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我が家のペット遍歴

はじめの「ちゃっぺ」

今現在ブリティッシュショートヘアの女子「てこい」を一匹自宅に飼いならす私だが、そもそもは小学4年生の時に兄が拾ってきた猫を飼い始めたことからスタートする。

「ちゃっぺ」という名前のその子は黒、グレーが強めの三毛猫でほぼ野良猫の扱いではあったが15年生きた。この子は外飼いではあったが、ご飯の時間にひとたびおばあちゃんが「チャーッぺチャペ」と言うとどこからともなく飛んで出てむしゃむしゃと小鍋に入れられたご飯と煮干しの出涸らしのふやけたものと魚の骨や頭、それらに味噌汁のかかったいわゆるねこまんまをむしゃむしゃと食べた。
それこそ田舎で外飼いだったためか、子供特有の、拾うのは子供、世話は大人といった具合に、たまに撫でるくらいしかしてやらず、抱っこもろくにしないでしまったせいで、最後まで抱っこされたくない子だった。

年老いてから自分で毛づくろいができなくなったこともあり、人が触れるようになった。手でなでるとたくさん毛が抜けてとても気持ちよさそうにすりすりしてきたことを覚えている。たまにしか実家に帰れない私のことを覚えていてくれた。今考えるともっとブラシとかしてあげるんだった。

ひょんなことでやってきた猫シーズン再来

そのちゃっぺが15歳で亡くなったのは私が25歳くらいの時。既に東京で暮らす私としても外にいた割には長生きしたんだななんて感傷に浸ったりも一応した。でも眠らない街東京に住んでいる私にとっては(私は眠るけど)全く猫を飼う選択肢などなかった。
わけだが、何故か、「てこい」を5年も可愛がっている。この子は、言ってみればはじめは代替わりの名目でうちにやってきた。

正式にいえば、てこいの前に1匹「キル」という名前のブリティッシュショートヘアの女子を飼っていた。
この子は生後2ヶ月ちょっとで家に来たのにとても頭のいい子で、トイレも全く間違わず、うちに来て1日ゲージに入れただけで、次の日から、布団の中に入ってきて枕元で、私の腕枕で寝るだなんて!とあっという間に懐いた。こんなに懐いて布団にも入ってきて可愛いことひとしおだった。
その時に気づいたのだ、猫に対する自分の母性本能の芽生え🌱を。

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いきなりの余命宣告

と、いきなりこんなタイトルだが、タイトル通り辛い別れがあったわけだ。

こんなに小さいのにすぐに慣れて、一緒に添い寝したりと可愛がっていたキルが住み始めて2ヶ月ほど経ってのこと。パタリとご飯を食べなくなった。何事かと思った。活気はまだあるが言われてみればなんだかお腹がぽこぽこして膨らんでいる。熱もある。(直腸で体温測り40度越え)そこで、ワクチンを打ってもらっていた動物病院にタクシーで向かった。レントゲンとCTも撮ったのかな?そして言われたのが「FIP」だった。しかも既に目や皮膚が黄染し始めていてお腹がぽっこりしていると思ったものは腹水だった。証拠に先生は注射器(以下シリンジ)で腹水をぬき病理検査に出してくれることになった。
なんということか、ほぼ治らないと先生はいう。

FIPってなによ?

なにそれと思い、抗生剤などもらい動物病院を後にし家に帰ってキルを休ませてのち、調べ始めた。ペットショップで求めたキルではあったが、そのお店で運営している保険の説明の1番上に「FIP」とあった。

猫伝染性腹膜炎の原因となるのは、「猫伝染性腹膜炎ウイルス」というウイルスで、これは、「猫腸コロナウイルス」が変異を起こして強毒化したものです。猫との暮らし大百科より。


