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お人好しな依頼②【依頼人、来る】

 「今日はシャツを半袖にすべきだったな」
「いや、たぶん夜は冷えますよ。難しい季節ですよね」
「日本の季節はいつだって僕には難しいよ。一年中同じ格好でいられないもんかねえ」
いつものように他愛ない会話をしていると、事務所のドアをノックする音がした。ルイくんがすぐに「はい」と応答してくれて、僕もしぶしぶドアの方を見る。遠慮がちにドアが開かれると、そこに立っていたのは一組の男女だった。男女での来訪者は珍しく、僕は思わず何度か瞬きしてしまった。
「失礼します。突然押しかけてしまって申し訳ありません」
三十歳くらいの物腰の柔らかそうな女性が深々と頭を下げる。後ろにはこれまた同じくらいの年齢の男が立っている。探偵事務所に来るには相応しくない人物と判断した僕はぶっきらぼうに声をかけた。
「何の用? ここは幸せなカップルが楽しめるようなところじゃないんだけど」
「先輩!」
ルイくんに小声で叱られて渋々、自分でできる限りの愛想を振り撒くことにした。
「……あのー、ウチに何かご用でしょうか」
「こちら、探偵事務所でお間違いないでしょうか?」
「はあ、だとしたら何か」
「実は依頼したいことがありまして伺いました。ご迷惑でした?」
「ちょっと先輩! ご依頼者様じゃないですか! 申し訳ありません、とんだ失礼を。どうぞ奥へ!」
『依頼』の言葉に慌てふためいたルイくんが僕を押し退け、二人を招き入れた。依頼人は勧められるがままにソファーに座りながら、不思議そうに僕らのことをチラチラ見ている。僕だって同じ気持ちだ。よりによってなんでカップルなんかがこんなところに来たのか、全く不思議で仕方がない。こんな場末の探偵事務所に任せる仕事といえば、浮気の調査かペット探しと相場は決まっているのに。僕は依頼人の向かいにどっかりと腰を据えると、話を聞いてみることにした。
「それで? 今日はどんなご依頼で? お二人の身辺調査でもして差し上げましょうか? お互い真っ黒だったらどうします?」
「先輩!」
またもやルイくんにピシャリとやられる僕。しかし僕のふてぶてしい態度にちっとも怯む様子もなく、目の前の女性は愉快そうに笑った。
「いいえ、私どもの身辺調査は結構です。単刀直入に申し上げますと、兄の初恋の人を探してほしいんです」
「ほう」
「申し遅れました。わたくし、藍澤ウメカと申します」
女性はきっぱりと言い放った。差し出された名刺を見ると、薄桃色の背景に金文字で「藍澤梅花」と書かれていた。その下には”Umeka Aïzawa”の文字が踊っている。どうやら翻訳家として働いているらしい。なかなかどうしてご立派なお名刺ですこと。
「こちらは助手の山ノ内アタルです」
アタルと紹介された背の高い男は、愛想よく「どうも」と頭を下げた。こちらの男は名刺を出す気はないらしい。あくまで依頼人はこちらの女性側ということなのだろうか。ウメカはさらに続ける。
「私の兄は先日亡くなった小説家、藍澤チサトです。ご存知ですか?」
「え!」
お茶を淹れていたルイくんが大きな声をあげた。
「確か山の事故で……」
「そうなんです。警察によると山を散策中に足を滑らせたようで」
「……藍澤さんの作品、どれも好きだったので残念です」
「ありがとうございます。そう言っていただけて兄も喜んでいると思います」
「で? なんでまたお兄さんの初恋の相手なんか探してるんです? お兄さん、亡くなったんでしょう?」
我ながらかなり不躾な質問だったと思う。しかしウメカは気分を害した素振りもなく、むしろここからが本題とばかりに身を乗り出して話を始めた。
「はい。兄が亡くなって、遺産を私が受け継ぐことになったんです。両親はもう亡くなっておりまして、身内は私だけだったもので」
「ほう。それで?」
「遺産を兄の初恋の方に渡そうと考えているんです」
もう少しで飲んでいたコーヒーを吹き出すところだった。僕から言わせてみればぬけぬけと金を他人に渡す人間など愚者以外の何者でもない。この世知辛い世の中で自分と金以外に何を信じろというのか。いや、もしくはこの女性はお金アレルギーか何かなのかもしれない。それならばぜひとも僕に寄付してほしいものだ。しかしそんなはずもなく、僕は直接理由を訊いてみることにした。
「なんでまた?」
「実は兄と私は昔から仲があまり良くなかったんです」
「え」
僕は思わず妙な顔をしてしまった。目の前の美しい女性が何故そんな嘘をつくのか、僕には皆目見当もつかない。しかしウメカは構わず続ける。
