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お人好しな依頼⑥【八島ナオ】

 「センリくんねー。山の事故でしょ? 残念だったよね。これからもっと活躍しただろうに……。ファンの方も悲しいだろうね」
僕たちが二人目の候補として家を訪れた八島ナオは、すでに結婚して幼い子どもがいる女性だった。資料としてもらった写真には正にギャルといった出立ちで写っていたが、今となっては見る影もない。外見は年相応の落ち着いた印象の女性に見える。資料を見ていなかったら「昔ギャルだったんですよ」と言われても、にわかには信じられないだろう。
「センリくん?」
聞き慣れない僕が聞き返すと、ナオは「ああ」と答えた。
「当時のあだ名だったの。千の里で『チサト』でしょ? だからみんな『センリ』って呼んでたんだ」
「なるほど、音読み」
「そうそう。学生のころってさー、今考えるとしょうもないことが流行るよね。私も旧姓が野中だから『のっちゅ』って呼ばれてたよ。だけど私、センリくんの方が呼び慣れてるからさ、今日はその呼び方でいい?」
「もちろん構いませんよ」
見た目は落ち着いているが、話し方にやや幼さを感じる部分がある。外見は変えられても、中身を完全に変えるのはなかなか難しいのだろう。とはいえ可能な限り丁寧に話そうとしてくれているところには好感が持てる。
「で、どんな話をしたらいいのかな?」
「藍澤チサトさんとのことでしたら何でも教えてください。どんなこと細かいことでも構いませんので。実はウチの編集長が藍澤チサトさんの大ファンでね。編集長直々に考えた追悼企画なので、できる限りいろいろと書ければと思ってるんですよ」
「へー、そうなんだ。センリくん、ファン多かったもんね」
「そうなんです。チサトさんとナオさんはいつごろお付き合いされてたんですか?」
「私たちが付き合ってたのは……高一のころだったよ。委員の仕事とかいろいろ助けてもらって、私が好きになっちゃって告ったの」
「そうだったんですね。チサトさんも『のっちゅ』と呼んでたんですか?」
「あはは、それはなかったなあ。センリくんは人をあだ名で呼ぶようなタイプじゃなかったから。『ナオちゃん』って呼んでくれてたよ」
「なるほどなるほど。チサトさんは当時どんな方でしたか?」
「うーん、誰にでも親切で優しくて……あ、あのころから本が好きだったね。休み時間も、いつも本を読んでたな」
「当時から読書家だったと」
「うん。逆に私は本なんてほとんど読んだことがなくてさ、あんまり話が合わなかったな。一生懸命合わせようとしても空回りしちゃってた。だからあんまりお付き合い自体は長続きしなかったんだよね」
「どのくらいお付き合いされてたんですか?」
「半年ちょっとくらいかな? お互い会話が噛み合わなくて、どんどん距離ができていくのを感じてさ。なんか申し訳なくなっちゃって、私の方からごめんなさいしたよ」
「申し訳ない?」
「うん、私みたいな頭の悪い子がセンリくんの彼女だと、センリくんの株まで下げちゃうかなーって思ってね。私、バカだからさ。ほんとなーんにもできないから。そこまでして一緒にいたいとは思わなかったんだよね」
「なるほど……でもそんなことないと思いますよ」
僕は傍で遊んでいる娘さんをチラリと見た。可愛らしい服に、可愛らしいヘアスタイル。子どもが頭をぶつけないようにと四隅にカバーが掛けられたテーブル、床に敷かれた柔らかいマット。目一杯に愛されていることがひと目でわかる子どもではないか。
「そうかな? ありがとう、照れるよ」
ナオはにっこりと笑った。ひょっとしたらギャルの時代はやや自分中心に振る舞っていた時期もあるのかもしれない。しかし今は良いお母さんとして奮闘しているのだろう。
「でもさあ、やっぱりどうしても考えちゃうときはあるんだよね。センリくんは繊細な人だったからさ。私みたいなガサツなタイプは無理だったんじゃないかな。聞いた話だと、親がかなり厳しいというか……いいとこのお坊ちゃんって噂もあったし。私に告白なんかされて断りきれなかったんだろうなって。優しい人だったからね」
「好きだったんですね」
「うん。それまで私の周りにはいないタイプの人だったし。もちろんいい意味でね。センリくんは私のことなんて忘れちゃってたかもしれないけど、私にとっては大切な思い出だよ。センリくんとお付き合いできたから変われた部分もある。大袈裟に聞こえるだろうけど、人生に綺麗な色をつけてくれたと思ってるの」
