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お人好しな依頼⑩【結論としては(2/2)】

「答えたくありませんか? それなら質問を変えましょうか。一月二十七日、あなたはチサトさんと原代山に行ったんじゃないですか?」
「い、一体何言ってるんですか」
「行ってないんですか? おかしいな。チサトさんの日記に書いてあったんですよ。アタルさんと会う予定だ、自分は殺されるかもしれない、ってね」
「何の話ですか? そんなことどこに書いてあるんですか。オレが見る限りそんな……」
アタルは口をつぐんだ。それ以上喋ったらボロが出ると思ったのだろうか。
「……そんなこと書いてなかったからすっかり安心してしまいましたか? だからウメカさんがこのノートを探偵に見せるのを止めなかったってところですかね。でも残念。チサトさんはきちんと書き残してるんですよ」
「いい加減なこと言うな!」
アタルの大声を合図にして、僕はチサトの日記をテーブルの上に出した。
「ここですよ、ここ。よく見てください」
僕は例のページの『冬』と書かれた部分を指差した。ウメカが読み上げる。
「枝を伸ばして咲き誇る花も、光が当たりすぎれば弱ってしまうだろう。塵は光を遮ることができるだろうか。はたまた光は塵をも飲み込むのか……」
「これが何だよ。ただの小説のアイディアだろうが」
「本当にそうでしょうか?」
「そうに決まってるだろ! 一体何だって言うんだよ!」
「チサトさんの本をちゃんと読んだことがある方ならわかるでしょう。ここに書かれている『春〜秋』の本はすでに出版されている。改めてここに文章をしたためる必要などないんです。これらは『冬』の文章を不自然に見せないための舞台装飾にすぎない。しかしそれがわからない人から見ればただのアイディアノートに見えてしまうんです。木を隠すなら森の中、言葉を隠すなら文章の中と言ったところでしょうか」
「……」
「『冬』と書かれているこの文章は、わかる人にだけ訴えかけているんですよ。『これは藍澤チサトの遺書だ』と」
「遺書……」
ウメカが口を押さえる。
「枝を伸ばして咲き誇る花。これは言うまでもなくウメカさんのことでしょう。そして光、これは太陽とも喩えられたアタルさんだ。そして塵。僕はこれが最後までわからなかった。しかし八島さんの言葉を思い出したらようやく理解できました」
「どういうことですか?」
じれたルイくんが口を挟む。
「八島さんがチサトさんを何て呼んでたか覚えてる?」
「センリくん、って呼んでましたね」
「その通り。センリくんだよ。千里の千を『チ』、里を『リ』と読んだら『チリ』じゃないか」
「あ……」
「『枝を伸ばして咲き誇る花も、光が当たりすぎれば弱ってしまうだろう。塵は光を遮ることができるだろうか。はたまた光は塵をも飲み込むのか』。つまりこれを読み替えれば、ウメカがこれ以上アタルと一緒にいたら悪い影響が出る。チサトはウメカからアタルを引き離すことができるだろうか。それともアタルはチサトを殺すのだろうか……。そういうことです。もう一度伺いますね。アタルさん、一月二十七日は何をしてました?」
ウメカもルイくんも、アタルの方を見て黙り込んでしまった。アタルもしばらく僕を睨んだまま押し黙っていたが、急に笑い出した。
「ははは! そんなものただの妄想じゃねえか。何か証拠でもあんの?」
そう言われると困ってしまう。残念ながら僕はこれ以上の証拠は持ち合わせていないのだ。今度は僕が黙り込む番かと思いきや、突然冷静な声が聞こえた。
「アタル。一月二十七日、外出してたみたいね」
ふと見るといつのまにかウメカが手帳を手にしていた。どうやらお互いの外出の予定をきちんと書き込んでいたらしい。背後から撃たれたような顔をして、アタルはたじろいだ。
「ウメカ、お前……」
「行き先は告げずに出たみたいだけど、一体どこに行ってたの? もしかして原代山?」
「何言ってんだよ!」
アタルの顔を真っ赤に染めているのは怒りだろうか、それとも焦りだろうか。それとも絶対的な味方から裏切られたという絶望だろうか。
「それにその日たまたまオレが外出したからなんだって言うんだよ! 出かけてたからってチサトと一緒に山に行ったとは限らねえだろうが!」
「じゃあどこに行ったのか説明してくれる?」
「そんな何ヶ月も前のこと覚えてるわけねえだろ!」
「それじゃあ訊くけど」
ウメカは右のポケットから何かを取り出した。片方だけのオレンジ色の手袋だった。
「一月二十七日、アタルのカーゴパンツに入ってたこれは何? 洗濯しようとしたら見つけたんだけど。説明してくれる?」
「お前……なんだよそれ……嘘だ」
信じられないといった表情で、椅子に座ったまま後ずさるアタル。