FIP・・・。
保険なんて入らなくたって猫は15年くらい平気で生きるそう思っていたし、確かにその保険の説明を聞いている時に病名を見ながら「滅多にかからないんですけど、こういう病気もあります。」と説明されていたのを思い出した。その時はふーん、くらいしか思ってないこの病気が今まさに目の前に漂着してしまっている。
そして、こちとら看護師の端くれである。
そもそも腹水とか言っちゃってるし駄目でしょという知識にプラスして調べれば調べるほど助からないことが分かっていき青ざめた。
そもそも、このFIPはもとは猫が皆体の中に持っている猫腸コロナウイルス(コロナと言えば今やみんなが知っているウイルスになりましたが🦠また別物のようです。)が発症した形を言う。99%くらい助からないが、抗がん剤のようにインターフェロン療法で肝臓の悪いウイルスを叩きまくって点滴して治療した場合など何種類か方法はあるようだが、ざっと言ってしまえば延命にしかならない。

上に書いたことからも、ほとんどは判明した時には既に遅く、中にはなんだか食べないなぁ、と思っていたら実は発症していてあっという間に数日で亡くなるケースも散見された。どうするのがこの子にとっていいのか、予算だってそんなにあるわけでもないし、何より具合が悪い中でストレスのかかる動物病院に度々行くのも違う気がした。この子の余命幾ばくもないものをどのように支えるのがいいのか、考えている時間はなかった。

介護を開始する

ひとまず水分も飲めない中、高熱で体力も奪われるので、抗生剤で1週間ほど叩くと共にバイタルサインを朝晩(聴診器(ステート)も家にあるし、血圧以外ならこれで測れる)と強制給仕(シリンジなどでご飯を強制的に口に入れてあげること)を一日三回あげた。仕事の休憩時間に家に自転車で帰ってきては風通しをよくし換気してから、ご飯をあげた。
シリンジを買って、先生に教えてもらった缶詰のペースト(高エネルギー食)を水で伸ばし、一日にあげる量を3回に分けてシリンジに入れてあげるも、洗って何度も使ってゴム部分が固くなって滑りが悪くなる。そこへ、オリーブオイルやキャスターオイルで通りをよくするも、1週間くらいもってやっと。忙しい最中あちこちにシリンジを買いに行く暇もないが、Amazonなどの通販サイトで買うと一つでなかなかの値段である。
一日に食べられる量も少ない中ジリジリしながら行っていたが。ある時100円ショップでいいものを買った。
醤油刺しだった。

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弁当用の醤油刺し、何個か入って100円。
円柱の筒は全量3cc 魚は2ccだった。
魚や、円柱の醤油差しにペースト状にしたご飯を吸い込み大体の量で足し算していく。
缶詰を1週間かけて一缶食べることによる一日のカロリー量とそれと共に水分量in,outをを計算した。活気の有無など記録も残し、先生の元へ記録をもっていき必要ならば薬とアドバイスをもらう。

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そんな生活が一ヶ月になろうかというところ、流石にお腹もタプタプで骨張って歩くのも身体が重そうで辛そうだったが、ベットには本で階段を作ればきちんと登って布団の中で寝れたし、トイレの失敗も最後の1週間で見られるくらいで、枕元にパットを敷いて対処したがさほど失敗しない、排便は無くなる前日までトイレでできた。食事はギリギリ一週間前にささみを湯がいたものを自分から食いついたりもした。でもそれも3日くらいしか続かなかったけれど。

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キルちゃん最期までよく頑張りました


最後の日は朝ご飯の時点で飲み込めなくなって、目にも力が入らなくなっていたので、流石に覚悟し、昼も様子だけ見に来て水を口に含ませるのみで、息をしていること、体熱感だけ確認して仕事に戻った。
家に帰るまでに息が止まってしまったらどうしようと思ったが、そこは待っていてくれると信じた。
夕方帰ってきてから、夕飯を食べる時にもガリガリサークルごとテーブルに乗せて目線を合わせ声をかけていた。だいぶ朦朧としていたが時々目線があってしっかりする。
だいぶ厳しいのも理解して、お風呂に入ってくるからねと声をかけてお風呂に入り、上がってきて声をかけるとこちらに薄目を開けたまま一息大きくフーっと吐いた。
その後呼吸をすることはなかった。
目を開いたままだったので、そっと閉じてあげた。

