだろ」
「え? はい、まあ、ないっすね。夏休みの絵日記ならありますけど」
僕たちは車に乗り込むと、ほぼ同時にドアを閉めた。
「人はね、自分しか読まない日記でさえ嘘をつくものだよ」
「そんなもんすかね」
よくわからないと言いたそうな表情を浮かべるルイくんを見て、それ以上話を広げるのはやめておいた。
「まあ、とりあえずもう一度考えてみよう。何か閃くかもしれないしさ」
「今回はなんか、いわゆる探偵っぽい依頼ですね」
やや興奮気味に呟くルイくん。生憎だが彼の予想とは裏腹に、おそらくいつも以上に地味な作業になるだろう。しかしせっかく現れたやる気を削がないために僕は黙っておくことにした。

(続く)

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