ナオは自分のことを頭が悪いだのガサツだのと卑下しているが、発言の内容を聞く限りそうは思えない。むしろチサトと似た繊細な部分を持ち合わせていたのではないだろうか。
「チサトさんとはその後は交流はなかったんですか?」
「高校を卒業してからはまったく。私も働き出して忙しくなってたし、センリくんは同窓会にも来たことなかったしね。本当は大人になったセンリくんに一度でいいから会いたかったんだけど……それももう叶わない夢になっちゃった。本当、会いたい人には会えるうちに会っておかないとダメだよ。記者さんも気をつけてね、後悔するよ。まあセンリくんの場合は有名人になっちゃってたから、いずれにしても会えなかったかもしれないけどね」
ナオは少し悲しげに笑った。完全に僕の勝手な予想だが、ナオが「会いたい」と言えばチサトも会おうとしたのではないだろうか。現代を生きる僕たちは、とかく他人の心を先読みしずぎるきらいがある。あれこれと考えて「これを伝えたら迷惑がかかるかも」と事前にストップをかけてしまう。他人を慮ると言えば聞こえはいいが、じゃあ慮られなかった自分の気持ちはどうなる。内臓が消化不良を起こさないようにと食生活に気をつける人は多いのに、何故みんな心の消化不良には目もくれないのだろう。心は手術できないというのに。
そんなことを考えていると、今までご機嫌で遊んでいた娘さんが急に泣き出した。小さなお姫様に「ママー」と呼ばれて、ナオはすぐに駆け寄る。
「はいはい、ミユちゃんどうしたの……眠くなっちゃったかな?」
「あ、すみません、長居しちゃって」
「いえこちらこそ、落ち着きのないところに来てもらっちゃってごめんねー。はいはい、よしよし」
「いえ、ありがとうございました。そろそろお暇します」
「本当はもっとゆっくり話せればよかったんだけど……子どもがいるとなかなかね。でも少しでもセンリくんのこと話したくて」
「というと?」
「あんまり考えたくないことだけど……これからきっと、世間のみんなはセンリくんのことを少しずつ忘れていっちゃうんだと思う。今は騒がれてるけど毎日毎日新しいニュースが入ってくるじゃない。そうすると大切なことやもっと知りたかったことも、トコロテンみたいにどんどん外に追いやられちゃうんだよね。仕方ないことだけど。だからこうやって私が知ってるセンリくんの話が記事になることで、少しでも長くみんなの記憶に残ったらいいなって思ってさ。私、ちょっとくらいは役に立てたかな?」
「もちろんです。ありがとうございました。今回の貴重なお話、大切に社に持ち帰ります」
「ありがとう。私、この企画を考えてくれたおたくの編集長さんに感謝してるよ。センリくんのこと、世の中に伝えようとしてくれて本当にありがとう」
僕はやや感動してしまった。そしてインタビューだなんて嘘をついたことに対してほんの少しだけ罪悪感を覚えた。しかしこんなことでいちいち感傷に浸っていては探偵業などやっていられない。
「八島さん、いい人そうでしたね」
ルイくんも彼女のことを気に入ったらしい。
「あの人がチサトさんの初恋の人ですかね?」
「まあ今のところだろうね」
「ですよね」
助手席に乗り込みながらルイくんが愉快そうに笑う。
「とはいえ二人の趣味嗜好はあまり合ってはいなかったようだね。少なくともお付き合いしてたころは。ナオさんはチサトさんのことを好きだった、というか人として尊敬しているような面もあったみたいだけど……チサトさんはどうだったんだろうね」
「確かに本当に好きだったら日記にもいろいろと書き込んでありそうなものですけど……ナオさんについてはあまり書かれていなかったですね。照れくさかったのかもしれませんけど」
日記にも書くことすら照れくさがる人間が、世界中に向けたインタビューで「初恋の人は僕のバラ」などと言ってのけるだろうか。もちろん当時は思春期真っ只中という事情はあっただろう。しかしだからこそ日記には思いの丈を書きそうなものだが。
「ナオさんの気持ちを知ってたからこそ、あまり触れなかったのかもしれないね。お互い繊細だとそういうことも起こりうるんだろう。まあ、まだ候補者はもう一人いるからさ。インタビューに行ってみようじゃない。話はそれからだ」
僕の提案に応えるかのように、愛車はブルンと大袈裟な音を立てた。

(続く)

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