キルは私が最期まで看取るのを待っていてくれた。
介護を始めてちょうど1ヶ月だった。亡くなったのは5月11日。私の誕生日まであと10日というところ。

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それまでの私はこんなに責任を持って動物の世話をしたことがなかった。キルはそんな私の潜在能力を引き出してくれた、そんな気持ちだった。
病気が分かってからは家で涙することも多く、キルは察してしまっていたような気がする。それが申し訳なかったなぁと思われて仕方ないが、それでも極端に嫌がることなく、薬も頑張って飲んだし、ご飯も食べてくれた。私が後悔することなくやり切れたのはそんなキルの気丈な態度と、先生から情報やアドバイスがあったからだなと思った。ネットの情報もとてもためになった。強制給仕という言葉すら知らなかったのだから。

そんなキルが亡くなってからの喪失感がこれほどかと。自分でもびっくりした。こんな別れを経験するならばもうペットなんて飼いたくないとさえ思ったが、先生の診断書に先天性からくるFIPと書いてもらったことで、保険には入っていなかったが、代わりの子を貰えることになった。

2ヶ月くらい辛かったりで選べないだ、なんだかんだしていたが、田舎の方(全国展開のペットショップだったため)で生後半年になる子が値段が安くなりつつあった。それが「てこい」だった。

自分に似ているものを好むというが

生後半年。。。田舎の方では猫を飼うのにわざわざ血統書を飼う人自体が少ないのではないかとよぎった。シュッとしたきれいな子ではなくなんだか目がくりくりしてもっさりしたかわいさがあって、私は値段の下がりつつあるこの子を遠方から取り寄せてもらった。

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到着したからと会いに行ったときにはじめて抱っこした時から、ぐるぐるごろごろ言っていて、それはずっと鳴りやまず、私はそのまま一時間くらい店舗のベンチを独占し、抱っこし続けた。もう決めた。この子だ。まだ子猫なのだからかわいいのは当たり前だが、群を抜くマッチングっぷりだったと思う。まだ書類の関係で引き取れないため、それから数日おきに抱っこしに行きバックヤードから出してもらい30~40分抱っこする日が続き約一か月で家に迎え入れることができた。

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なぜだろう、割と初期の段階から周囲から「あなたに似ているね」と言われた。親が自分の子供がかわいいのは、鏡で毎日見ている自分の顔に似ているところがあるからだという話はよく聞く。だから愛着がわくのだと。もちろん必ずしもそうではないし、自分が腹を痛めて生んだのだからかわいいに決まっているのだが、「愛着がわく」という心理には少ないながらも似ているからという理由があると私は思っている。

と私は「てこい」を生んだわけでは決してなかったが、可愛い家族の一員になった。

そこから五歳になるまではあっという間に過ぎた。

本当にあっという間だった。

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苦楽を共にし日々一緒にいるうちに益々どっしりでっぷり食いしん坊だけでなく本当に顔まで似てくるから不思議である。賢い芸当はできないが、意思表示は一応瞬きで教えてくれる。初めましての人には不審がるも慣れると愛嬌があって、不必要にビビりなところも似ている。

おもちゃにじゃれて遊ぶのも初めの数分であとは寝っ転がったまま遊ぶ怠惰ところとか、

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遊んでいて興奮してしまうと「たのし-☆彡」と奥の部屋まで全速で走り抜けてしまう不器用なところもかわいい。昔は興奮すると息が切れて、開口したまま目が点になってグロッキーになってしまっていたが加減できるようになったらしい。息切れしやすく疲れるところも自分に似ている。

ある意味分身みたいな相棒にこれからも一緒に楽しくねんねできるようにひたすら長生きしてくれるようにと、今日もダイエット食と好きな懐石おやつとをどちらにするか格闘しながらあげるそんな春の一日である。

ニャロメ!!!

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