「だから兄が遺した財産も、私が持っているよりは兄が好きだった方に渡したほうが、兄も喜ぶと思いまして。ですから初恋の人を探していただきたいんです」
すなわち目の前にいるこの女性は、「亡くなった兄のために他人に遺産を譲渡しよう、そしたらみんなハッピーだ!」と本気で考えているのだ。しかも「初恋がいちばん美しいはず、だから初恋の人に渡したいわ」とも。待て待て、あまりにもお人好しな依頼じゃないかい? 頭がズキズキしてくる。いつもの偏頭痛のせいではあるまい。きっとこの女性は脳みその半分が砂糖菓子か何かでできているんだろう。そうでもないとこの奇行の説明がつかない。何かのドッキリかと疑ったが、僕をドッキリにかけて喜ぶ人間などこの世にいるはずもない。僕はウメカを思いとどまらせようと、とりあえず思いついた説得をしてみた。
「遺産の譲渡は税金がかかると思いますけど」
「わかってます。多少のお金がかかってでもお渡ししたいんです」
僕にはもうお手上げだ。もはや狂気の沙汰でしかない。こちとら「なんとか税金を払わなくて済む方法はないものか」と、大の大人が二人で泣きそうになりながら頭を悩ませているというのに。もちろんそんな画期的な方法が見つかったことはないのだが。
「僕は反対したんです」
アタルが口を挟んだ。今の言葉から察するに、どうやらこちらの男性はいわゆる常識的な価値観を持ち合わせているらしい。依頼人が二人ともおかしな人物じゃなかったとわかり、僕は心底ホッとした。
「チサトだってウメカに受け取ってほしいはずだよって。だけどウメカがどうしてもって聞かないんですよ。まあでも初恋の人の手に渡るなら、ロマンティストだったチサトも許してくれるんじゃないですかね」
「アタルさんは藍澤チサトさんともお知り合いだったんですか?」
ルイくんが素朴な疑問を口にした。
「あ、そうなんです。僕たち子どものころから家が近所で。幼馴染なんです」
「昔はよく三人で遊んだんですよ。中学まではずっと同じでしたし。兄は別の高校に行きましたけど」
「お二人は恋人同士なんですか? すみません、あまりにもお似合いなものですから」
ルイくんの踏み込んだ質問にも、ウメカはにこやかに答えた。
「ええ、お付き合いしております。今は仕事のこともありますから私の家で一緒に住んでるんです」
「結婚はしないんですか?」
「僕としては籍を入れたいんですけどね。何度プロポーズしても、ウメカはどうしても首を縦に振ってくれないんです」
「自分が結婚するイメージが湧かないのよ。だからもしするとしても、事実婚かしら。若い頃に留学をしたんですけど、留学先でたくさん素敵な事実婚カップルを目にしたもので。みなさん自分のパートナーをずっと惹きつけておくためにいろいろな努力をなさるんです。私、そんな関係に憧れているんです」
「そうなんですね。それにしてもウメカさんみたいに綺麗な人がお家にいたら……それだけで幸せでしょうね」
他人の事情に土足で上がり込むルイくんにはいつもヒヤヒヤさせられる。しかし依頼人の二人は気分を害した様子はない。ルイくんの人懐っこさのなせる業なのかもしれない。
「そんな……私なんて。一緒に暮らしてる人間のためにお料理ひとつ作ることすらできない女ですよ」
ウメカが申し訳なさそうな笑顔を見せる。この様子だと家事はアタルがしているのだろう。
「え! 料理苦手なんですか? 意外だなあ」
「ルイくん、もうそのへんで」
「あ。すンません」
ルイくんが気まずそうに黙ると、依頼者のウメカが僕の方に話しかけてきた。
「あの、探偵さん」
「是枝です。是枝ジュン」
「是枝さん。ええと、そちらは?」
「一条ルイです」
「私の依頼、お受けいただけますか?」
「いいですよ。個人的にもとても興味深いのでね」
「ありがとうございます! 嬉しいわ。早速なんですけど……実は手がかりになりそうな兄の遺品が私の家にあるんです。おいでいただけます? ここからすぐのところですから。歩いてでも行けるくらいです」
「伺いましょう。よろしければ車を出しますから」
「それは助かります。ありがとうございます」
僕たち四人は連れ立って事務所を出た。ウメカの家はすぐ近くということだが、僕は紳士ぶって車で送ることにした。ところがこれは失敗だったと言わざるを得ない。オンボロ軽自動車に文字通り体を押し込んだ僕たちは、息苦しさでしばし無言になった。助手席のルイくんは、これだけの人数が乗って車が止まりやしないかと心配しているようだった。しかし歩くよりはマシだろう。大人四人の気まずい沈黙が流れる中、愛車だけは久しぶりにたくさんの人を乗せられて張り切っているかのようにガタピシと音を立てて走った。

(続く)

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