「なんでそんなもんがオレのパンツに……あの野郎……!」
「ほう。あの野郎というのは一体誰のことですか?」
僕も加勢する。すかさずウメカが畳み掛けた。
「アタルがやったのね? アタルがお兄ちゃんを殺したのね?」
「違う! オレは殺してない! ただ振り払ったらあいつが勝手に落ちて……」
ハッと口をつぐんだが、僕たちはすべてを理解した。
「チサトさんと原代山に行ったんですね」
真っ赤から一転、アタルの顔は今度は青ざめ始めた。青は進めだと言わんばかりにウメカが追い打ちをかける。
「何があったの? 説明して。アタルが突き落としたの?」
「違う! 違うんだよ……チサトが掴みかかってきたから少し押したら……足を踏み外して……」
「どうしてそんなことになったの」
アタルは観念したように話し出した。
「……チサトにちょっと冗談を言ってやろうと思ったんだ。『お前が同性愛者だと世間にバラす』って言ったらどんな顔をするか見てみたくなって……」
「違うでしょ。お兄ちゃんを強請ろうとしただけじゃない。そう言ってお金をせびってやろうと思ってたんでしょ」
ウメカに鋭く言われて、アタルはさらに青ざめた。
「最初は本当にふざけて言ってやろうと思ってただけなんだよ! 実際にバラすつもりなんてなかった。そしたらチサトに『人がいないところでなら話を聞いてやる。オレもアタルに話したいことがある。明日は原代山に行く予定だから、どうしても話したいならついてこい』って言われてさ。たぶん小説の取材に行くところだったんだと思う。話があると言われたら気になって、オレも行かないわけにいかなくなって……行くことにしたんだ」
「それで?」
「オレたちはハイキングコースからわざと外れて人がいなさそうなところに行った。それはチサトが選んだんだ、嘘じゃない。少し奥の方に行ったらチサトが用件を訊いてきたから、オレは『同性愛者だとバラしてやる』って言った……」
「正確に話してくれる?」
「……『バラされたくなかったらまとまった金を寄越せ』って言ったよ。そしたらあいつ、なんて言ったと思う? オレの言葉を鼻で笑って、『バラしてもいいよ。世間からどう思われようと痛くも痒くもない。その代わりオレはお前がどんな人間に成り下がったか、ウメカにバラしてやるから覚悟しろ』だと。『バラされたくなければウメカと別れろ。どっちかこの場で選べ』とまで言いやがった。足元見やがって……」
「……それで?」
「オレが何も答えなかったら、掴みかかってきやがった。『いい加減にしろ! ウメカから離れろ』って、すごい剣幕で。あんなチサトを見たのは初めてだったから、びっくりしてオレはあいつを突き飛ばした。もちろん殺すつもりなんてなかった。だけど足場が悪くて……足を踏み外して……」
「それで崖下に落ちたのかい」
僕が訊いたら、アタルは青ざめたまま頷いた。
「何回呼びかけてもピクリとも動かなかったから、オレ怖くなって……。そしたらその二日くらい後に山に大雪が降って……」
「……死体は隠れ、春の雪解けと共に見つかったということか」
アタルは真っ青な顔でもう一度頷いた。なんということだ。ウメカは自分を兄を殺した犯人とずっと同居していたのだ。おそるおそるウメカの方を見る。僕の想像よりもずっと冷静な顔をしている。それどころかウメカは立ち上がってアタルから距離をとると、今度は左のポケットから震える手で小さな機械を掴み出した。ボイスレコーダーだった。
「……とった」
もちろん『録った』という意味だろうが、僕には仇を『取った』と聞こえた。青ざめていたアタルの顔が再び怒りに満ち溢れ、その矛先はウメカの方に向けられる。
「ウメカ! てめえ!」
ガタンと大きな音を立ててアタルが椅子から立ち上がる。棚に置いてあった重そうな時計を手にすると、ウメカ目がけて振り下ろそうとした。いけない。僕が慌てて立ち上がるより早く、ルイくんが素早く一歩前に踏み込んで左手の拳をアタルの顔に勢いよく叩き込んだ。衝撃をモロにくらって後頭部を強く書棚にぶつけるアタル。床に倒れ込んだアタルには本が何冊も降り注いだ。
「私、警察呼びます」
電話をするウメカを横目に、僕はルイくんに話しかけた。
「すごいねえ。強いんだなあ、ルイくん」
「オレ、大学時代は部活に明け暮れてたんで」
「何部だったっけ?」
「ボクシング部っす」
「なるほどね。いや、お見事」
ルイくんが照れくさそうに笑っている。僕はこの期に及んで、ルイくんが殴りつけた先が壊れ物が飾ってある棚じゃなくて本当に良かったと胸を撫で下ろしていた。パトカーの音が近づいてきた。

(続く)

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