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ピンク・リバティ『とりわけ眺めの悪い部屋』を観た人間の身震い

 2021年11月11日19時の回を観劇させていただきました。観ると誰かに抱きしめてもらいたくなる、あるいは誰かを抱きしめたくなる、とにかく誰かのぬくもりを求めてしまう、そんな演劇が数本に一本あるのですが、今作はそれでした。深淵を覗くように、さみしさを見つめるとき、さみしさもまたこちらを見つめているのだと思った作品です。(以下ネタバレを含みます)

公式サイト

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あらすじ

繁華街に佇むそのアパートの一室は、
隣に建った看板のせいで窓からの眺めがまるで見えなかった。
毎夜看板の光が色とりどりに揺れるその部屋で、
伊野夏子は死んだ。
二十歳を迎える少し前に、彼女はしずかに幽霊になった。
数年後。
そこに引っ越してきた津島一郎に自分の姿が見えていることに、
夏子は気付いた。
一朗は恋人を持たず、友人も少なかった。
夏子は彼を気に入ったー

公式サイトより引用

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 まず、始まったときに耳に届く心地よい夏子の声。観客の集中を惹きつける語りでありエッセイのような文章。夏子の透明感と肉感の共存する存在感。窓からわずかに見え漏れる繁華街の明かりが、それらを月明りよりもグロテスクに、しかし自分以外いない電車に乗り合わせた知らない人のようにぼんやりと、照らし出す。その空間を感じられただけでもかなりの満足感があったのですが、そんなものは序の口でした。

 シチュエーションは津野と夏子の住む部屋。津野がライターとして働く過程で仕事をくれた会社の人たちが、打ち上げなりなんなりで集まると、なぜか痴情がもつれる。その地獄の夜たちを経て変化する大人たちと、それを眺める変わらない夏子。この構成がなんとも美しかったです。地獄の夜は数日後だったり、1年後だったりするのですが、夏子の語りによって時間が流れるためストレスなく理解できました。

 美術、衣裳、照明に統一感があって、おしゃれでした。衣装の色調が揃っていたこと、家具が収まりよくまとまっていていい意味で「舞台上の家」っぽくなかったこと。家具としてあるベッドサイドの電球やキッチンのライトがそれだけで煌々と輝くと、深夜にこっそり起きて一杯ミルクを飲む落ち着く時間のような、切り取られた空間の空気を醸し出していてとても好きでした。


 地獄の夜の中には、タバコがよく登場します。くゆる煙のように、大人たちは色々と濁しながら生きている。でもタバコの火がふっと消えたとき、いつもは隠している素の部分が露になる。すると、私は、大人はこんなにも子供だったかと思い直す。春夫のだらしなさも、まみこの笑顔も、南沢の傲慢さも、川村の大きな声も、木野の大丈夫も、柴二の自己満足も、琴子の寝顔も、なんと不器用で、尊大で、面白いことでしょう。そんなシーンが、非常にユーモラスに描かれていること自体もなんだか滑稽で、それを成立させている役者さんの力にも感動いたしました。 
 琴子さんがやっぱり素晴らしく見えました。思ったことをそのまま口に出している感、といいますか、何喋っても面白かったです。「何もしてないのに。くやしい」みたいな…価値観のずれ?があるのに会話ができるのが面白いんでしょうか。勉強になります。
 夏子の幽霊っぽさも、役者さんの雰囲気はもちろん、すごく技術によって為されているのがよかったです。音がなるべく出ないように動いたり、椅子に座るときはその意思を察した津野が椅子を引いていたり。素敵でした。

 なにより変わっていってしまう津野への夏子の想いが切なかったです。最後のハグは切なくて、さみしくて、白いライトに照らされた夏子の細い腕は消えてしまいそうで。それでも彼女はこれからも、この部屋に居続けるのだろうかと思うと、あたたかい関係をあげたくなって。もどかしい後味の残るシーンでした。「大丈夫」にはただの大丈夫と、触らないでと壁を作る大丈夫があって声色が違うこと。いつもニコニコしている人は我慢している人だということ。良かれと思ってしたことは、余計なお世話になりがちなこと。人は思っているより軽率で、思っているより真摯なこと。夏子にめんどくさい大人をみせたのは津野ではあるが、恋をさせたのも津野なのが、またなんともいえないです。

 できればもう一回観に行きたかった…。

 ここまで読んでくださってありがとうございました。

瀧口さくら

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