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お人好しな依頼①【プロローグ】

 『……次のニュースです。また山の事故です。原代山にて男性の遺体が発見されました。調べによると亡くなったのは作家の藍澤チサトさんと見られています。警察ではさらに詳しい状況を調べるとともに……』

「藍澤チサト?」
テレビのニュースに驚いたルイくんが大きな声をあげた。
「……誰?」
「知らないんですか? 割と人気のある小説家ですよ」
「いや、知らない」
「デビュー作の『春告草』は超有名でしょ。映画化もされたし。オレ、映画館で三回観てちゃんと三回泣きましたよ。あとは『五月雨のあとで』とか『朝顔の誘惑』とか……」
「いんや、ぜーんぜん知らない。僕、最近の小説ってほとんど読まんのよ。邦画も全然観ないし」
「先輩は興味がない分野には思いっきり疎いんですから……。ガチで一回は観てくださいよ。やべえ泣きますから!」

ルイくんはテレビ視聴と僕への映画推奨、そして事務所の掃除をこなしながら、さらにコーヒーを淹れている。このマルチタスクぶりは尊敬に値すると言っても過言ではないだろう。一方で僕はマルチタスクには向いていないため、今だって理不尽に叱られながらぼんやりと時間を過ごすので精一杯だ。

 探偵業を始めたのはほんの三年ほど前のこと。この不況で十分な給料がもらえなくなったため、サラリーマンの傍ら副業で探偵を始めたのが運の尽き。そのまま探偵業の方が楽しくなってしまって脱サラ……というのは表向きの理由だ。実際は雀の涙ほどの金のために満員電車に揺られてまで通勤するのが嫌になり、なんとなく退職してしまったというダメ人間の見本みたいな人生を生きている。とはいえありがたいことに探偵の仕事が性に合っていないわけではないようで、なんとか今日まで食い繋いでいる状態だ。

 ルイくんは以前勤めていた会社の後輩で、僕が退職するときに何故か一緒についてきた。ルイくんの退職に関しては「後輩を庇って上司を殴ったらクビになった」とか「再三の注意を受けても派手髪を全く直す気配もなくクビになった」とか、いろいろな噂がまことしやかに語られている。とにかく何かしらでクビにはなったらしい。しかし僕には別にどうでもいい話だ。そもそもルイくんが退職理由について自分から話そうとしないのだから、僕から根掘り葉掘り訊く必要もないだろう。ここで問題なく働いてくれるならそれでいい。開業当初は「探偵ってもっと華やかな事件を解決するもんだと思ってた」なんてボヤいていたが、最近ではせっせと浮気調査や人探しなんかに精を出している。もともと営業として働いていたルイくんは人当たりもいいし、電話対応も来客対応も素早くこなしてくれる。なんなら僕としては大助かりだ。元来マメな性格なのだろう。本人曰く「次の職場が見つかるまではお世話になるつもり」らしいけれど、転職活動をしている様子はまったく見かけない。僕としては身の回りのことをやってもらえるので、ルイくんがいてくれるのは願ったり叶ったりなのだが。

 ニュースはいつのまにか切り替わっていた。あざとさにステータスを全振りをした女性アナウンサーが、やたらと神妙な面持ちで人気芸能人の不倫について話している。僕は思う、実際に知りもしない人間が不倫をしたからなんだと言うのか、と。世間はやたらと騒ぎすぎではないだろうか。もちろん不倫は良くない。なんたって「倫にあらず」と書いて不倫だ。しかし他人の色恋にヤイヤイと介入していいのは、そのせいで実際に害を被った人と、配偶者および当人の子どもたちと、そして依頼をされた探偵くらいのものだろう。不倫だけではない、とかく世間は他人の人生に口出ししすぎる。やれ恋人くらい作れ、やれ結婚は考えてないのか、定職につけ、将来のことを考えろ、興味のない映画を観て泣け……あいにくだが僕は相手を満足させるために生きているわけではない。「個性を大切に」「一人一人の価値観を尊重」なんて薄っぺらいスローガンは世の中に溢れかえっている。そしてみんな「自分だけはそれをしっかりと守っている」と思い込んでいる。ところがいざ自分が口を開く番が回ってくると、そんなルールはすっかり忘れ去って相手のプライベートゾーンに土足で踏み込むのがお作法らしい。僕はうんざりした気持ちでルイくんに話しかけた。
「テレビ切っていい?」
「ああ、はい。何か音楽かけます?」
「ラスト・カーニバルをお願いできる?」

もう三年も一緒に仕事しているから、ルイくんは僕のルーティンをよくわかってくれている。ありがたいことだ。曲が静かに流れ出すとそっと目を瞑った。これでようやく外界との繋がりを遮断できる。テレビやSNSなど外の世界を見ていると「人間としての正しい生き方」を押し付けられているような気分になるときがある。至極真っ当な人生を生きている人間は何も感じないのだろうが、だからこそ僕みたいな人間には余計に攻撃力が高い。起きしなに白湯とやらを腹に流し込み、「余計に落ち着かないだろう」と言いたくなるほどに部屋を片付け、隙あらばコンクリートの壁の前で顔を隠した写真を撮り、平日のために貴重な週末をつぶして作り置きおかずとやらをせっせと用意し、若いころは爪に火をともすような生活をしてでも老後のために金を貯めろ、と言われてる気分になる。おそらくそれこそがみんなが思う、人間としてあるべき姿なのだろう。そうでもしないと「人間失格」というレッテルすら貼られかねない世の中だ。一方で僕ときたら、泣きながら遺書のひとつやふたつ書きたくなるような暗い曲を聴き、胃が悲鳴をあげるほど濃いコーヒーを飲むのが毎朝の日課。休みともなれば散らかった部屋で心ゆくまで眠りこけていたい。ある時など長く寝過ぎて、ルイくんが「いよいよ死んでるのかも」と半泣きで救急車を呼ぼうとしたこともあるくらいだ。当然ながら運用できる資産など持ち合わせてもおらず、野垂れ死にしない程度の身銭を稼ぐ仕事にしがみついている。なんなら金があればあっただけ体の中に酒を注ぎ込みたい。真っ当な人間が見たら目を覆いたくなる生活だ。「自分があの人じゃなくてよかった」と神に感謝するかもしれない。しかしこれでも毎日に不満があるわけではないし、むしろこれが僕のあるべき姿なのだ。本当ならここに、ボウモアあたりを寝起きの体にお見舞いするというルーティンを組み込みたい。欲を言えば一九九三年ヴィンテージのやつを。ところがそれはルイくんに止められている。「依頼人が来たときに自分だけでは対応しきれないから」だそうだ。僕が酔っ払って寝てしまうのを危惧しているのだろう。酒が入って寝た僕は引っ叩かれても起きないらしいから、ルイくんの意見はもっともだ。決して僕に健康的な生活の押し付けをしている訳ではないところに好感が持てた上に、僕自身も納得してしまう理由だったため、大人しく言うことを聞いている次第である。

 一緒に働いているルイくんはなかなか気の利く人物で、僕がこんなことを考えている間も黙々と事務所の掃除をしてくれている。もし彼がいなければこの事務所はあっという間に埃まみれのゴミ屋敷だろう。感謝しているからこそ、僕はルイくんが事務所に私物を置くことにある程度は目を瞑っている。彼の自室はあまり広さがないため、できるだけスペースを確保したいのだそうだ。スノーボード、ダーツ、ボクシンググローブ、ゴルフクラブ……まったく多趣味な人間だ。どの道具にもきちんと名入れまでされていて、かなりこだわっているだろうことがわかる。毎日パタパタとハタキをかけて道具を労っているのもなんだか微笑ましい。どの趣味に関しても「今度一緒にやりましょうよ」と何度か誘われているが、僕はその度に断っている。運動なんかして倒れたらどうしてくれるつもりだ。観ているだけでも自分が動いたような気がして疲れてしまうと言うのに。僕にとってのスポーツなんて、ハイネケンを楽しみながら画面越しにチラチラ観るのがちょうどいいのだ。

 こうして頭の中でなんだかんだと考えているときがいちばん楽しい。不倫現場を撮影しないといけないとなると本当に大変だ。今日も面倒な仕事が来なければいいな。本来なら探偵なんて必要ない世界の方が、よっぽど平和なのだ。

(続く)

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